第22話 かわいいパンツ

 カバンをぶら下げる唯李の両手に、きゅっと力が入ったのが見えた。


「本気で……本気だから」


 本気の本気。

 彼女はじっと熱のこもった視線を片時も離さずに、こわばっていた表情をかすかに緩めた。

 この堂に入った迫真の演技たるや、まさにマジのガチだろう。

 しかし悠己としては、かしこまって改めて言われるまでもない。


(そりゃ本気だろうな。勝率100パーセントの連勝記録がかかってるわけだから)


 それでも衝撃を受けたのは事実だ。

 これこそが隣の席キラーの本気。今までの小競り合いは、ほんの小手調べだったのだと思い知らされる。


 こう言うことで相手に勘違いを起こさせる……そこに彼女の、絶対に隣の席の男子を惚れさせてみせるという、強い意志が感じ取れた。


(これは、やはり相当重症だ……)


「えへへ……」


 恥ずかしそうにはにかむその洗練されきった仕草に、さしもの悠己もつい目を奪われる。

 なるほどこれは、慶太郎や園田が太刀打ちできるはずもない。

 唯李は体をもじもじとさせると、一杯に頬を紅潮させ、言い出しにくそうにしながらも、さらに言葉をつむぎ始める。


「だから、その……。できたら、もっと悠己くんと仲良くな……」


 そう言いかけたとき、金属がきしむような音と同時に突風が吹いた。

 一瞬にして風が唯李の髪をバサバサに乱し、さらに勢いよくスカートを巻き上げる。


「なぁあああっ⁉」

 

 話すことに集中していた唯李は、慌ててスカートを押さえようとするがすでに手遅れ。ちらり、どころではなく下着が丸見えになる。

 変な奇声を上げながら唯李はその場にうずくまった。

 必死に両手でスカートを押さえつけながら、かつてないほどに顔を赤くして、ぐっと悠己を睨んでくる。

 こちらは何も悪くはないのだが、まるでお前のせいだと言わんばかりの勢い。

 

 対する悠己は風と同じ向きに立っていたため割と平気だった。急に向かい風の位置に立った唯李の半ば自業自得とも言える。

 風は一度おさまったがいまだ唯李はしゃがみこんだままだ。

 まあ見てしまったのは悪いというか少し気まずかったので、とりあえずなにかフォローを入れようと迷った末、


「……か、かわいいパンツだね?」


 相手が瑞奈ならいざ知らず、セクハラ云々言われたばかりだし、そういう部分に触れるのはあまりよろしくないのかもしれない。

 言いながらそう思ったが、女の子はフクザツだというのでまだわからない。


 ややあって唯李は無言ですっく、と立ち上がった。

 表情こそ何やらすましているが、若干口元がプルプルしていて依然として顔面は真っ赤だ。

 いったいなんと返してくるのかと身構える。

 しかし唯李は何も言わずにくるりと身を翻して歩きだし、そのままとんでもない早足でその場を立ち去った。

(やはりダメか……)

 残された悠己は、遠ざかっていく唯李を見つめて一人その場に立ちつくす。

 その背中がまるで追ってくるなと言っているようだったので、あえて追わなかった。


 なにはともあれ、彼女の闇は思っている以上に深い。

 そうまでして彼女を絶対勝利に駆り立てるものとはいったい何なのか……。


(いい子だとは、思うんだけどなぁ……)


 かつて母を失ったことで妹の瑞奈がふさぎこんでしまったように、唯李も過去に何らかのショッキングな出来事があって、今のようになってしまったに違いない。

 それはたとえば隣の席の男に親でも殺されたかのような……。

 永遠に失った友との約束……。生き別れた兄弟との絆……。逆らうことのできない古い家の厳しい掟……。小さいリボン付きの白いパンツ……。


 などと悠己は様々に思いを巡らせるが、答えは出なかった。

 とにかくかわいそうな子なのだ。


 そんな子と隣の席になってしまったのも、何かの縁だろう。

 できることなら、なんとかしてあげたいとは思う。


 何にせよ大切なのは、焦らず我慢強く長い目で、あたたかく見守ってやることだ。

 瑞奈のときもそうして、見違えるほどよくなった。思い返せば二人は、やはり似ている部分がある。


(これからは、もっと優しくしてあげよう)


 悠己は心の内で、そう決めた。






 一方命からがら? 帰宅した唯李は、脇目もふらずに自室に直行し、ろくに着替えもせずにベッドの上で枕に頭を突っ込んで、足をバタバタさせていた。


(ヤバイどうしようどうしよう!)


 思いっきりパンツ見られた。

 ……じゃなくて、言った。ついに言ってやった。


 本当はもっと様子を見る予定で、このタイミングで言うつもりはなかったのだが、売り言葉に買い言葉というか。

 くだらない真似はやめろ、と突然あんな真顔で本気なトーンで言われるとは思っていなかったのだ。


(けど言った。言ってやった!)


 惚れさせゲームなんてしてない。

 ということは、つまり今までの自分の言動は、すべて本気で惚れさせようとしてのことで。

 要するにこれは、なんとかしてあなたの気を引きたかったのです……と言っているも同然。

 つまり、考えようによってはほぼ告白。


(でも思いっきりパンツ見られた……)


 告白と同時にパンツを丸々見せていくという荒ぶり具合。

 どうにもいたたまれなくなり、そのまま何も言わず急ぎ足で逃げ帰ってきてしまった。

 途中ずっこけて軽く膝擦りむいた。また誰かにパンツ見られたかもしれない。しにたい。


 しかし今頃向こうも家について、冷静に唯李の言動を思い返してあれこれと考えているはず。

 今にもラインが来るかもしれない。もしかして通話もありうる。


『さっきのって、つまり……』

『本気で惚れさせようとして?』


 なんて来たら、どうするか。言うか、もう一回言うか?

 しかし本当にこのタイミングでいいのか? パンツガン見せした直後で?

 などと頭の中を混乱させつつ、スマホを握りしめたままうつ伏せになっていると、ブーブー、と手元が震えた。

 ラインが来た。悠己だ。


『大丈夫だから安心して』


 主語もなにもない意味深なメッセージ。

 すべてオールオッケー、という解釈にも取れるが、はやる気持ちを抑えて探りを入れる。


『と、いいますと?』

『他には誰にも見られてなかったと思うから』

「やっぱそっちかーい!」


 跳ね起きつつスマホを布団の上に放る。

 さっきもかわいいパンツだね、とか言って意味不明なフォロー? をしてきたが、やはりあれは一言キレておくべきだったか。


 知らんもう寝る! と再度横になってふて寝しようとすると、いきなりガチャっと部屋のドアが開いて、ずかずかと姉の真希が乱入してくる。


「ちょっと! だからノック!」

「一人で何を叫んでるの? バタバタうるさいし」


 隣の部屋との壁が薄すぎるのも考えものである。

 むくりと体を起こすと、真希が何やら訝しげにジロジロと見てくるので、唯李は全力で話を逸らす。


「あ、あれ~? お姉ちゃん今日大学は?」

「今日は午前中で終わりだったの~」

「いいですねえのんきで……」

「ヒマそうに見えるのはたまたまよたまたま。それより唯李ご飯作って~。今日はお肉食べたいなお肉」

「自分で作れ」

「唯李が作らなかったら食べるのないよ?」


 相変わらず人の話を聞かない。

 真希はすでに女子力低い部屋着に着替えていて、買い物に出る気もないらしい。


「今日お母さんは?」

「パート主婦同士でディナーだって、聞いてなかった?」

「また?」


 母親はしょっちゅう家事をサボる。いや主婦をサボる。母親をサボる。

 それに似たのかこの姉もとことん働かない。


「今日はなんかも~、いろいろやる気分じゃない」

「どして? あ、ラインきてるよ」

「ん~?」


 何気なく見ると、いつの間にかスマホを手にした真希がすっすっと指で操作しているのが目に入って、目玉が飛び出そうになる。

 慌てて近づいてスマホをひったくって、


「って勝手に人のスマホ見るのやめてもらえます!?」

「『ごめんね、なんか怒ってる?』だって。優しそうね」

「読み上げんでいいわ」

「成戸悠己、か……。覚えた」

「フルネームで覚えんでいいわ」


 ほんの一瞬でいろいろと情報を盗み取られた。

 油断もスキもあったものではない。


「というとそれがウワサの彼……」

「ウワサも何もないです、そんなものは最初から」

「相談……のるよ?」

「いらん。しっしっ」


 部屋に居座ろうとする姉を無理やり押し出して、再度ベッドの上に腰を落ち着ける。

 スマホの画面を眺めながらどう返信するか迷ったが、『別に怒ってはいません。勝手に帰ってごめん』とだけ返す。


『それならよかった』と妙に返信が早くて丁寧なのが少し気にかかったが、なんにせよ明日はなんとなく顔が合わせづらい……と唯李は思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る