思惟

考えるべきこと

 自分はかつて、玄野達樹という存在だった。そのことに間違いはない。自分が自分であり、その連続性を証明できるものは自分自身以外には存在しないということ。つまりは、コギト・エルゴ・スム、我思う故に我有り、ということ。それは間違いなく、絶対的に確かなことであるはずだ。


 しかし、そうだとして、今考えているこの自分は何だ? 転生の回数を数えるのは、十回目を最後に辞めた。魔王やら邪神やらを素直に退治してやるのも、やめた。今ではどんな世界に転生させられようと、自分は即座にその世界で最短最善の手段をとって隠棲し、極力誰とも関わらないようにして暮らし、そして寿命を迎えるようにしている。


 だが、それでも、終わらない。もちろん自殺は三回くらい試みたが、どこでどう死んでも別の世界に放り出され直すだけなので、明らかに徒労だからもうやらないことにした。


 自分はなんだ。自分という存在はなんだ。永遠の中を彷徨う、この孤独な魂は何だ?


 遠い昔、自分は冴えない地球人の青年で、異世界に転生して永遠の命を得てハーレムの主として君臨したい、などと思ったことがあったのかもしれない。そうだとすれば、今生じているこの状況は、確かに望んだ通りの状況なのだろう。


 だとすれば、


 絶望することすらできない。


 故に輓歌を謡わなければならない。


  存在していても、存在していなくても、同じなんだよ。

 だから人間には文学というものが必要で、文学は小説でなければならないんだ。


 わたしは永遠を恐れる。そして、無を恐れる。それらはどちらも等しいからだ。

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