お座敷に出たら再会した

 三味線にお囃子、唄をせっせと習って、だいたい半年が過ぎた。

 本来だったら、仕込み期間は数年単位が適正らしいけれど、それは乙女ゲーム補正なのか、この世界ではもっと短めのようだ。

 私たちもいよいよ座敷に上がる準備が整いつつある。

 芸妓は大雑把に分ければふたつの役割がある。

 踊り専門の立方たちかた、楽器専門の地方じかただ。

 一応適性を見るために、最初の一か月間は立方も地方も一緒くたに仕込まれるけれど、だんだんどちらのほうが適正があるかがわかってくる。

 ちなみに私としおんはどちらも地方だった。

 しおんは元々お母さんが三味線専門の芸妓だったこともあり、三味線が他の子たちと比べても頭ひとつくらい飛び抜けていたから、これは妥当なほうだ。

 問題は私だけれど、正直お師匠さんたちは皆頭を悩ませていた。


「……踊りの才能は全くない。楽器も三味線、太鼓、笛……どれをやらせてみても、いまいちだし、唄はお客さんに聞かせるほど上手くもないし。でも何故か小鼓だけは異様に上手いから、一応は小鼓の地方として育てようか」

「あはははは……ありがとうございます」


 前世でお客さんのカラオケを盛り上げようと、とりあえずタンバリンを鳴らしまくり、バラード歌っているお客さんの場合は盛り上げるときは音が響き過ぎないように叩いていたのが、功を成したらしい。

 こうして地方として仕込まれた私たちは、既に座敷デビューを済ませている立方の姉さんたちを盛り上げるために、日々楽器の稽古に勤しむようになった。

 楽器の稽古を済ませたあと、置屋に戻る最中。

 相変わらずどこの見世の男衆の人たちが見回りを続けているのが目に入った。

 半年前から不審者がいるという話は、未だに立ち消えてはおらず、それが私の胸に暗雲を漂わせていた。

 しおんは見回りの男衆の人たちを見て、溜息をつく。


「まだ見つかってないんですってね、不審者」

「そうみたいだね……嫌だなあ……私たち、もうすぐ姉さんたちの座敷に上げてもらうのに、そのときに騒ぎになったら」

「ええ……さすがに半年もずっと捕まってないのが怖いわね」


 それなのだ。

 私は溜息をついてしまう。

 こっちとしてみれば、さっさと座敷に呼ばれて芸を披露し、お金を稼ぎたい。借金を返済して遊郭を出たら、あとはできる限りここから離れて山奥にでも住もうとさえ思っている。

 一応この手の見世は、一見さん禁止がまかり通っている。そのために下手に置屋に押し入ることも、予約もなしにお茶屋や座敷にお邪魔することもできないようになっているから、人探しをするとなったら、一件一件どうにかコネを頼りに入れてもらって探す以外にできない。

 ……てっきり攻略対象のヤンデレたちが登紀子を探し回っているのかと思ったら、本気でただの不審者らしいけれど、もうバッドエンド後なんだから、とことんシナリオ補正でヒロインを蹂躙しないでほしい。たまにライターさんに興が乗ったら、ひたすらヒロインを骨の髄までしゃぶりつくす勢いで嬲るかわいがりを行う方がいるんだけれど。ヤンデレ書きのKさんはヤンデレ男たちと一緒に、可哀想過ぎるヒロインが好き過ぎる疑いがあるんだよなあ……。

 私たちの思惑はさておいて、いよいよ座敷に出るための準備である。

 芸妓というと、むせかえるようなおしろいをはたいて、華やいだ着物を着るというのが定番だけれど、それは全部立方の格好だ。

 地方は立方より控えめな着物で、化粧も立方ほど目立つものではなく、シンプルに。髷も抑えめに髪結いに結ってもらう。

 立方は座敷の内容によっては男衆が帯を結わなかったらとてもじゃないけれどひとりで着物を着替えることすらできないんだけれど、その点地方は気楽なもんだ。


「それじゃあ、前に車を用意したから、それに早く乗ってくれ」


 男衆の中に混ざって、姉さんたちの着物の帯を結び終えた孝雄の言葉に、私たちは顔を見合わせた。

 呼ばれた座敷までは歩いていくのが基本だし、私たちは人力車を出してもらうほどの価値がまだない。売れっ子芸妓になったら、徒歩で移動は危険だからと、人力車に乗って移動もあるんだけれど。


「孝雄さん、どういうことでしょうか?」


 しおんがおずおず尋ねると、孝雄が困ったように眉をひそめさせる。


「不審者が未だに見つかってないんで。そこかしこの置屋揚屋にお茶屋の男衆総動員で探し回っていても、まだ捕まりゃしない」

「怖いね……警察に相談はしたの?」

「とっくの昔にしたさ。でもあの連中と来たら、被害が出てからじゃなかったら動けないの一点張りで。うちのお客さんや姉さんたちにまで被害が出たら困るからと言っても聞きやしないのさ」


 見回り増やしてくれれば防げる被害も、そこを怠って被害を出すんだよなあ……。

 前世のあれやこれを思い出して、またも暗雲たる思いに駆られたけれど、しおんは澄んだ瞳で孝雄を見た。


「なら、しばらくは孝雄さんが送ってくれるのね」

「そりゃもちろん。うちの人たちは、俺たちが責任持って送迎しますよ」


 孝雄もじっ……としおんを見つめた。私の視線には親愛はあっても、しおんを見つめるときのような熱は帯びていない。

 基本的に遊郭で働く女は年季さえ開けてしまえば解放されるものの、男衆にそんなものはない。しおんの恋はなかなかに茨道なんだけれど。

 ふたりの見つめ合う視線を見ていると、心底「ああ、羨ましい」とささくれだった心が浄化され過ぎて消失しそうな錯覚を覚える。

 仕込み前の登紀子のことを思い返すと、完全にお人形扱いであって、人間として大切にされた覚えが乏しいのだ。

 ……登紀子を一番大切にしてくれた人は、家の都合で引き離されてしまったし。

 いい加減半年も経ったんだから、切り替えないといけないとは思うんだけれど、しおんの恋を見ていたら、どうしても思い返してしまう。

 私たちは人力車に乗り込むと、姉さんたちの乗った人力車を追いかける形で走って行った。

 このところ、あちこちで人力車を走らせて芸妓が移動しているものだから、それを見物に来ている客も多く、見物客が手を振るのを見守っていたところで、私たちの最初の座敷に辿り着いた。

 地元の富豪も使っているような旅館であり、宿の人たちに案内される形で上がっていった。


「それでは、習った通りにしてちょうだいね」


 立方の姉さんに促される形で、私たちは手持ちの楽器を持って、襖の前に並んだ。


「本日より、見習い芸妓たちが座敷で演奏を披露することとなります。どうぞ皆々様、ご贔屓にしてくださいまし」


 姉さんの丁寧な説明と礼にならい、私たちも畳に手をついて、挨拶をする。

 襖を丁寧に両手で開ける姉さんにならって、私たちが座敷に入ると。

 既にお客さんたちが並んでいた。

 そこで並んでいるお客さんたちは、スーツ姿の人たちだった。最近この辺りの座敷に来るのは豪商ばかりで、まだ着物を着ている人が多いというのに。

 物珍し気な顔にならないよう、私は自身の手持ちの小鼓を抱え、しおんは三味線を持ってばちを弦に当てる。

 それにならって、姉さんが舞いはじめた。

 私はそれに合わせて小鼓を叩きつつ、姉さんの帯が、構えた扇子が流麗に舞う様を眺めていた。

 見ているだけと実際にやるのとでは全然違い、一見すると簡単な舞に見える姉さんの踊りも、踊りで畳の擦れる音が響かない、帯がばたばた音を立てない、扇子の動きがうっとうしくなく、むしろその動きを目で追いたくなるというのは、相当の技術を要する。

 姉さんの踊りは、しおんのうっとりとする三味線の音と混ざり、溶け合い、まるでその場にぽつぽつと白梅が咲いたかのような錯覚を座敷全体に与えた。

 スーツを着ているお客さんたちも、感心している様子で姉さんたちを眺めている中。

 ひとりだけ視線が明らかにこちらに向いている人に気付いた。

 私は彼に見ていると悟られないよう、小鼓を叩きながら、彼を盗み見た。

 癖のない真っ直ぐの髪、スーツ越しでもわかる柳のような細い体躯。瞳は穏やかな色を湛えている。

 その視線を、私はよく覚えていた。


(……幸哉さん?)


 驚き過ぎて、小鼓を叩くタイミングを一瞬間違えたものの、どうにか立て直す……見習いの凡ミスだと見逃して欲しいけれど、あとで姉さんにどやされるかもしれない。

 幸哉さん。

 入り婿にするべく婚約していたものの、うちの実家の借金が嵩んでいるのに気付き、早々に幸哉さんの実家から破談申し込みをされ、婚約破棄に至ってしまった人。

『華族ロマネスク』では冒頭しか出てこず、それ以降の動向は一切語られなかった人。

 あの人は実家の次男なのだから、実家を出るしかないはずだけれど、今どうしているんだろうと思ったら。

 どうしてこんなところで再会してしまったんだろうと、私は小鼓を必死で叩いた。

 早鐘のように叩いて動揺を悟られぬように、ただ必死で。

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