ポスト・ジェネレーション

我楽娯兵

第1話

「──楽しくない。──暇。──退屈」


 夢なんてない。希望なんて産まれてからずっとない。彼女の人生に一つでも輝ける人生があっただろうか。ある筈がなかった。

 骨の髄から震わせる大音量の音楽。スポットライトの炯々と光る閃光と鼻腔を抜ける刺激的な酒精の香りは彼女の全てを物語っていた。

 彼女の立つ舞台は言うなればバーテンダーという業種に分類される職業だった。バーテンダーでも少し特殊な『フレアバーテンディング』。

 グラスを揃え、ボトルを投げて宙を舞わせ、規定通りに手元へと戻す。要はジャグリングと一緒だ、それが瓶であるかないかの違いだ。

 まるで魔法か、彼女の操るボトル、グラス、シェイカー、メジャー・カップ、マドラーに至るまで、彼女を中心に数メートル範囲が全て彼女の領域テリトリーだった。

 フレアバーテンダーにとってショーは自己表現の場であると彼女の先輩は言っていた。しかし彼女にとってここは身を売る場でしかなかった。

 場末のクラブバーというには些か規模が大きすぎる会場で繰り広げられるのは酒を提供するだけでは飽き足らなかった。要は、自分をどれだけ価値があるのか客にアピールして、彼らに買ってもらうのを目的としたショー、売春の場所だった。

 芸を覚えた猿はバナナを貰える。人でならそれは性的な接待を伴う。

 ただ春を鬻ぐだけならば路上で十分だ。だがそれではlikeにならない。だから猿は猿でも芸を覚えた猿で在らなければならなかった。

 同じ施設の子は歌が得意だった。歌手となって歌を披露する傍ら、こうした場所でパートナーを探していた。

 別の子は癒すことが得意だった。だから昼は保育士の傍ら夜には子供に戻りたい可哀想な人の為に一夜の母親になっている。子供が持ちえないであろう性的な欲望の捌け口となっていた。

 芸を覚えればそれだけ付加価値があった。芸が己を高めてlikeを稼ぐ価値となる。

 彼女に愛想と言われる物はなかった。あったのは凍てつくような凍えたそれで、偏に無愛想と言われればそうだったが、少しでもまともに聞こえるように言うのなら達観していると言うべきだった。


「──はァ……」


 客に聞こえない、マイクも拾わないような小さな溜息。

 記憶がハッキリとしている中で、ずっと吐き続けている溜息はもはや彼女にとっての呪文、少しでもこの退屈を紛らわせるだけの価値がこの世界にあると願う呪文だった。

 意味があるのかは分からない。意味などないのかもしれない。だが彼女はこの退屈な世の中で希望や夢と呼ばれる願望を求めてため息を付き続けた。

 テキーラボトルを逆さにしキッチリ四秒、30mℓ。それを三回。テキーラを注ぐ三回の中でそれを隠す様に宙を舞うクレーム・ド・カシスで合間を縫うように二秒ずつタンブラーに注ぐ。

 両瓶とも空中で舞う最中に底を軽く叩きスピンさせ口の部分を掴み、いつの間にかに摘まみだしたバースプーンで三つのタンブラーを優しく混ぜるステア

 三本目のボトルを台から摘まみ宙へと放り、それが底を起点に彼女の額に制止する。

 奇蹟的なバランスで保たれるそれに、両手の瓶を宙へ投げ額の瓶、ジンジャー・エールを適量、三つのタンブラーに入れ尽かさずタンブラーにカットライムを添えた。

 中から降りてくるカシスとテキーラのボトルを片腕の上に、乗った。

 見事なショーだった。彼女自身で満足の行く自己表現フレアだった。

 台に三本のボトルを戻し、客にそれを出した。


 ──エル・ディアブロ。


 彼女が最も得意とするカクテルであり、彼女の名前にもなっている。

 悪魔の名前を冠したその名前に納得はせずとも、頷けるだけには彼女はそう呼ばれ続けた。

 エル、エル、エル。エル・ディアブロ。

 “酒精の悪戯妖精”、“早熟の幼きデビル”、“愛らしい紅色の小悪魔”。

 色々な呼び名があったが総じて言えるのは彼女と一夜を共にした相手は大なり小なり必ず痛い目を見るということだった。ある者はひどい二日酔いに悩まされ、ある者は財布をスラれ、ある者は交通事故で死んだ。

 彼女と一夜を共にするというのはある種のアトラクションであり、肝試し、そして運試しだった。彼女自身一夜を共にするのはある種のジンクスであり不幸の象徴、悪徳の系譜だった。

 不幸を呼び込む悪魔エル・ディアブロ。そう呼ばれる頃には彼女は既に上り詰めていた。この島で、樺太と呼ばれたこの島で、『バビロン特区市』で彼女は誰もが引く手数多の未成年娼婦ティーン・バビロンになっていた。

 彼女にとってショーは自己表現の場であると同時に自分を切り売りする場でもあった。そこに疑問なんてなかったしそんなものが介在するだけの余力はこの世の中でありはしなかった。

 “大戦渦”と呼ばれる戦争から世界は立ち直るのに然程の時間は要さなかった。世界各地で戦争は起こって、数えきれない人間が死んだ。

 でもエルは生きていた。ただ単に運が良かったのか、それとも顔も思い出せない親が必死で樺太のこのバビロン特区市に避難させてくれたからだろうか。

 原因はどうであれ、結果として彼女は生き残っていた。

 エル。エル・ディブロ。悪魔の名前を持った彼女を買い求める客は多くいる。今日も今日とて夜になれば彼女を求めて誘蛾灯に群がる虫のように男たちが群がり、彼女の芸を見て、その価値を見初めその肉体を求めて買い競り合う。

 それが彼女の価値、生きる糧だった。

 フレアバーの悪魔。バビロンの淫婦たちの中でも一際輝く大淫婦アダルト・スター

 本名は、名前はとうの昔に忘れてしまった。源氏名セカンド・ネームたる『エル・ディアブロ』に成り着る事で生き残る事が出来た彼女に希望を、夢を問うのはお門違いだった。

 彼女にあるのは果てしない退屈。この世に希望を見出せない凍えついた心境だった。

 サッと上がった二つ入札の札に今宵も不幸を求めてどこぞの男たちが名乗りを上げていた。

 一人は背広のよく似合う男で見るからにアッパークラス、上流階級と呼ばれる人種の人間だった。不幸を呼び込む私を度胸試しに買うように店のボーイたちが囃してている。

 そしてもう一人。酷く縁起の悪そうな、幸の薄そうな男であった。

 頬は窶れてゲッソリとしており、肌色も悪い。だがしかし、それを嘲笑うかのような屈強な身体つきをしていた。

 彼女、エル自身はこの男たちを不幸の渦中に飛び込む自殺志願者スーサイダーであるという事をハッキリと認識していた。

 エルの最も大きな不幸。

 それは自らの名前を冠したこのカクテル、紅色の爽やかなカシスのカクテル『エル・ディアブロ』を振る舞い入札がしたその者が必ず大きな不幸を被ると言う事だった。

 このカクテルを振舞った者は必ず酷い目に合う。

 これを振舞った者は多くいる。その中の一人は父親だった。

 嬉しそうに飲んでいたのを覚えている。飲んだ翌日レイドに巻き込まれて右腕だけになって帰ってきた。

 二人目はエルの身受けになった施設の職員だ。彼は大企業の不正資金洗浄マネーロンダリングのアウトソーシング係であって、それが告発され死刑宣告を受け今まさにいつ死んでもいい状態である。

 三人目は入札した客。その男も医者であったが臓器売買の経歴があり医療薬品当局に告発され即日死刑に処された。

 他にも市議会議員や建築会社の社長、その他諸々の皆が皆とも悪魔の呼び声に応じ、最後の酒を、血のように真っ赤な酒を煽って死んで逝った。まるで自分自身の命を呑んでいくかのように。その肉体に流れる赤い血液のようなエル・ディアブロで不幸になったのだ。

 エル自身も不幸の象徴、そしてこのカクテルは更なる不運の象徴。このピースが揃ったのならもう言う事はなかった。彼らも死ぬんだ。

 エル自身もその事は深く理解していてある意味では幸運だった。

 不幸は使い道がある。その真実を知ったからだった。このクラブバーで酒を振舞うのは好き好んでやっているからじゃあなかった。実入りのいい仕事はなかったが堅気の仕事はごまんとある。しかしながらこの仕事は楽でいてそしてlikeの額がいいからだった。入札者たちに不幸を呼び込む悪魔の少女がいるとなれば店もそれを売りにするのは必然で、この『バビロン特区市』の中で五本の指に入る企業が後ろ盾して邪魔な奴を口実良く抑え込むことが出来る為だった。

 エルを買ったから不幸になったんだ。なんの後ろ暗い背景などない。そうパフォーマンスが出来るから面倒な客を私に嗾けてくるんだ。

 エルはエルが生み出す負のジンクス、不幸の使い道の意味なんて知らない。知る必要もなかった。エルはただ酒を振舞い入札した者と一夜を共にすればいいだけだった。そうすれば少しは楽が出来るからそうするしそうし続ける。

 紅色の悪魔は少女と称するには余りにも魅惑的であり妖艶であった。

 少女と称するには肉付きがいいグラマラス。ロシア人の母のお陰で肌は雪のように白く、中国人の父親のように顔つきは幼くあどけない。

 幼くもありながら女性的なパーツが重なり合い将来的には美女になりえる要素をしっかりと持ち得ていた。

 ステージから降りる姿はまるで女神のようであったが、それもその筈、このクラブバーで一番に稼いでいるのはエルであったからにバーでの渾名は大物喰いデーモン・キングだ。

 人は絶えず何かを奪い取り込み続けなければ淀み腐っていく。何かを成さなければ、何かを達成しなければ、水は腐らないと言われていたが実際は濁り腐るように人も同じに心が腐る。

 何かを成さねばならない。エルはそう考えていたが、成すべきことが見えなかった。

 この希望のない世の中で少女が一人で生きていくには世界は残酷過ぎた。

 一夜でも身を重ねる相手が、心が通じ合い流れる対流する事が出来るのならばそれで良かった。

 この流れゆく世の中で唯一不変であるのは個々人の持つ孤独だけ。孤独を産むのは個人の孤立と周囲の環境からだ。

 孤立と孤独。何ものにも干渉されず何ものにも脅かされない。完璧なまでの一人。エルもその一人だった。

 孤立が人を腐らせるのならすでにエルは腐り果てている。

 店にどんな意図があって彼らをエルに嗾けているのか、それは彼女自身分からなかったし、どうでもよかった。ただ言われるがままに酒を提供し、体を提供し、意識を提供することで生きる事が出来た。

 人と関わり合いになる事でエルは生きている実感が得られると考えるが、それはひどくやすっぽっちで張りぼての建前で、実際彼女の心の中にあるのは退屈の二文字で、いつか彼女は退屈に殺されるのであろうと薄々感じ取っていた。

 退屈は人を殺す。心が死ぬと、体も死ぬ。そう思えてしまって仕方がなかった。

 背広のアッパークラスと幸の薄そうな男が相談して、背広の男の方が私の目の前まで来て手を差し伸べてくる。


「さあ聞こうじゃないか。エル・ディアブロ」


「……えぇ」


 そう簡潔に答えたエルはその手を取って、二階の接待ルームへと登っていく。

 6部屋ある中で真ん中のVIPルームに入った私たちを出迎えたのはガラス張りのバビロン特区市を一望できる部屋で回転ベットとミニバーが出迎えていた。

 男はそそくさと早く始めたいと言わんばかりに上着を脱いでネクタイを緩めているので、エルはソっとその体に身を寄せて囁く。


「夜はまだ浅いわ。……一杯いかが?」


「あぁ……ああ良いとも!」


 男の興奮した様子にクスっと微笑んで見せるエルに男の生唾を呑み込む音が大きく聞こえる。

 ミニバーを開きながらエルは自らもその身に纏う衣服に手を掛けて、スルリと袖から腕を抜いた。まるでマッチ棒のように細く、しかしながら肉感的なその腕は見るだけでも異性の視線を引いてしまう。

 ブランデーとグリーン・ミント・リキュールを取り出し、カクテルグラスを2つ取り出した。シェイカーに2つの液を混ぜ合わせ入れ氷も入れ振るシェイク

 シャカシャカと音を立ててそれを作る彼女後ろ姿は職人と呼ばれるにピッタリな立ち姿だったが、その姿はアダルトな下着だけで、艶やかな背筋の美しさはあまりにも官能的すぎる。むっちりとした尻の肉に男はまだかまだかと鼻の下を長くして待ち、彼女と共に回転ベットの縁に座り、作り立てのそれを手にして夜景を堪能できるこの部屋でグラスをソッと打ち鳴らす。


「“デビル”です。悪魔と一夜を共にするにはいい酒よ」


「フフフっ……君は所作を心得ているようだね。良いとも。ダンスだ」


 男はそれを一息にぐっと飲む。エルは少し唇を尖らせる。

 “デビル”はオール・デイ・カクテルで尚且つサパー・カクテルだ。“ボイラー・メイカー”のようにカパカパ呑まれてはバーテンダーとして作り甲斐が無いという奴だ。

 仕方のない男だった。まあ仕方のない事だった。男とはそういう生き物であるのはエルも重々承知していて、彼女もくッと飲み干しベットの上で誘うように声を掛け囁く。


「さぁ、楽しみましょう。夜は長いわ」

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