第一話(7)

   *


 六月。例年より遅い梅雨入りが報じられていた。

 西地野さんと初めて会った日から二か月ほどが経過していた。

 休日の土曜日だった。西地野さんとの活動は基本的に平日だけだ。だから俺は今、一人でリビングのソファに座り、余韻に浸っている。

 ふわふわと空に浮かんでいるような気分だった。もしくは本当に浮かんでいるのかもしれない。

 余韻ってなんだよ、なんで空を飛ぶんだよ、って? そんなもの一つに決まっているだろ。

 先日の西地野さんの言葉を思い出してみてほしい。


『えっと、つまり、父と母は――わたしたちみたいな関係だったみたいですね。それで在学中にお付き合いすることになって、大学卒業後にすぐ入籍し、わたしを授かったと聞いています』


 すごい台詞だろこれ。俺と西地野さんが、お父様とお母様のような関係だって、銀色の髪をした天使が口にしたんだぞ! ま、まさか告白じゃないよな? いやいやいや! そんなのわかってるって! でも、なんにも思わない相手にそんなこと言わないよな! だよな? お前もそう思う? 俺もそう思うよ!

 背後から天川さんの声がした――。

「――虚空にむかってずっとニヤニヤしてる……」

「うああああああああ?」

 見られたあああああああああ?

 あ、いや、落ち着け。頭の中は誰にも見られないぞ!

 俺はソファから転げ落ちた。いや、わざと転げ落ちることで、すべてをなかったことにしようとした。我ながら意味がわからない。

「リアクション芸がすごいね。それは評価してあげる」

「いらっしゃい、天川さん。お褒めいただき光栄です――で、なんでいるの……」

 そもそも鍵がかかっていたはず――いや、そういえば、さっきAmazonからの荷物を受け取った後、心ここにあらずでソファに戻ってきたんだっけ。

「『なんでいるの?』って、本を返しに来たんだよ。てか、ちゃんとチャイム鳴らしたし、挨拶もしたけど? 鍵開いてたし、不用心すぎない?」

「す、すみません」

 なぜか家の住人がお客に怒られている。まあ良いさ。今の俺ならば本の角が足の小指に落ちても笑って許――天川さんが手を滑らせた。

「あ、ごめん、本落ちた」

「いてえええええええ――けど、いいよ!」

「涙流しながら笑ってる……」

 本気で引かれてる気がするけど、それでも俺の心はへこたれなかった。西地野さんのエンジェルスマイルがすべてを癒してくれるからだ。もちろん妄想。

「……ふーん?」

 天川さんは何かを疑うように俺を眺めていたが、やれやれ、といった感じでソファに座った。

 俺は現代ラブコメも書くので、女性の服装にも意外と詳しかったりする。

 今日の天川さんは、マーメイドタイプのロングスカートに白いカットソーを合わせている。正直、同年代に見えない。年上のおねーさんって感じ。

 天川さんは、脚を組んだ。そこに肘をのせ、手のひらに顎を載せる。天川さんの代名詞っぽいポーズ。こういうとき、彼女は人を挑発することが多いので、自然と身構えてしまった。

 まあ、絶好調の俺をおびやかせる敵なんて今はいないけども!

「あのさ、一つ忠告していい」

「別にいいけど?」

 なんでもこい。

 余裕のお茶飲みしてやるわ。

「シノのこと好きなの、バレバレなんだけど」

「ぶふぉ!」

 お茶を吹いた。

 天川さんが大げさに身を引いた。

「きたなっ? さっきから、なんなの、安藤くん?」

「ぐっ……天川さんが、いきなりぶっこんでくるのが悪いんだろ……?」

「だから前置きしたでしょ! なんでわざわざお茶を口に含んで聞くわけ?」

「た、たしかに……」

 俺は馬鹿なのか? 馬鹿なんだろう。

 とりあえず机を拭こう……。

 天川さんの話はそれからだ……。


   *


 速報――天川さんに俺の気持ちがバレていた。

 つまり、西地野さんのことが好きだということが。

「なんでバレているんでしょうか」

「なんでバレていないと思えるのか聞かせて?」

「……さあ」

「……はぁ」

 美人に呆れられるのって、そんなに嫌じゃないかもしれない。怒られる以上に、美しい感じがする。決してマゾヒストであるとか、そういうことではない。

「あの、ちなみに、西地野さんに俺の気持ちって――」

 バレて、ないよな……?

「バレて――」

 天川さんは言葉を溜めた。そして言う。

「――るわけないよね。鈍感だから、シノは」

「良かった……」

 天川さんは小さく息を吐いた。何かを決断したようにも見えた。

「さて、安藤くん。ここで助言の続きね――あたしさ、安藤くんはイイ人だと思ってるんだ」

「え? 具体的にどこが……」

 わざと茶化しているわけではない。

 西地野さんが天使なら、天川さんは女神である。

 そんな存在に褒められたら、普通に思う。なんで? と。

 女神である天川綺羅は人間の浅はかな質問にも真剣に答えてくれるようだった。

「えーと。自分に直接関係ないことでも結構本気で色々と考えているところとか。相手のことを一番に考えて自分のことを二番目に考えるとことか。自分の好きなことに対しては真剣になれるところとか。あと――シノを見るまっすぐな視線、とか」

 俺、西地野さんのこと、そんなに直視しているのか。不快にさせている自覚はなかったけど、これからは気を付けないと――あれ? でも、天川さんはそこを褒めてくれてるのか? 矛盾してる気がするけど、まあいいか。褒められてるんだし。

「なんか恥ずかしいけど、ありがとうございます」

「あと、小説書いてるところとか」

「なんでバレているんでしょうか?」

 今日は驚かされてばかりだ。

「借りた小説に、それっぽい書き込みがあったから」

「そうだった……」

 失念してた……。

 そういえば小説の書き方がわからないとき、本を教科書にして、色々と勉強していたんだ。そのときに色んな書き込みをしてしまっていた。それを天川さんに貸していたというわけだ。部屋のものは隠したのに、証拠を渡すとは間抜けすぎる。

 天川さんがニッコリと笑った。

「原稿、読ませて?」

「無理」

 恥ずかしくて、死ぬ。

 大体、今書いているのはラブコメである。ファンタジーでもラブコメ色が強い。天川さんに読ませても、根本的なところで理解されないだろう。天川さんのような存在が近づけるジャンルではない……!

「あたしみたいなキャラがエッチな事件に巻き込まれるから?」

 ちょっと理解されていた。

 でも、俺は首を振る。

「そんな小説は書かない。絶対にだ」

 キャラ設定がリアルに寄りすぎる気がするからだ。

「あと、そういう恥ずかしがり屋なところがカワイイ」

「いきなりなに?」

 あ、違うか。

『あと』っていう前置きだから、さっきの話の『俺のいいところ』の一つか。

 びっくりした……ん? でも、待てよ。そうなると俺は『カワイイ』って思われてるってこと? 俺が、天川さんに? なんかよくわからない。そもそもの真意がわからない。

 俺の疑問が解決する前に、天川さんが続けた。やけにアダルトっぽい表情。

「ねえ、少年。お姉さんが、協力してあげよっか?」

「協力って、なんの……でしょうか」

 思わず敬語。

 唐突に、絶大に、嫌な予感がした。

 流し目の天川さんが、口の端を上げた。

「それはもちろん――告白の協力」

 的中した。


 告白――俺が、西地野さんに?

 まさか。馬鹿げている。

 だが、天川さんの話は至極ごもっともな意見だった。

 まず一つ。

「気持ちを隠して、中途半端に手伝うことは、シノに対しても失礼じゃないかな。シノ、この前、言ってたよ?『なんで安藤さんはこんなに手伝ってくれるのかな……?』って。直接聞かれたらなんて答えるの? 安藤くんは、シノが好きだから、手伝う名目で傍にいたいんだろうけど、口から出てくるのはぜんぶ、言い訳になるよね。後学の為、とか言っちゃう感じ?」

「う……」

 なにも言えない。

「告白するなら、それを前提に、きちんと手伝う。告白する気がないなら、中途半端に浮かれていないで、自ら請け負った責任を全うする――そういうメリハリが大事だよ。違う?」

「うう……」

 いつも『猫耳つけて、語尾にニャンってつけて、演説するとかは?』なんて案しか出さない人なのに、今の言葉には反論する余地がない。

「告白に成功したら心から喜んで、あたしに新作のバッグを買えばいいし、告白に失敗しても、あたしが欲しい新刊を毎日買って、本から成功への道を学ぶ――違うの?」

「ううう――いや、待てそれは違うだろ」

 その新刊、絶対に本棚から消えるだろ。

「バレたか」

「なぜバレないと思ったんだ……」

 デジャヴ。

「まあ、とにかく、そういことだからさ――協力するから、頑張りなよ。こんなに的確に助言ができる存在っていないよ? なんといっても、あたしはシノの幼馴染なんだし」

「会議中の発言はぜんぶ、ぶっ飛んでるけどね……」

 この前だって『Twitterにエッチな自撮り載せたらフォロワー増えるよね』という何のタイミングの助言かすらわからない意見を出した挙句、西地野さんからめっちゃ叱られていた。いいぞもっとやれ、と思ったけど。自分にそれが向けられるとちょっとアレだ。

 天川さんは飄々と言い切る。

「ま、友達を信じてみなよ」

「いや、信じてはいるけどさ――え、友達? だれが? だれと?」

 ただでさえ大きな天川さんの目が、さらに見開かれた。

「え? あたしと、安藤くんのことだけど――まさか、あんなことまでさせておいて、まだ友達にもしてくれないの……? ひどいよ……鬼畜だよ……」

「待て、誤解を招く発言はやめてくれ」

 鬼畜て。

 女神のような天川さんが口にするとギャップありすぎるだろ。

「じゃあ、友達ね?」

 小首をかしげる様は、校内中の男子の憧れだと思う。

 今、当たり前のように話をしているけど、本当なら、お金を払っても手に入らない時間のはずだった。

「でも――いいの?」

 俺なんかと、友達で、いいの?

 並んで歩いても、つり合いなんかとれないぞ。

 それは誰へと向けた確認だったんだろうか――きっと鏡の前で口にするべき言葉だった。

「なにが? あたしは安藤くんと友達になれて嬉しいけど――安藤くんは違うの?」

 すげえ恥ずかしいことをさらりと言いのけられた。さすが女神。人としての恥ずかしさはお持ちでないのかもしれない。

 委縮していた心が、一気に跳ね上がる。

「違わなくないです……」

「はっきり、言ってよ」

「は、はっきり?」

「『はっきり』って復唱してほしかったわけじゃないんだけど」

 いや、そういう意味で『はっきり』と言ったんじゃなくて、確認の為なんだけど――そんなツッコミができるほどの余裕はなかった。

 中学時代に告白をしたときよりも緊張していたかもしれない。

 俺は唾を飲み込むと、確かめるように言った。

「天川さんと、友達になれて、嬉しいと思ってる」

 混じりけのない本心だった。

 クールで大人っぽい天川さんが、なんだか幼げに笑った。

「よし。じゃあ、あたしたちは友達。今日から、友達――」

 それだけで、なにもかもを許してしまうような、輝いた表情だった。

 天川さんは立ち上がると、ガッツポーズみたいに手を掲げた。

「――さ、これから忙しくなるぞー。楽しみ、楽しみ!」

「今、楽しみって言ったな?」

 人の恋路を娯楽にしてるな? 絶対に許さないぞ!

「言ってない、言ってない。友達を信じよ?」

「都合の良い友達になってきた!」

「え、都合の良い女……てこと?」

「言ってない! 絶対に言ってない! 友達だから、信じて!」

「安藤くんは、本当に面白いね」

「っく……勝てるイメージがまったく湧かない……!」

 騒がしいスタートだけれども。

 こうして突然に――俺から西地野さんへの告白が決定した。


 余談。

 後日、ヒカルから言われた言葉。

「でも、最初からそういうつもりだったんだろ? お前みたいなタイプが、いきなり『告れ』なんて言われたって、即座に決意できるわけがないし。できたってことは、そういうことだ」

 たしかにその通りだ。つまるところ、この展開は俺が望むものだったのだろう。

 一目惚れしたときから、色々な言葉で濁してきたけれど――結局のところ、俺は西地野さんに告白をして、近づきたかったに違いない。

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