第12話 聖誕祭
そして、聖誕祭がやってきた。
新教国でも旧教国でも、聖誕祭には、親しい人と贈り物を渡し合う習わしだ。
お祭りの前日、ロザンナさんはこっそり、村の人達に配る生姜パンを、わたしとアルベルトさんにも分けてくれた。
「聖誕祭だからね。あんたにも贈り物さ。……わたしが渡したってのは内緒だよ?」
そう、ロザンナさんは言った。
「アルベルトはともかく、あんたにもあげたってなると、聖堂の連中が色々とうるさいからね」
生地が黒くなるほど糖蜜を混ぜ込み、生姜でぴりりと風味をつけたパンは、とても美味しそうだった。
わたしも、お返しに、松ぼっくりで作った鹿の人形をあげた。細い松の枝の足と角をもち、背中に真っ赤なナナカマドの実を積んだ、手のひらほどの小さな鹿は、新教徒も旧教徒も変わらない、伝統的な聖誕祭の飾りだ。
わたしは同じものをマルコにもあげ、カーラにもあげた。マルコは目を丸くして喜び、カーラも歓声をあげた――うわ、懐かしい! こういうの、昔よく作ったわよね! そう言って笑った。
アルベルトさんには、松林で一番大きな松ぼっくりを使って、幾重にも枝分かれした角のついた、特別大きくて立派な鹿を作った。魔除けのナナカマドの実を山ほど積んだ、いかにもご利益のありそうなやつだ。
「聖誕祭おめでとうございます、アルベルトさん!」
そう言って渡すと、アルベルトさんは少し驚いた顔をした。
それからじっと鹿に見入り、一言、
「……器用だな」
と言った。
その言い方が、いかにも感心した風だったので、わたしは思わず笑ってしまった。
そうですよ? わたしだって、それなりに色々出来るんですからね。
+
そして、聖誕祭の当日が来た。
今日は、縫い物仕事はお休みだ。ロザンナさんたち村の人は、みんなで聖堂に集まり、お坊さんのお説教を聞いて、聖歌を歌う。
それから、子供たちにちょっとしたプレゼントをしたり、貧しい人の家にパンと肉を配ったりして、夜にはそれぞれの家で、色々なご馳走やワインやケーキ、生姜パンを食べてお祝いするのだ。
つまり聖誕祭は、一年で一番大切なお祭りであるのと同時に、一年で一番豪華な晩餐の日でもあるのだ。お屋敷の中では、カーラたち使用人は大忙しだろう。
逆に、外の使用人は丸一日、お暇をもらうのが通例で、アルベルトさんも、今日は仕事がお休みだった。本来は、家に帰って、家族で晩餐をとるためのお休みなのだけれど、アルベルトさんに帰る家はない。もちろん、わたしにも。
そこで、二人で聖誕祭のお祝いをすることになった。
わたしは雪が降るなか、松林に行って、赤い実がびっしりついたナナカマドの枝を切ってきた。凍りついた雪を払い、大きな束を作って緑の蔦で縛り、小屋の壁にかけて、聖誕祭の飾りにする。
お昼ごろ、アルベルトさんがお屋敷の食堂で、割りあてのワインと少しの七面鳥をもらってきた。聖誕祭の日にだけ、使用人にも分け与えられるご馳走だ。
「一人分しかなくて悪いが」
「いいえ、十分です」
人数外のわたしまで、ご馳走をもらえるはずもない。むしろ、アルベルトさんの分を分けてもらうのが申し訳ない。
バスケットに入った七面鳥とワイン、そして、ロザンナさんがくれた二人分の生姜パンを、わたしはヒイラギの葉とナナカマドで飾った。こうすれば、少しの七面鳥も豪華に見える。
最後に火をつけたカンテラと、立派な松ぼっくりの鹿を置いたら、お祝いの食卓の完成だ。
「……大したもんだな」
ちょっと驚いたように、アルベルトさんが言う。
「毎年のことで、慣れてますから」
そう言って、わたしは胸を張った。
「いつもは、尼僧院に来る村の人たちのために、飾りつけするんです。自分たちのためにやったのは、わたしも初めてです」
支度がととのうと、いよいよ晩餐だ。
まだ外は明るく、夕食には早いけれど、今日は仕事のない日だ。ゆっくり食べればいい。
七面鳥を前に、わたしは目を閉じ、感謝の祈りを唱えた。
と言っても、旧教徒と新教徒がつどう晩餐の席に、どんな祈りがふさわしいのかわからない。結局、新教徒であっても旧教徒であっても変わらない、短い文言だけにした。
「神様、今日の糧に感謝いたします。御国が平安であるごとく、地上も平安でありますよう、どうかお守り下さい」
それから目を開けると、アルベルトさんが驚いたようにこちらを見ていた。え?
「ど、どうかしましたか」
旧教徒であるわたしが、お祈りなどしてはいけなかっただろうか。
「いや」
アルベルトさんは首を横に振った。
「……そう言えば尼僧だったな、と思っただけだ」
その言葉に、わたしはほっとした。どうやら、嫌がられたのではなさそうだ。
「尼僧じゃありませんよ。まだ見習いでした」
神に仕える尼僧の誓いも、まだ立てていない。
「それに――本当言うとわたし、それほど信心深いわけじゃなかったんです。教えをきちんと信じられているのかどうか、自分でも判らなくて」
修道士長様は、いつも仰っていた。御言葉を信じろ。聖堂に仕えろ。隣人を愛せ。そうすれば平安が得られる。
でもわたしは、本当かしら、と思っていた。だってそれが本当なら、どうしてこの世に、こんなにたくさん悲しいことがあるの。
「十分、ちゃんとしてるだろう」
そう言うと、アルベルトさんは二つに切りわけた七面鳥に手を伸ばした。
「俺はもうずっと、聖堂にも行ってない」
「昔は行ってらしたんですか?」
意外に思って、わたしは聞いた。
すると、アルベルトさんは黙った。それから、言った。
「……父親が死ぬまでは」
その口調に、わたしはどきりとした。
なんとなく、察する。
おそらく、アルベルトさんのお父様は、優しい方だったのだろう。御教えを守って神様を信じ、隣人を愛する、善良な方だったのに違いない。
だって、アルベルトさんを見ていればわかる。わたしのような厄介者でさえ、振りはらえずに、引き受けてしまうアルベルトさん。そのアルベルトさんを育てた方が、心の冷たい人であるわけがない。
だから……。
だから、アルベルトさんは絶望したのだ。
そんなお父様を貧乏にし、その命を守らなかった神様を、信じることができなくなった。
わたしも一緒だ。
わたしも、神様の愛を信じきれない。見たこともない天上の神様より、会ったことのない家族に会いたいと、そう願わずにはいられない。
+
楽しい時間がすぎるのは早い。
生まれて初めて七面鳥を食べ――栗鼠以外の焼肉を食べたことがなかったので、柔らかくてびっくりした――赤いワインを少しだけ頂き、ちびちびと食べていた生姜パンもなくなると、年に一度の晩餐は終わってしまった。
わたしはワインの入っていた水差しを洗い、バスケットにしまった。
それから小屋にある、二枚しかないお皿も洗ってしまうと、どうしよう。まだ夕方にもならないのに、することがなくなってしまった。
たまのお休みというのは、これだから困る。時間のつぶし方がわからなくなってしまう。
わたしは小屋の戸を少し開けて、外を見た。
外は小雪がちらついていた。樹々は白い帽子をかぶり、足跡一つないまっさらな雪が、小屋を取りかこんでいる。灰色の雪雲から射す、薄い光。
昼下がりをすぎ、あたりの気温は下がりはじめていた。
けれど、小屋の中は暖かい。アルベルトさんが薪をたくさん焚いてくださるおかげで、ぽかぽかして、とても居心地がいい。
白き雪より まだ白く
神の御手は 清らかに
しんとした景色を眺めながら、気がつくとわたしは、慣れ親しんだ旧教の聖歌を口ずさんでいた。
「――!」
しまった! 思わず手で口をふさいで、わたしはアルベルトさんをふりかえった。
どうしよう。またやってしまった。旧教徒だと露骨に示すようなふるまいは、避けなければならないのに。
「ご、ごめんなさい!」
急いで謝る。すると、アルベルトさんは驚いた顔をした。わたしがなぜ謝っているのか、わからないという顔だった。わたしはうなだれて言い足した。
「あの……今の、旧教の歌でした」
すると、アルベルトさんは戸口の外を見た。少し考え、口を開く。
「いや、いい」
えっ? わたしは顔を上げた。アルベルトさんは目をそらすと、
「……どうせ今日は、近くに誰もいない」
そう言った。そして、さらにしばらく間をおいてから、こう付け足した。
「………………いい声だ」
なぜだろう。その言葉で、わたしは頬が熱くなってしまった。嬉しいのにひどく恥ずかしくて、思わずうつむく。
「う……歌は得意なんです、昔から。前の院長先生にも言われたんです、マルティナ、あなた、二歳の時から歌ってたのよって――」
「二歳?」
珍しく、アルベルトさんが聞き返した。わたしはうなずいた。
「はい。わたし、二歳ぐらいのときに、尼僧院の前に置き去りにされたらしくて」
毛布にくるまって眠るわたしを、誰かが尼僧院の前に置いていったらしい。
まあ、要するに、つまり、捨て子だ。よくある話だ。
「でも、そのときにわたし、歌を覚えていたらしくて。……子守唄を、三曲も」
その三曲は、今でも覚えている。
何度も何度も、くりかえし自分に歌って聞かせた。
「それであるとき、院長先生が言ってくださったんです。マルティナ、たぶん、あなたは赤ちゃんのとき、とても可愛がられていたのよって――」
たとえ、そのあと捨てられたのだとしても。
「……すごくありませんか? わたしには、覚えてしまうぐらい繰り返し、子守唄を歌ってくれるお母さんがいたんです。それも、三曲も」
これまで、この話を誰かにしたことはない。
尼僧院には、親の思い出を持たない子も多い。だから言えなかった。
アルベルトさんに、初めて言った。アルベルトさんになら、言いたいと思った。
「――そうか」
そして、やっぱり、アルベルトさんは判ってくれた。うなずいてくれた。じっと暖炉の炎を見ながら、深く。
けれど、それだけではなかった。彼は顔を上げて、こう言ったのだ。
「……それは、歌わないのか」
「えっ」
「その歌は、歌わないのか」
「えっ……」
歌ってくれ、と言われているのだ。
わたしは思わず顔をあげた。すると、アルベルトさんと目が合った。
どうしよう。胸がどきどきする。なんだか今日は、いつもと違う。いつもより静かなせいだろうか。丸一日も二人でいるからだろうか。
わたしは狼狽し、もじもじした。けれど、思い切って勇気を出して、小さく言った。
「じゃあ……その。一番お気に入りのを、歌います」
頬が熱い。恥ずかしい。でも、本当は聞いてもらえるのが嬉しい。
だから。
大きく息を一つ吸うと、わたしは歌い始めた。昔からある子守唄を。
暖炉の前で ごろごろいうよ
白い子猫ちゃん
黒い子猫ちゃん
子猫ちゃんみんな お腹がいっぱい
さあさあ ねんね
ねんねしな――
+
翌朝。
寝床で目を覚ましたわたしは、びっくりした。
アルベルトさんが、昨夜、暖炉の前で何かをしていたのは知っていた。
しゃ、しゃ、と規則的な音を立てて、ナイフで木っ端を削っていた。アルベルトさんは木を削って細工をするのが上手い。
けれど、まさか。
暖炉の前の、小さな足台の上にあったのは、親指ほどの大きさの、二匹の木彫りの猫だった。
一匹は白木のまま。もう一匹は、燃えさしのすすで全身を黒く染めてある。
「……あの鹿の礼だ」
起き上がり、猫に気づいたわたしに、アルベルトさんが言った。
少し面映ゆいように、顔半分を暖炉の方に向けている。
「あ、ありがとう、ございます……」
言って、わたしは猫を手に取った。ちいさな白と黒の猫。小さな白と黒のしっぽ、小さな白と黒の目、小さな白と黒の、細いひげまで刻んである。こんなに可愛らしいものを貰ったのは初めてだ。
まるで、大切な思い出の歌が、形になって手の中におさまったみたいな。
「――ありがとうございます。とても嬉しい」
嬉しいし、幸せだ。
なのに恥ずかしい。恥ずかしいのに、嬉しい。
「ありがとうございます。大事にします」
アルベルトさんは、うなずいた。
そして、黙って外に水を汲みに出ていった。ちょっと照れたみたいに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます