第15話 旅立ち(3)
「……うん、ちょっとぶかぶかだけど、似合うね。なんか急に大人びたよ」
ロザンナさんが満足気に腕を組み、わたしは赤くなってうつむいた。
アルベルトさんとトニオお爺さんが、果樹園で馬車に林檎を積み込むあいだ、わたしは小屋で尼僧服を脱ぎ、ロザンナさんがくれた服に着替えていた。
たっぷりと布を使ったワンピースなど、着たことがなくて落ち着かない。
「……ありがとうございます」
「いいって。じゃ、こっちの黒づくめは、あたしが後で燃しとくよ。憲兵隊に見つかったら厄介だからね」
「お願いします」
頭を下げ、それから、わたしは暖炉の上に置いてあった白と黒の猫を、新しい服のポケットに入れた。白と黒の小さな猫が、茶色い布の間におさまる。
反対側のポケットには、カーラがくれたハンカチを入れる。頭に巻いていたのを外してたたむと、目から涙がこぼれた。ぐっと目をつぶり、それから、代わりの布帽子をかぶる。わたしの荷物はこれだけだ。
ロザンナさんと二人、小道を果樹園まで急ぐ。村の女の子たちのようにスカートをひるがえして走る自分が、なんだか、違う人間になったような気がした。それが嫌という訳じゃない。ただ、少し怖い。
「アルベルト!」
ロザンナさんが手をあげる。大きな木箱を抱えた三人が、荷馬車のそばで振り返る。
「どうだい、似合うだろ」
そう言って前に押し出され、わたしはさらに赤くなった。恥ずかしい。
アルベルトさんはわたしをちらりと見て、そのまま林檎箱に目を戻した。小さくうなずく。
「そうだな」
「あんた、もっと他に言いようはないのかい」
「よう似おうとるよ。すっかり村娘だ」
とトニオお爺さん。
「うーん……なんか普通だな」
とマルコ。
「普通でいいんだよ、普通で」
ロザンナさんが言い、林檎箱が積み上がった荷台を見る。
「この中にマルティナを隠すんだろ? それで、どこまで行くんだい?」
「ちょいとまあ、ひとっ走り足を伸ばしてだな、ラドナまで行こうかと思っとる。その先にわしの知り合いがおるから、頼めば馬車を出してくれるじゃろう」
「すまないな」
とアルベルトさん。
「なに、長年の付き合いじゃ」
とトニオお爺さん。
「――マルティナ」
突然、アルベルトさんに名前を呼ばれて、わたしは思わず飛び上がった。
「えっ? は、はい!」
「ここに入れ」
アルベルトさんが、大きな林檎箱を指し示す。
「あっ、はい!」
うなずきながらも、さらに顔が赤くなるのを止められない。マルティナ、と名前で呼ばれたのは、始めてだ。
「体がちっこくて良かったなあ。狭いが、辛抱するんじゃよ」
トニオお爺さんの手を借りながら、林檎箱の中に膝を立てて座る。ロザンナさんとマルコが、足や膝の上に林檎を乗せてくれる。
「いいなあ、俺もやりてえなあ」
上からのぞき込んだマルコが、いかにも羨ましそうに言う。
「馬鹿言うんじゃないよ! ――布をかけるけど、大丈夫かい? マルティナ」
「はい」
……って、ロザンナさんともマルコとも、もしかして、これでお別れなの? 馬用の毛布をかけてもらいながら、わたしは慌てて言った。
「あ、あの、ありがとうございましたロザンナさん、ロザンナさんがいなかったら、わたし――」
「いいよ、あたしだって手伝ってもらったからね。ほとぼりが冷めたら、また会いに来ておくれ」
「はい! ――マルコも! ありがとう!」
「おう」
と元気よくマルコが答える。
「積むぞ」
アルベルトさんがやってきて、トニオお爺さんと二人で箱を抱えあげた。ぐらり、と大きく箱が傾く。
「御者席のすぐ後ろに乗せるからの。何かあったら言うんじゃよ」
「はい、ありがとうございます」
ごとん、と箱が荷台に下ろされる。ごとごとと、二人が御者席に乗り込む。ぴしり、と手綱が馬の背を打つ。
「じゃあね、頑張るんだよ、マルティナ」
「はい! ロザンナさんも!」
言い合ううちに、馬車は走り始めた。ばたばたとした、忙しない別れだった。
+
お屋敷の裏門を、咎められずに通りぬける。そこから街道に出て、村の表通りを進む。
林檎箱の板の隙間から、わたしは初めて見る村を眺めた。道ぞいに続く石造りの家々、石畳みの敷かれた小さな広場。酒屋と旅籠、石造りの古い聖堂。
一冬のあいだ、ここにいたけれど、こんな景色は見たことがなかった。わたしはアルベルトさんの畑と、松林と、ロザンナさんの家しか知らない。そうしろと言ったのはアルベルトさんで、でも、それで正しかったのだと、今はわかる。ここには、よそ者が逃げ隠れする場所などない。
もし、この道を、わたしが一人で歩いて逃げたとしても、逃げ切ることは出来ないだろう。この村を抜けもしないうちに、捕まってしまうに違いない。――それを思えば、今のこの状況がありがたく、けれど、同時に苦しくもあった。
だって、みんなは。
みんなはどうなるのだろう。カーラは、フィオは、他の子たちはどうなるのだろう。どこに連れて行かれるのだろう。どんな目に合うのだろう。今この瞬間だって、何をされているか――。
考えると、涙が出てくる。
わたしは顔を伏せた。
どうにかしようと思ったところで、どうしようもないことは判っている。
けれど、わたしは一人で逃げようとしている。また、一人で逃げようとしている。
……神様。
わたしは罪深いしもべで、あなたを信じることが出来ません。
でも、どうか。
どうか、みんなを守ってください。
馬車は走り続ける。
どこまでも走り続ける。
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