公爵様と時戻りの魔女

雪月香絵

巡り逢う

うわさの魔女



 さぁ、思い出して。

 それはどんな香りだったか。

 胸を焦がすような花の香り?

 温かな腕に包まれた時の石鹸の香り?

 戦場に蔓延る火薬の香り?

 故郷を懐かしむ潮風の香り?

 別れの日を悔やむ雨の香り?


 きっと、それは時に

 あなたを彩る大切な欠片。

 胸の奥に秘めた本当の心。

 捨てることのできなかった後悔。

 もう手に入らない憧れ。

 忘れられないあの人の記憶。


 もう一度、と願うのなら。

 その思い出と、再び向き合いたいのなら。

 その痛みと訣別したいのなら。

 どうか思い出して。

 大切な思い出を。

 大切な香りを。

 あなたの記憶を揺さぶる

 たった一つの

 その瞬間の

 大切な人との

 思い出の香りを。

 そうすれば

 きっとあなたは

 もう一度だけ

 大切なあの人に会えるはずだから。


 不思議な魔女が

 あなたの記憶を蘇らせてくれる。

 決して戻れないはずの時へと戻してくれる。

 それは奇跡であり、刹那の魔法。

 心から願うのなら。望むのなら。

 その扉を叩いてみて。

 きっと、それは叶うから。


 目を閉じて。

 思い出して。

 あなたの大切な香りを。

 あなたの大切な人を。

 そうすればその香りとともに

 あなたの忘れられない時間へと戻らせてあげましょう。










*****








「おい、ラウル。本当にこの道で合っているんだろうな」

「…そのはずですが」


 険しく暗い森の中を、やけに身なりの良い大男2人が、不満を漏らしながら歩いていた。

 昼間だというのに、辺りは薄暗く、頭上は木々の葉が覆い被さるように2人を陽の光から隠す。

 足元はぬかるみ、木の根が邪魔をして思うように歩けない様子だった。


「陛下のご命令とはいえ、まさかこんな場所に来る羽目になるとはな」

「そうとはいえ、なにもレイモンド様自ら来る必要はなかったのでは?」

「馬鹿言え。がそれで満足すると思うか?」

「…たしかに」

「それにしても、本当にこんな所に、人が住んでいるのか」


 暗く、険しい森の中。あちらこちらから、奇妙な声や光がまるで2人を誘うかのように現れては消える。


「人ではなく、魔女ですよ、レイモンド様」

「はっ。そうだったな」


 もう1人の言葉に、男は乾いた笑いを吐き出した。


「魔女か。…会うのは初めてだな」

「そうそう出会うことなど、ないですから」

「それもそうだな。話が通じればよいが」


 会ったことのない、奇妙な噂だけの存在を想像し、男はその美しい顔に笑みを浮かべた。


「……あ!レイモンド様。あれは」

「ん?どうした」


 険しい道を歩き続け、不満も疲れも限界になりそうな頃。

 少し先にひらけた場所があることに気付き、2人のうち背の高い方の男が前方を指差す。

 もう1人の男が指差す先をよく見ると、そこには何やら建物があるようだった。


「もしかすると、あれかもしれないな。急ぐぞ、ラウル」

「はい」


 ようやく見えた、であろう場所に、2人は胸を躍らせる。

 思わず早くなる足が、土や木の根に取られてしまわないように気を付けながら、2人はその場所へと急いだ。


 

 覆う木々は、まるで2人をその場所へと誘い入れるかのように無くなり、開けた場所に出る。

 遮るものがなくなり、急な陽の光の眩しさが2人を襲う。

 ずっと薄暗い森の中を歩いてきた2人にとっては久々の陽の光。その眩しさに思わず目を細めた。


 開けた場所には、煉瓦造りの可愛らしい家が一軒建っていた。

 あまり大きくはない家。屋根からは煙の立つ煙突が伸び、家の近くには野菜や果実、見たことのない植物までがみずみずしく育つ畑があった。

 煙が立ち、植物が育っているところを見ると、どうやらここに誰かが住んでいるのは間違いないようだ。


「…ここが魔女様の家だと、嬉しいんだがな」


 そうでなければ、この怪しげな森をくたくたになるまで歩いた努力が報われない。

 2人は家の玄関へと近付く。

 古びた玄関の扉には、木製のプレートが下げられていた。


『香りをお求めの方は、お入りください』


 2人は書かれていた文字に安堵の息を漏らす。


「どうやらここで間違いないようだな」

「そのようですね」

「さっそく入ってみようか」


 分厚く重い、その木の扉を引く。

 カラン、という心地の良いベルの音が鳴り響くと、中からは温かな空気とともに、なんとも言えない良い匂いが2人を包む。


 中には、草花やよくわからないものが瓶に詰められ並べられたいくつもの棚がひしめいている。

 奥の方にはたくさんのフラスコや器具、火のついたかまどと煙をあげる鍋。

 玄関の正面にはよく磨かれたショーケースが置かれていた。ショーケース中には空っぽの美しい瓶や入れ物が何個か並べられていた。

 そして。


「王の使いで参った。メアリー・フォーサイスという人物を探しているのだが」


 男は、ショーケースの奥に暇そうに座る赤毛の女性に声をかけた。

 彼女は2人の姿に驚いたように目を少し見開くと、その名前を聞き不機嫌そうに眉を寄せて言った。


「…メアリー・フォーサイスは、3ヶ月前に亡くなりましたよ」

「なんだと」


 女性の言葉に、2人は動揺を見せる。

 わざわざここまで来たというのに、亡くなっただなんて。


「…ここに似つかわしくないご身分の方が、わざわざあの森をしてまでいらっしゃったところ恐縮ですが」


 女性はぶっきらぼうに言うと、手元に持っていた分厚い本に目を落とし、2人に興味が無さそうに息を吐いた。


「用が無くなったのなら、お引き取りください。お力になれることは、ありません」


 あまりの態度の悪さと失望感で、2人は呆気に取られ、言葉を失う。

 家の中には、かまどの薪が爆ぜる音と、本の紙が擦れる音だけが響く。

 すると背の高い方の男が、低い声で、怒りを堪えながら言った。


「我々は人を探してここまで来たんだ。その態度はあんまりではないか」


 普通の子供程度なら、彼の発した声だけで泣いてしまいそうなほどの威圧感。

 けれど女性はそんな彼の言葉が聞こえていないかのように、本から目を離すことなく、見向きもしない。


「おい。聞こえているのか!」

「…やめろ、ラウル。失礼だろう」

「しかし、失礼なのはこの女性の方では」

「いいからやめろ。突然申し訳なかった。お嬢さん、我々は王命で」

「時戻りの魔女を探しているんでしょう」


 女性の手に持っていた本が、乱暴にバタンっと閉じられる。

 大袈裟なほど大きなため息を吐くと、女性は怒ったように2人を睨みつけた。


「…そうだが、なぜわかった」

「そりゃあ分かるわよ。ひとつはここに来て、香りを求めるのではなく、メアリーの名前を尋ねたこと。もうひとつは、その靴と服」


 女性は2人の姿を指差す。

 庶民には手にすることが出来なそうな上質な服と靴。しかもそれが森を抜けてきたせいで、服は薄汚れ、靴は泥まみれだった。

 2人は家を見つけたことに夢中で、自身の汚れた姿には気付いていなかったようで、自分の姿に目を向けると驚いたように目を見開く。


「このような格好で、すまない」

「そもそもこの場所に、滅多にを着れるような人は訪れないし、知っている人はあんな森を抜けてなんて来ない」

「…他の道があったのか?」

「ええ。明るくて、安全で、はるかに早く辿り着ける道がね」


 2人はせっかくここまで、あの森を抜けたというのに、他の道があったと知り、あからさまにがっかりしていた。


「そんな苦労と危険を冒してまで、身分の高い方が、いくら王命とはいえ、ただの香りを買いにここまで来るわけがない」

「…悔しいがその通りだ」

「でも残念だけど、あなた達の求めるメアリー・フォーサイスはもうこの世にはいない。悪いけど、陛下には見つからなかった、と言ってもらうしかないわね」

「……君は?」

「え?」

「ここは、時戻りの魔女メアリー・フォーサイスの家だと聞いて来た。けれどメアリーはもういない。ならば、ここにいる君は一体誰なんだ」


 男の言葉に、女性はわずかに動揺を見せる。


「メアリー・フォーサイスのことは知っているようだから、どうやら勝手にここに住んでいる泥棒なわけでもなさそうだ。ならば君は誰だ」

「…人に尋ねる時は、まずはご自分から、と習わなかったのかしら」


 レイモンドは女性の言葉に、それもそうか、と呟くと頭を下げて言う。


「失礼した。私はレイモンド・アルバートだ。こっちは部下のラウル。ここへは先程も言った通り、王命で参った」

「アルバート…。ご立派なお貴族様だわ。それも公爵様」

「おや。よくご存知で」

「このリムヴァルトに住んでて、その名を知らない人なんかいないわよ。…それで、王命って?」

「それと王命の内容は教えられない。君が誰か分からないうちはな、可愛いお嬢さん」

「…お嬢さんって呼ばないで」

「ははっ。すまない、つい、な」


 女性はレイモンドの言うことに、不満そうな表情を浮かべる。それを見てレイモンドは面白そうに笑った。

 笑いを浮かべる彼に、彼女はますます不満気な顔をすると、少し考えるように眉を寄せた。

 すると諦めたように息を吐き言う。


「…はぁ、わかったわ。私はエレノア・フォーサイス。あなた達がお求めの、時戻りの魔女よ」


 エレノアは、レイモンドに向けて、その美しい夜空を写したような青い瞳を細めていたずらっぽく笑った。

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