うわさの魔女ー③



「なぜ、彼女は依頼を断っているんだ」

「さぁ。それは僕にもさっぱりです」


 レイモンドは、棚から目的のものを取り出して、腕一杯に抱えて奥へ向かうエレノアを目で追いながら、依頼を断る理由を考える。

 正直、良い態度とは言えない。理由は分からないが、貴族や王宮が嫌いというのも、あながち嘘ではなさそうだ。

 家の中を見る限り、端の方まで掃除は行き届いているし、目に映る棚の中も、綺麗に整頓されている。

 すぐに材料もどこにあるのか分かっているし、こうしてウィリアムのように常連もいるらしい。


(薬や香に関する依頼は受けている様子だから、魔法に関してだけは頑なに受けていない、ということか)


 レイモンドは忙しそうに棚から取り出した薬草を刻み出す彼女を、ただ黙って見つめていた。

 家の中には懐かしささえ感じる、薬草の苦く青い匂いが広がった。





(いったい、なんなのかしら)


 今日は天気もいいから、本を読み終わったら今朝摘んだ薬草を干して、そろそろ食べ頃の苺でタルトでも作ろうと思っていたのに。

 突如現れた、やけに身なりが良く、胡散臭いほどに端正な顔立ちの男。それに従者と思わしきガタイのいい真面目そうな男。

 聞けば、まさかのアルバート公爵。それは身なりがいいのも頷ける。


「…はぁ」


 エレノアはいい具合に乾燥した薬草を刻みながら、無意識にため息を吐く。

 あの森を抜けて、薄汚れた姿で訪ねて来たかと思えば、王命とは。しかもに関しての。

 メアリーが亡くなって、はや3ヶ月。

 その魔法を頼りに訪れた人は何人かいたが、エレノアは全てその依頼を断っていた。

 なぜなら、とある事情があったから。


(どうにかして追い返さないと)


 王命だなんて。予想が当たっていれば、これはかなり厄介なことだ。

 できればこのまま帰って欲しいが、肝心な公爵様は、椅子に座ったまま、端正な顔でこちらを興味津々に見ている。


(女性たちは放っておかないでしょうね)


 正直、顔が整った金持ちなんて信用できない。特に貴族は。

 エレノアはうんざりした顔で、刻んだ薬草を、グツグツと煮立つ鍋へと放り込む。

 そこに澄んだ水の中に咲く花の花弁と月の光を浴びた花の蜜、それから星の季節に採れる果実の種を、まるで彼女自身が秤であるかのごとく、正確に素早く決められた量を加える。

 少し煮立たせれば、ウィリアムのための頭痛の薬になる。

 それからエレノアは小さな透明な瓶を取り出し、その中に春の訪れを知らせる妖精のお酒、険しい崖の上に生える木の実の油、月夜に降り注ぐ星のかけら、西の地に咲く七色の花の花弁を入れる。

 たちまち瓶の中身は淡いエメラルドの輝きを放った。

 春のそよ風と美しい夜空を思わせるような香り。その蓋を閉めれば、香水の完成だ。


「おまたせ」

「いつもありがとう」


 ウィリアムは満足そうに微笑むと、エレノアから薬と香水を受け取った。


「…本当は、苺のタルトを作ろうと思っていたのだけれど」


 エレノアは残念そうに言うと、ちらりとレイモンドを見た。

 予定通りであれば、タルトを作って、ウィルと食べれていたはずなのに。

 突然現れたこの男のせいで、それは叶わなかった。


「気にしないで。また近いうち来るよ」


 ウィリアムは、残念そうに拗ねているエレノアに優しく微笑む。


「それじゃあ、今日は失礼するよ」

「気をつけて」


 ウィリアムは柔らかな笑顔のまま、薬と香を抱えて帰っていった。

 おかげでこの家の中には、不機嫌なエレノアと困った客人2人だけになってしまい、また不穏な空気が流れる。

 エレノアは相変わらず椅子に座ったり長い足を組んだまま、動こうとしないレイモンドを睨みつけた。


「…さぁ、あなたもお帰りいただけるかしら」


 かけられた声に、レイモンドはその美しい顔に怪しげな笑みを浮かべる。


「君は、ウィリアムには優しいんだね」

「…それが何よ」

「まぁいい。ところで」

「な、なに?」

「…残念ながら、このまま帰ることはできないんだ」


 レイモンドは椅子から立ち上がる。


「悪いが、王命は絶対だ」


 浮かべられている顔は笑顔だが、ウィリアムのような柔らかく優しい笑顔とは違う。

 美しいがやけに圧と凄みがあり、エレノアは思わず息を呑んだ。


「…それでも、無理なものは無理よ」


 エレノアは気まずそうに顔を逸らす。


「何か他に理由でもあるのかな?」


 その言葉に、エレノアの目はわずかに見開かれる。

 その瞬間をレイモンドは見逃さなかった。


「…あるんだね」

「ないわ。理由はさっき言ったでしょう」


 エレノアは暗い表情で俯く。

 そんな彼女を見て、レイモンドは何かを考えるように腕も組み、少し黙った。

 恐る恐るエレノアは、静かになったレイモンドを見る。

 少し長い金の前髪が、窓から入る光に照らされてキラキラと光っていた。まるで妖精の紡ぐ糸のようだ、と思った。

 その姿に目をとられていると、考えが終わったレイモンドと、突然目が合う。ドキリ、と肩が跳ね上がり、その様子を見てレイモンドはくすりと笑った。


「材料を見つければ、依頼を受けてくれるかい?」

「…え?」

「先程言っただろう。材料が足りないのだと」

「ええ、言ったわ」

「ならば、その材料を私が見つければいいのだろう」


 王宮が嫌いだろうが、貴族が嫌いだろうが、肝心の材料さえあればなんとでもできるはず。

 レイモンドはこのわがままな魔女さんの突破口をようやく見つけ、微笑む。

 しかし、エレノアはその安易な言葉に呆れたように言った。


「無理よ」

「材料さえそろえば、なんとでも」

「違うわ。その材料を揃えるのが無理なのよ」


 余裕をかまして微笑んでいたレイモンドだったが、エレノアの言葉が理解できずに首を傾げる。


「無理、とは?」

「必要な材料は、揃えるのに時間も手間もかかる。それにただの人の身では、入手は困難よ」

「そんなに、難しい材料なのか?」

「…私の予想が当たっているのならね」

「君なら手に入れられるのかい?」

「…かなり難しいけれど、不可能ではないわ」


 ふむ、とレイモンドは再び考え込むように黙った。

 すると何かを思いついたかのように、レイモンドはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「ならば、君を手伝おう」

「…は?」

「私が君を手伝う。君はその代わりに王命を受ける。どうだい?」

「ふざけないでよ!私にはなんのメリットもないわ」

「それもそうか。ならば、こうしよう。自分で言うのもなんだが、この国ではある程度立場のある存在、公爵だ。君が王宮を受けてくれるのなら、君の願いを一つ、どんなことでも叶えると約束しよう」

「…別に結構よ。あなたに叶えて欲しい願いなんてないもの」

「そうか。では君の気が変わるまで、ここでお世話になるとしよう」

「…はぁ!?何を言っているの」


 笑顔のまま、とんでもないことを言い出すレイモンドに、怒りが収まらないエレノア。

 突然現れたうえに、ここに居座る気だなんて。

 怒っていたかと思えばエレノアは血の気が引き、青ざめる。


「レイモンド様、何を」

「ラウル。すまないがこれをレイヴンに渡してくれ」


 ラウルでさえも、理解出来ずに狼狽える。

 するとレイモンドは懐から紙とペンを取り出し、サラサラと何かを書いてラウルに渡した。


「私はこのお嬢さんが王宮を受けてくれるまで、しばらくここにいることにする。留守の間のことはお前とレイヴンに任せる。何かあれば知らせてくれ」

「しかし!」

「これは命令だ、ラウル」

「…かしこまりました」

「ちょっと!私はいいなんて言ってないわよ。あなたも、主人ならばちゃんと止めてちょうだい」


 主人の命令には逆らえず、渋々紙を受け取ったラウルに、エレノアは怒鳴る。


「これからよろしく頼むよ、エレノア」

「…だからいいなんて言ってないわ!」

「そんなに怒らないで。可愛らしい顔が台無しだ」

「ふざけないでちょうだい!ほら、早く連れて帰って」


 再び椅子にどかりと座ったレイモンド。

 ラウルは狼狽えながら、家から出て行こうとする。

 その様子にエレノアの怒りは爆発し、ラウルの服を鷲掴んで引き留めた。

 すると、冷たく張り詰めたような声が響く。


「女性には優しくしたいんだが、あまり騒ぐようなら無理矢理王宮にお連れしてもいいんだよ」


 顔は笑っているが、目は笑っていない。

 エレノアはその声と目に、背筋が一気に冷たくなった。

 まるで鋭く磨がれた刃を喉元に突きつけられているかのような緊張感が走る。


「…わかったわ。でも、仕事の邪魔はしないでもらえるかしら」

「いいだろう」


 震える声で、エレノアは恐る恐る了承する。

 でなければ、この男は本当に無理矢理にでも連れて行くだろう。

 けれど連れて行かれたところで王命には応えることはできない。そうすれば、反逆罪となりおそらく首を刎ねられるだろう。

 それを避けるためには、どんなに嫌でも、今この提案をのむしかない。

 エレノアの返答に、レイモンドは満足そうに微笑んだ。


「じゃあラウル、頼んだよ」

「…御意」


 見た目はラウルの方が恐ろしく映るだろう。

 けれど本当に恐ろしいのはこの男の方かもしれない、とエレノアは身震いした。


「これからよろしく、可愛らしい魔女さん」


 その美しい顔が、エレノアには悪魔に見えた。

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