第一話(2)

   *


 俺は実家で一人暮らしをしている。

 イケメン風の父親の海外転勤が決まった瞬間、悩むことなく、見た目だけは若い母親が同行を宣言した。

「カイくんは、一人でも平気だもんね! ママはパパとラブラブしてくる~!」

 子供からすると鳥肌が立つほどにおぞましい台詞と共に、俺の一人暮らしは始まったというわけだ。

 もちろん悲観することは一つもない。

 ありがたいことに生活費は完全支給。

 簡単な食事なら作れるし、掃除も嫌いではない。

 余ったお金で深夜のピザ&コーラパーティで堕落の日々――という楽観的な展開には、残念ながらならなかった。

 日本にもきちんと、監督役の大人が配置されていたからである。


 その日、俺は校内放送で呼び出しをくらっていた。

『一年F組、安藤くん。安藤海斗くん。至急、職員室まで来るように。即刻、来るように』

 発信者の名前すら言わない理不尽さだが、声だけで相手の顔まで浮かんでしまう。周囲からひそひそと噂話をされていることに気が付いていないふりをして、俺は席を立った。

 途中、幼馴染と目が合う。俺とは対照的に女子にモテまくるその男が、笑顔で頷いた。まるで他人事だ。お前の姉に呼び出されているんだぞ、と文句を言ってやりたいが、周囲に女子生徒がいるので近づくのはやめておいた。

 長年の仕込みの結果というべきか、心ではグチグチ言いつつも、俺は職員室まで急いだ。遅れたら何を言われるかわかったものではない。

 職員室では、現文教師の女性――不破美麗ふわみれい女史が、名前に反するような不遜な表情で待っていた。

「遅い。テレポート能力はこういうときにこそ使え」

「あったら今すぐ使って帰ってる……」

「つれないやつだなぁ。お姉ちゃんと遊ぼうよ」

「校内に血の繋がった本当の弟がいるでしょ」

「あんな女たらしは知らん」

 男運に恵まれない不破先生――もといミレイねーちゃんと俺は、血縁関係にない。まったくの赤の他人である。しかし母の親友の子供ではあったのだった。

 物心ついた頃から毎月一度は一緒に出かけていたものだから、イトコのねーちゃんみたいな立ち位置である。その為、両親が不在の際の監督役に就任していた。

「で、用件はなに」

「もう少し先生を敬え、若者。私の心はガラスより脆いぞ」

「では言い直します――私はなぜ不破先生に呼び出されたのでしょうか」

「なんか距離を感じて、お姉ちゃんは寂しい……」

 め、めんどくせえ……。

 今に始まったことではない。彼氏に振られるたびに、めっちゃ長いチャットが来たりする。酒癖も悪いし、実にダメな大人だ。いいところは美人なのと、面倒見がよいところ、生徒に慕われているところ――あれ? 俺よりスペック高いぞ? 考えるのやめよう。

「……帰りますよ」

「まあまあ、落ち着けって――お前、ヒマだろ?」

「全然ヒマじゃないですよ。バイトもありますし」

「単発バイトだろ。逃げようとするな」

 忙しいのは嘘じゃない。小説執筆に思いのほか時間を取られているのだった。誰に見せるわけでも、WEBにアップするわけでもないので、書けなくなっても問題はないけれども。

 ミレイねーちゃんは肩を竦めた。

「部屋に籠りがちでも力はあるし、背も高いから上に手が届くし、パソコン関係も得意な方だし、愛想はまあいいし、なにより無害だろ? だから、お前が適任だと思ってさ」

「適任?」

 そもそも褒めてないだろ。

「あ、きたきた、ちょうどいいや――おーい、こいつだよ、手伝いにピッタリのやつ」

 ミレイねーちゃんもとい不破先生は、唐突に俺の背後へと手を振った。

 何を考えるでもなく、俺も視線を向けて――息を飲む。

 職員室の出入り口に立っていたのは、二人の女子生徒だった。

 一人目。西地野詩乃さん。天使のような品行方正美少女。薄手のフーディを制服に重ね着しているが、今は被っていない。

 二人目。天川てんかわ綺羅きらさん。黒猫みたいなモデル系美少女。けだるそうに制服を気崩しているのに、ものすごく姿勢が綺麗。絶妙なアンバランスさがある。

 すごい絵だ。

 神々しいと言っても良い。

 葵高校のみならず、地域でも有名な美少女二人組。

 偶然とまではいわないが、彼女たちの情報は、ここ数日内にかなりの数を仕入れていた。

 図書室での一件のあと、情報屋のような幼馴染――不破先生の実弟の不破光ふわひかるにそれとなく聞いたら、目を輝かせて教えてくれたのだ。『お! とうとうEDが治ったのか! 完治祝いだ、何でも聞いてくれ』。あいつは絶対に許さん。ワンチャン、すべての悪評の根源と捉えておこう。

 ミレイねーちゃんは「くふふ」と笑った。

「あの美少女二人組が人手を要してたから、人畜無害で暇人なお前を紹介してやったんだよ。どうだ、ヒマだろ?」

「ああ、まあ……ちょっとはヒマです」

「だろうねえ」

 自分の手のひら返しなんて気にならない。恋愛は周囲を見えなくするのだ。自分の気持ちすら見えなくなるほどに。


 近くまで歩いてきた西地野さんが、驚いたように俺を見た。

「あ……、先日、パソコンを教えてくださった……?」

「は、はい、この前はどうも」

 噛むな、噛むな。落ち着け、俺。

「あのときは、本当にありがとうございました」

「いや、大したことしてないんで……」

 やりとりを見ていた天川さんが「この前、助けてくれた人?」と西地野さんに確認していた。

 西地野さんの幼馴染――天川綺羅さん。

 彼女は彼女で、西地野さんとは別ベクトルのスーパー美少女である。黒い髪が空気を受け止めるように、ふわりと肩の上で揺れている。女子にしては背が高く、まるでモデルみたいだ。猫のような目が、興味深そうに俺を捉えていた。

 不破先生が意外だったように、俺と西地野さんを見比べた。

「なんだ、お前ら知り合いか。なら話は早いな――西地野。こいつ、連れてっていいよ。手伝いには申し分ないと思う。身元も先生がきちんと保証するよ。ガキの頃から知ってるから」

 そういえば手伝いってなんだろうか。

 西地野さんが気まずそうに口を開いた。

「あ、そうですね……とってもありがたいです……でも……」

 この前の図書室から止まっていた台詞の続きみたいな言葉だった。

 ちらりと俺に視線を向けた天川さんが、あっけらかんと言い放った。

「シノとしては、女子生徒の協力者が良いんですよね。男子だと色々と面倒で。でも頼れるなら男子でも良いのかなぁ――と、メリットとデメリットを天秤に掛けているようです」

「ちょ、ちょっと綺羅ちゃん! 言い方!」

「でも、事実でしょ?」

「……別に、そこまで、考えてないけど」

「少しは考えている、と」

「綺羅ちゃんは、いつもストレートに物を言いすぎなの……!」

「はいはい、ごめんね、お姫様」

「もう……!」

 西地野さんの喜怒哀楽はとにかく天使だった。いや、言いすぎか。つまり想像の天使以上に想像以上の天使だった。大変だ、語彙力低下を感知。視線を逸らして回避だ。

 不破先生は、いやいや、と首を振った。

「西地野、考えてみなよ。来年、生徒会長に立候補するんだろ? 男女平等に進めるのが現代のセオリーだぞ。えり好みしてたんじゃ、初手からダメじゃないのか?」

「それは……、そうですが……」

 どんな表情をすればいいのかわからずに、かしこまってしまう。そもそもなんでこんなことになっているんだ。手伝いだって、何をするかもわからないのに、いきなり面接が始まった。

 天川さんが言葉を引き継いだ。

「まあ、たしかに先生の言う通りかもね。シノも、深く考えずに協力してもらえば? あたしだっているんだし、変なことにはならないでしょ」

「変なことなんて心配してません……!」

「はいはい、ごめんごめん」

 丁寧クールな感じの西地野さんが、ぷくっと膨れる様はめちゃくちゃ可愛い。脳がやられる。

 だが、俺はといえば、女神たちの会話の前でひれ伏す人間のように、変に緊張して顔が引きつるだけだった。多分、傍目から見たら怖いだろう。俺も自分が怖い。

 それでも西地野さんは天使だった。何かを考えるような間を置いた後、小さく頷いた。

「失礼なお話をしてしまい、すみませんでした――たしかに不破先生のおっしゃる通りです。実はこの前も、お願いしようと悩んでいたぐらいなんです。これからよろしくお願いしますね」

 三人の視線が俺にそそがれた。

 真面目そうな西地野さん。

 飄々としている天川さん。

 ニヤニヤとした不破先生。

 俺はゆっくりと首を傾けた。

「そもそも、俺は何を手伝えば……?」

「え?」

 疑問はどちらの美少女の声か。

 嬉しそうなミレイねーちゃんの声だけは判別できた。

「ほら見ろ、人畜無害っぽくて良いだろ?」

 よくねーよ! と突っ込む余裕はなかった。

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