紂王と妲己
水城洋臣
殷の紂王
その周王室が八百年続き、その間に周辺の冊封国が互いに争う春秋戦国の世が来て、その中から
そんな紀元前の古代国家である殷の最後の王は、史書においては
後世には一般的に
しかし人によっては「紂王の存在があったから「紂」という文字にその意味が付いた」という、因果関係が逆と主張する人もいます。その場合なら生前から紂王と呼ばれているべきとなります。
考察文では紂王、再現小説の文中では子受で統一します。
さて、殷の第三十代の王位に就いた紂王は、容貌は美しく、頭も良く、弁が立ち、さらに戦上手と伝えられ、非常に能力の高い王であった事が伺えます。
しかしそれゆえに、彼は周囲の人間が自分より劣って見えて仕方がなかった事が容易に想像され、高い能力が皮肉にもその傲慢な性格を形作ってしまったというわけです。
更にそうした、周囲の者が全て無能に見えてしまう傲慢さは、逆に言えば人を見る目が無いわけですから、
現代的な視点で考えれば、少なくとも善人・聖人の類では無いのは確かでしょう。
ただここで考えるべきは、紂王は本当に中国史上でも上位を争うほどの暴君であったのか否かであり、ここまでなら、特に紀元前古代国家の君主であるならば、世界を見回したってよくいるタイプの君主でしか無いですね。似たような人格であっても名君と呼ばれる君主は山ほどいます。
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