第3話

「ファーザーの言いう通りになる。まるで魔法だ、これで世の中で君のような生き辛さを感じている子が減る」


「そう……それは嬉しいわ」


 二人は絡まり合うように身を寄せ合い、互いの冷たさを隠す様に抱き合う。

 お互いが感じ合っていたのは快感でも、幸せでも、満足感でもなかった。あったのはただだこの世の中が退屈でうんざりしているという感覚だった。

 もっと楽しい事はあるのだろう。もっと心を弾ませる事はあるのだろう。だがしかし、彼ら二人にそれらを選び取るだけの余裕がなかった。

 周囲が許さない。環境が許さない。道徳が許さない。許されることなど何一つない。立場が人生が『楽しむ』を忘れていた。逃れる術は知りえない。

 唇と唇が合わさり、ヘビのような舌が絡み合い、お互いを知ろうとしているように、口内を弄られていく。

 呼気に混じるアルコールの刺激的スパイシーな香りに、エルに覆いかぶさり包み込むかのように抱き込む男は、とある製薬会社の主任研究員だという。エルはそんなこと知らなかったし、今夜この場で初めて知って事だった。

 だが彼は、彼女に会う為だけにこの“ヘル・アビス・クラブ”に足を運んでいたのだ。

 回転ベットの上で二人は『心』を開き合い、互いの腹の中身まで見せあうように、繋がり合う。


「ぁアッ……」


 男の指が彼女の股座に延び秘め隠す秘所の中に潜り込んだ。

 彼女の口から洩れるくぐもった声に、男はその反応を待っていたとばかりにイヤらしい笑顔を浮かべて目を血走らせていた。

 少女の肉体を弄ぶ背徳感、それに付随する優越感。未成年娼婦を買うという反道徳的な行いは、彼らが行える唯一の逃げだった。

 エルは普通とは違う、生き方に逃げ道を見つけ。男は未成年と性行為を行うという行為に逃げ道を見つけていた。

 互いが互いにこの退屈な世の中で退屈を紛らわせる為のフレーバーがこのモラリティーを嘲笑う行為。男の手がエルの乳房に延び小さく実る果実をその指で転ばし、捏ね、玩ぶ。


「ファーザーの言う通りにすれば、全てが巧く行く。そうだろうエル」


「ええ、そうね。んっ……」


 彼の力強い腰使いに反応して見せ、微笑むエルに、心は凪いでいた。

 こんなに背徳的な行為をしているのに、心は怯えるどころか退屈さを感じさせていた。仕事の一環だから、その一言で肩が付いていた。

 初めて会うこの男の言う事に一つも心揺さぶられる事が無い。“ファーザー”とはいったい何の事なのか分からない。だが彼はエルを知っている様子であった。


「私をよく知っているのね。あなたは」


「知っているとも。ああ、知っているとも。ファーザーの言いつけで来たんだ。君のような若い子を買うなんて考えてもいなかったが。彼はよく人を見ている。僕の疲れを見抜き、その疲れの捌け口を見つけてくれた。まさしく大いなる父親ゴッド・ファーザーだ。新しい薬ももうすぐ君の手に届くようになる」


 彼はエルを味わうように彼女の肉体を堪能するように首筋に鼻を近づけ魅惑的なその香りを鼻孔の隅々まで満たす様に匂う。

 彼の言う『薬』が一体どんな効果があるのかエルは知らなかった。知る必要もなかった。何せエル自身産まれてこの方病気と言える病気にかかった事が無かった、風邪もひかず、コロナやインフルエンザにもかかった事が無かった。

 有り体に言えば超健康体なその肉体をこのような売春婦で駆使するなど、世間は許してくれないだろう。成人もしていない子供が大人に抱かれるなんて言語道断と断罪されるだろう。

 だが少しだけ期待している。そう言われる事に罰せられることに。

 罰があるならそれでよかった。少しでも心が動く事がある事象が起こるならそれでよかった。彼がHIVを持っていてその病でのたうち苦しむならそれでよかった。

 だって希望が見いだせないから、反対の絶望もエルは見いだせなかった。だから絶望を知れば、希望も見いだせると壊滅的な逆説論ロジックを以て破滅願望のようなそれに今日も身を任せていた。

 男の愛撫は程々に本番を遂に始めていた。

 熱く熱された鉄の棒を思わせ彼女を裂く熱に、何の愉しみも感じなかった。ただ演技を続け、私はあなたの行いに気持ち良さを感じているというパフォーマンスしなくてはならなかった。そうすることで彼らが満足しより多くのlikeを払うのだから、文句は言いようがなかった。

 ただ体を提供しそれに満足されるのならばそれでよかった。いっその事、乱暴に扱って絶望の淵に突き落とされるような暴力的なプレイをしてくれる客を引き恐怖したいものだ。

 エルは被虐性欲マゾヒズムを嗜む趣向はないが、そう言った楽しみ方を知っている同僚の子たちは多くいて、その子たちは決まって傷だらけ。歯が欠けていたり、鼻が折れていたり、目を真っ青に腫らしている。客の加虐性欲サディズムを満たす哀れな子たち。本人たちもそれでいいと考えているからに客と娼婦のニーズが合致した結果である。

 エルはちょっとだけそんな彼女らに憧れを感じていた。いたぶられるのが羨ましいのではない、彼女たちの生き方に憧れていた。

 あれだけの暴力を受けながら、あれだけの虐げを受けながら、彼女たちは決して自分を哀れんだりお情けを貰うようなことはしなかった。体の傷は幾らでも直せる、再生医療はまさしく魔法、傷跡なんて残らない治療法が確立していて片腕を失っても『生えて』来るぐらいには医療は進化している。

 そのの医療技術もここ『バビロン特区市』で開発された医療で不慮の事故も今では転んで擦りむいた小さな傷同然だった。

 事情はどうあれ彼女たちは自らの生き方を至高の悦びとしていて自らを不憫には思っていないとこだった。

 彼女たちが羨ましい。自らを捧げる生き方を得ている彼女たちが。満ち足りて彼女たちは代わるがわるSの人と有り体に言う『愛情』というモノを共有していた。

 エルに愛情は分からない。愛情を注がれるだけの時間、両親と過ごした時間は多くはない。母親は早いうちから蒸発して父親も今では旧ロシア圏の墓地の中だ。

 施設でも愛情は教わらなかった。性的な悪戯を受けて、他の子たちとここ私たちの居場所じゃないと話し合い脱走して飛び込んだ世の中で、より最低な場所に居場所を見つけるのは容易ではなかった。

 私の居場所はここじゃない。だってここはとにかく退屈で、暇なのだから。


「うっ……あぁ……」


 男の脱力するような表情に、エルはは微笑んで見せる。ゴールインを祝う観客のように彼の頑張りを讃えるようにそっと唇を重ね合わせた。

 熱く溜まるそれを腹に抱え、私はいつものを取り出した。


「パウダーわ?」


「ああ、良いとも」


 小さな化粧容器に入った純白の結晶。決して違法なモノではない、ただのCBDパウダーだ。

 エルは汗ばんだ体でベットを立ち、ミニバーで彼を送るカクテルを作り始める。

 グラスの縁にレモン果汁を塗りCBDパウダーを塗し、グラスにテキーラ、オレンジジュースを入れステア。グレナデン・シロップを沈める。果実類が無いため少し飾り気が足りないが致し方なかった。

 部屋に備え付けられたベルがチリンチリンと鳴り、彼との一夜を報せる。

 そっと彼の傍に座りカクテルを差し出す。


「テキーラ・サンライズよ。いい夜明けを迎えれるように。ね?」


「ありがとう。君は本当に美しく、愛らしく、そして癒してくれた」


 そう言いグラスを持った彼は静かにそれを楽しんでいた。さあ仕上げだ。


「──楽になっていいのよ──」


 毒を流し込むように彼の脳味噌に直撃させるエルの囁き声。エル・ディアブロを彼の魂の中に書き足す様に、耳を強姦し、命を汚していく声に彼の目から精気が消えていく。私はここにいた。そういった痕跡を残すためのちょっとした御呪い。

 気の抜けたような彼の表情に頬に軽いキスをして部屋から送り出した。一人となった部屋でエルは静かに街の景観を眺めた。

 この街に来ていたいどれだけの時間が経っただろう。そう長い事いたわけではないだろうが、ここが心のオアシスに感じるには時間が足りなかった。

 誰かの為に尽くす人生を探してバビロン特区市まで流れ着いてきたエル・ディアブロに夜の世界はうってつけだった。

 両親もすでに死んでいて身元保証人も居らず、孤児院施設から逃げ出してきた少女に選択肢など無いに等しかった。そんな少女に居場所を与えてくれた“ヘル・アビス・クラブ”のオーナーであるゴッドマザーに感謝しないといけない。

 大戦渦を生き延びだ人で、誰よりも厳しく誰よりも甘いオーナーのゴッドマザーは今まであってきた人の中で誰よりも親を演じ切っていた。このクラブで五人の娼婦を囲い続けるのにはマザーが子供を欲していたからだった。その子供を男に売るというのはどうなのかと言うと道徳的ではないのだが、それでも少なくとも路上で生活するよりかはまともな生活は出来ていた。

 夜は深い、その暗闇に抱かれながら私はバビロン市街地の幾何学的な構造をした巨大な建築物はあまりにも美し過ぎた。私もいつかあそこに行きたいと思うのは贅沢だろうか。

 “バビロンの空中庭園エアー・ガーデン”。そう呼ばれるビルの美しさに惚れ込んで、エルは今日もこのVIPルームを取れたことを誇らしく思う。

 この部屋はバビロンの街を眺めるのには一番ここがいい。輝かしいこの街に暗い過去を持ち込むのは野暮に思える。だが光のある所に影は産まれる。人の世もそう、売春婦は何処にでも落ち、巣食う。

 バビロン市の景観に憧れる少女は一人、孤独と退屈を紛らわせるに必死だった。

 もう寝よう、そう決めて室温を下げて退屈な現実から目を背ける為に酒を呷った。未成年で飲酒とは何事かと何度か言われたことがあったがエルはバーテンダーでありその味を知らなければ成り立たない仕事だったからに、そう言い訳エクスキューズして世間の目を逃れていた。

 今ではぐんと生産量も流通量も少なくなった高級酒である日本酒を注ぐ。シャンパンのように飲みやすく出来ていない酒でチビチビと飲みながらエルは駐車場をチラリと見た。

 今時珍しいガソリン車が止まっていてエンジンが掛かっていた。そこにいる男がこちらを見ていた。何やらいやらしい顔つきで指鉄砲をこちらに向けて笑っていた。

 覗き趣味の出歯亀ピーピング・トムめ。私たちを買うだけのlikeも持ち合わせていないような男たちが今日も窓辺に立つ私たちをオカズにしこしこしている。

 エル・ディアブロはこのバビロン特区市ではかなり高嶺の花、高級娼婦だ。偉い政治家や、資産家の娯楽アミューズメントのコンテンツ。路上で買われる安娼婦よりもずっと体は健全だし病気もない、締りもよく、極上の体を提供する。それが彼女の価値、フレアバーテンダーはその付属品でしかなかった。

 ベットに飛び込んで、いつでも寝られるように天井を仰ぐ。

 ゆっくりと、じわじわと日本酒のアルコールがエルの脳味噌を破壊して意識を軽薄にしていく。世の中は退屈だ、だがそれを変えようとする勇気もなかった。

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