第20話 教室に二人きり

 この日の天気は曇りときどき晴れ。

 予報では台風が近づいてきているらしく、今週末に直撃するかどうか、というところだ。


 昼休みの今現在、まだ日差しはあるが風がそこそこに強く、雲の動きがやたら速い。

 今日は授業合間の休み時間、もしくはヒマな授業中は、窓からぼーっと雲の様子を眺めていた。が、さすがにいい加減飽きてきた。


「でさーそれがさー」

「えーマジ~?」


 隣の席では、女子が数人椅子を寄せあってぺちゃくちゃとおしゃべりに忙しい。

 悠己と違って唯李はクラスでもそれなりに人気者なだけあって、今のように女子が集まってきてごちゃごちゃとやかましくなるときがある。


 いつもは昼休みになると、唯李のほうがたいてい他の席に移動するのだが、今日はなぜか唯李の席が集合地点のようだ。

 かたやクラスで悠己に話しかけてくるのは、唯李を除けば慶太郎と園田ぐらいのもの。

 トイレに行ったりするとすぐ捕まるのだが、悠己が自分の席にいて、唯李も隣にいる間は基本彼らはちょっかいをかけてこない。


 昼食も食べ終わってしまい、悠己がいよいよ暇を持て余す一方で、隣のおしゃべりは一向に落ち着く気配がない。

 こういうときは本を読んでもあまり集中できないし、ならばスマホでゲームでもやろうかと思ったが急に眠くなってやめた。


「えーでもあれだよねー」

「それやばくない?」


 相変わらず隣の会話は悠己には何の関係もない話なので、とりあえず顔を伏せて寝るフリをする。いや寝る。

 このとき問題なのは、うっかり熟睡してしまうことだ。

 いつだったか次の授業が移動教室だということを完全に忘れていて、目が覚めて教室に誰もいなかったときは一瞬本気でパニックになりかけた。


「え~でも唯李っていっつも隣の男子と仲いいよね~」


 一名やたら声が高くて通る子がいる。

 顔を伏せたからといって、会話が聞こえてこなくなるわけではない。

 虎の子の音楽プレーヤーは充電したまま家に忘れてきてしまったのだ。


「それはあれですよ。お隣さんとは仲良くしないと」

「てかアタシの隣、園田とかマジきついんだけど。唯李よく耐えたよね」

「園田くんは勉強聞いたら教えてくれるからいいじゃん」

「いや無理無理。あいつに聞きたくないもん、すべてがねちっこくて」


 ここに来て知っている人の名前が出てきて、つい聞き耳を立ててしまう。

 というか勝手に耳に入ってきてしまう。


「あいつ学年トップが~とかよく言うけど、この前の中間普通に五位とかだったよ。何五位て。その中途半端な感じ何? って」

「そうそう、張り出しの前で腕組みして『あ~そうか~そうくるか~』って一人でブツブツ言ってたし」


 キャハハハ、と笑いが起こる。

 園田くんは人気者だな、と思っていると、急に隣の会話のトーンが落ちた。


「……ねえねえ、寝てる?」

「寝てると思う。どうなの?」

「アタシよくわかんない、しゃべったことないから」

「えー……なんかクール系?」

「よく速見に絡まれてるの見るけど、全然合わなそう」

「あーあいつ友達いるようでいないからね。一人のとき超おとなしいよ」

「マジで? ウケるんだけど」


 ひそめき合う声と、クスクスと忍び笑いがかすかに聞こえてくる。

 その間を縫って、いつもどおりの唯李の声がした。


「んー彼の場合はクールというかグール系だね。なんかふらーって。ぼーっとしてるの」

「……なにそれ? 大丈夫なの?」

「まぁ彼はちょっと変わってるからね」

「へー。なにその『私はわかってる』みたいな言い方」

「ち、違うわ! あたしは客観的事実を言ったまでです」

「へー客観的にねー? よく見てるんだーひゅーひゅー」

「や、やめーい!」


 ケラケラとひときわ大きく声が上がり、何やら盛り上がっている。

 一方で悠己は、グールってどういう意味なのだろう……と考えていたが、ついに眠気が限界に達した。

 聞こえてくる周りの声はいつしか途切れ、意識は深い静寂の中に落ちていった。

 

 はっ、と顔をあげる。

 視界に飛び込んできたのは、空席ばかりの机と椅子。

 休み時間の喧騒どころか、周囲からは物音一つ聞こえてこない。


(あっ、五時限って理科教室……)


 またやらかしてしまった。

 と直感したそのとき、すぐ横で人の気配がした。


「あ、起きた」


 ふっとそちらへ視線をやると、席に座った唯李が、机に頬杖をついてじっとこちらを見ていた。

 目が合うなり、にこっと笑いかけてくる。


「授業遅れるよ、行こ?」


 半分寝ぼけていたというのもあるが、思わず一瞬ぼうっと見とれてしまった。

 唯李は頬杖を崩してこちらにまっすぐ向き直ると、今度は声を出して笑い始めた。


「くすくす、どしたのその顔、びっくりした? 悠己くんのこと待っててあげたんだけど」

「あ……そうなんだ」

「そうそう。あらら、もしかして悠己くん、ドキってしちゃ……」

「ありがとう」


 ほっと安堵の息を漏らす。一人でも残ってくれていると、とても心強い。

 素直に礼を言うと、唯李は余裕の笑みから一転、口元をまごつかせて、


「あ、あう……」

「あう?」

「う、ウフフ……悠己くんの寝顔かわいかったなぁ」

「いや顔面伏せてたから見れないはずだけど」


 ぴしゃりとそう返すと、うっと息を呑んだ唯李はふいっと目をそらして、


「残念でしたー、ホントは筆箱忘れて取りに来ただけでした~」


 手にした筆箱をぷらぷらとさせる。

 どうやらずっと悠己が起きるのを待っていた、というわけではないようだ。


「それでも十分だよ。気づいたら一人の恐怖知らないでしょ」

「なにそれ」


 どうやら唯李には経験のないことらしい。

 まあわかるわかる、と言われても驚きだが。

 唯李は釈然としない表情のまま立ち上がると、一度教室の中をぐるっと見渡した。


「あーあ、教室に二人きりですよ? 今」

「それが?」

「んー……。たとえばこうやって二人きりで……」


 唯李は腰をかがめると、悠己が座っている高さに合わせ、顔を近づけてくる。


「見つめ合っちゃったりして……」


 くりっとした瞳に、すっと通った鼻筋、やや丸みを帯びた輪郭。

 それぞれのパーツが小きれいにまとまっている。

 その中でも悠己が気になったのは、唯李の目元だった。


「なんとなく思ったんだけど……唯李って、妹にちょっと似てるかも」

「へ?」


 意外な返しだったのか、発言を受けて唯李はピタリと固まる。

 がすぐに慌てて微笑を浮かべ、


「へ、へえ~……妹さんって、どんな感じなの? かわいい?」

「かわいいよ」


 すんなりそう答えると、唯李は「え?」と聞き返すような仕草をした。


「何?」

「や、即答されてちょっとびっくりした」

「どうして?」

「いやぁ、そういうのって普通否定するかなって……」

「正直に言っただけだけど」


 唯李は「ふ、ふぅ~ん……」と曖昧な表情でしきりに頷いてみせる。

 しかし何か思いついたのか、急ににやりと口元を緩ませて、


「いや~でも、妹かわいい、であたしに似てるってことはつまり……」

「つまり?」 


 真顔で聞き返すと黙って視線をそらされたので、さらに思ったことを口にする。


「それに中身もなんとなく似てる気がする」

「は、はぁ~? 中身が妹に似てるって……そもそも悠己くん、何月生まれよ?」

「え? 12月だけど」

「はいあたし8月~。姉~圧倒的姉~」


 唯李は体をのけぞらせるように背すじを伸ばすと、腰に手を当てて胸を張りだした。

 一瞬意味不明だったが、どうやら早く生まれたアピールらしい。悠己はあきれつつも息をつく。


「小学生かな」

「ん~? お姉ちゃんがいい子いい子してあげようか? ゆうきくん?」

「ふっ」

「鼻で笑うな」


 そのとき、授業開始を告げるチャイムが鳴った。

 すると唯李はさっと時計のほうを振り返りながら、


「あっ、チャイム鳴っちゃったじゃないのもう! 怒られたら悠己くんのせいだからね!」

「なんで」

「いいから早く、行くよもう!」


 のそのそと教科書類を取り出していると、唯李が足踏みをしながら「早く早く!」とせかしてくる。

 小走りの唯李のあとについて、悠己は教室を出た。


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