29.推しと滝川さんの新たな出会い
コーヒーショップで私がしんみりした話をしてしまった後で、滝川さんは空気を変えるように、違う話題を持って来た。
それが、推しの入り待ちだった。
「ファンクラブのひとしかできないんですけど、沿道からちらっと見るくらいはできるかもしれません」
「生の推しを見られるんですか!?」
「行ってみますか? 朝早いですけど」
「行きます!」
私はその話に飛び付いた。
そういうわけで、滝川さんが迎えに来る前に私はおにぎりを口に詰め込んで、準備をしていた。
滝川さんが来る時間前に、ホテルをチェックアウトして、キャリーケースを駅のコインロッカーに預けて、般若心境トートバッグだけで滝川さんと合流する。
滝川さんも般若心境リュックを背負っていた。
「このトートバッグ、持ってたら、『なんか怒ってる?』って言われるんですよね」
「私も、『この前はごめん』とか、いきなり謝られたことがあります」
「可愛いから持ってるだけなのに」
「可愛いですよね」
般若心境のバッグは相手に威圧感を与えてしまうのか。
解せぬという顔で私と滝川さんは電車に乗る。
劇団の劇場のある駅は、降りたところから華やかだった。
劇団の銅像が飾られている駅を出た道。
道路の真ん中には歩道があって、そこには葉桜になった桜が植えてあって、ベンチも置いてある。
所々に劇団の雰囲気のある銅像なんかもある。
早朝なのでひとは少ないかと思っていたけれど、結構人が集まっている。
劇団の関係者入口の近くの歩道に立つと、トップスターが歩いてくるのが見えた。
「んーーーーー!」
「んんーーーーー!」
私も滝川さんも声にならない悲鳴を上げる。
トップスターはお行儀よく並んでいるファンクラブの方々に挨拶をして、お手紙を受け取って、中に入って行った。
「足細い!」
「全体的に細すぎ!」
「顔がいい」
「それな!」
興奮した私と滝川さんは小声で話していた。
続いてまた役者さんがやってくる。
推しだ!
劇団では二番手だが、私と滝川さんにとっては、最推しの役者さんだ。
優雅に手を振って挨拶している様子に見惚れてしまう。
「推しと同じ空気を吸いました」
「距離はあったけどね」
「今日はいい日です」
「千早さん、まだこれからよ!?」
もう満足しかけている私に滝川さんが鋭くツッコミを入れる。
滝川さんは関西圏のひとなので、イントネーションがそちらを感じさせるし、ツッコミは鋭かった。
公演までの間、私は公式グッズショップを見て回っていた。
公演の写真集やパンフレットが売っている。
「パンフレットは買いますよね」
「写真集は迷います」
「千早さん、せっかく観劇に来たわけじゃないですか。買っておかないと」
「そうですね」
「DVDとBlu-rayの予約も受け付けてますよ!」
滑らかに私に予約の申込書を渡そうとする滝川さんに、私が驚く。
「滝川さんはショップの回し者ですか!?」
「推しにお金が落ちる! これ、いいことね!」
「なんで、片言!?」
DVDとBlu-rayを買うかどうかは、公演を見て決めるということにして、私はパンフレットと写真集はまんまと買わされてしまった。
滝川さんもパンフレットは買っているのでお互い様なのだろう。
公式グッズショップを見ていると、過去の公演の写真などもあって、ついつい手が伸びそうになる。必死に我慢していると、滝川さんが携帯電話を見た。
「そろそろ、時間ですね」
「行きましょう」
公式グッズショップから出て、劇場に向かう。
劇場ではきっちりとソーシャルディスタンスを保って、お客さんが並んでいた。私と滝川さんも並ぶ。
入口で検温されて、手をアルコール消毒して、劇場内に入る。
私と滝川さんの席は、二階の一番前だった。
オペラグラスは持って来ていたので、これは逆に見やすい場所なのではないだろうか。
「このためにオペラグラスを買ったんですよ」
「私は双眼鏡を」
「そこまで!?」
「いつも持ってます」
観劇のときにはいつも双眼鏡を持っているという滝川さん。
チケットは販売サイトに繋がらなくて、繋がったときには売り切れているような状態で、どうやってそんなに観劇できるのだろう。
「滝川さんのチケット確保のコツを知りたいです」
「母と手分けして、私はサイトで、母は電話で取ってますね。抽選には必ず申し込んでいるし。どうしても取れなかったら、当日券を狙いに来ます」
「あー! 当日券!」
当日券を取ることは距離的に私には絶対に無理だ。
地の利を得ている滝川さんが羨ましくなる。
話しているうちに上演時間になっていた。
アナウンスが流れて客席が暗くなる。
滝川さんも私も黙って観劇に集中した。
三銃士を題材にした演目だったけれど、私と滝川さんの推しは美しかった。
とにかく美しかった。
小説を書く私と滝川さんの語彙を失わせるくらい美しかった。
「最高ですね」
「最高です」
一幕から二幕までの休憩時間に、滝川さんと私は心を完全の推しに持って行かれていた。
私なんかオペラグラスで推ししか追いかけていなかった。
「これは、買いですね」
「買うしかないですね」
DVDかBlu-rayを買うこともこの時点で決まっていた。
二幕が始まって、男女のダンスに、ロケットダンス、女性のダンス、男性の群舞、最後のデュエットダンスまで息をつかせぬ構成に私は溺れていた。
この感動を語り合いたい。
けれど、私には新幹線の時間があった。
「滝川さん、この感動を語り合いたいんですけど、新幹線が……」
「駅まで送って行きます。帰ってから、通話すればいいですし」
「は、はい」
推しを見過ぎて私の目はちかちかしているのか。
滝川さんが妙に眩しい気がする。
滝川さんの後ろに、何か光り輝いているものがいる気がするのだ。
「滝川さん、背中に何かいます」
「え!? 新しい守護獣!? 今度は何歳なの!?」
警戒している滝川さんに、私は見えたままのことを伝えた。
「角の生えた馬さんが一匹、羽の生えた馬さんが一匹、
「角が生えている? 羽が生えている? それは馬ではないのでは?」
「私も馬じゃないんじゃないかと思うんですけど」
タロットカードを使えないのではっきりと聞くことができない。
「鬣はワニにもトカゲにも生えませんよね?」
「始祖鳥?」
「えー!? 恐竜ですかー!?」
始祖鳥には羽が生えていたと言われているが、それとも何か形が違う気がする。
私はその三匹が何かはっきりと答えられずにいた。
「駅に着いちゃいました。詳しくは、また通話で!」
「はい。まず、年齢を聞いてくださいね」
滝川さんは十歳の男児だった鶏さんをいじめてしまったことがトラウマになっているようである。
私は帰ったら通話することを約束して、滝川さんと別れて新幹線の搭乗口に向かった。途中でお弁当を買ってお昼ご飯の準備をしておく。
観劇の休憩時間にもお昼ご飯を食べる時間はあったのだが、私と滝川さんは推しに会えたことで胸がいっぱいで、そのことを話し合うのに必死で食べられなかったのだ。
新幹線の席に座ると、膝の上に猫さんが乗ってくる。
コインロッカーから出したキャリーケースもしっかりと忘れずに持っていた。
新幹線の中で前の座席の後ろについているテーブルを出して、お弁当を食べて、お手拭きでテーブルを拭いて、タロットクロスを広げる。テーブルが小さいのでタロットクロスがはみ出てしまったけれど、ないよりはましだろう。
タロットカードを混ぜていると、一枚、カードが飛び出した。
戦車のカードだ。
意味は、エネルギー。
だが、私にはそこに二匹の馬がいることに気付く。
滝川さんを占ったときにも出て来たカードだ。
二匹の馬が戦車を引っ張っている。
それは滝川さんのところにやってきた、角の生えた眩しい馬さんと、羽の生えた光った馬さんの二匹なのではないだろうか。
「角が生えてるって、ユニコーン? 羽が生えてるってペガサス?」
呟くとタロットカードから声が聞こえてくる。
『ただの馬ですよ』
『馬に決まってるじゃないですか』
二匹分の声に、私は混乱してしまった。
滝川さんの背中にやって来たのはそれだけではない。
鬣と爪の生えたトカゲもだ。
「あれは、もしかして、ドラゴン?」
呟いてカードを捲ると、カップの四が出て来た。
意味は、倦怠。
確か、不満とかそういう意味もあったはずだ。
『ドラゴンなんて、変なことを言わないでください。ちょっと変わったトカゲですよ』と声が聞こえてくる。
「私、嘘つかれてない?」
猫さんに問いかけると、ペンタクルの二が出て来た。
意味は、柔軟性。
『どうせ本当のことは言わないんだから、柔軟に考えた方がいいわよ』という猫さんのアドバイスに、私は頷いていた。
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