11.滝川さんの朗報

 私の髪は三年ごとに短くなる。


 ブラックな職場に入ってしまった大学を出たばかりの私は、銀行にお金を出しに行くことも、髪を切りに行くことも、服を買うこともできないような生活を続けていた。


 職場……いわゆる、幼稚園なのだが、朝七時には出勤するために、自転車をこいで三十分通勤して、帰りは夜の二十三時近く。

 持ち帰りの仕事も大量にあって、教室の飾り付けのための紙細工を作ったり、お知らせのプリントを作ったり、実習生の日誌を見たりしているうちに、机に突っ伏して数時間だけ寝て、また飛び起きて職場に行く。


 子どもは可愛いけれど、それを盾に取られているようで、可愛い生徒のために頑張れと言われ、親に見せるための見栄えのいい教室を作り上げるように命じられて、私は何のために働いているのか分からなくなった。


 そんなことが一年続いて、体重が落ちた私に、両親は心配して退職を進めて来た。


「同じ場所で三年も働けなかったら、他の場所でもやっていけない!」


 完全に洗脳されていた私は抵抗したが、兄のところに四人目の子どもが生まれて、兄が単身赴任することになって、兄から直々に頼まれた。


「住み込みのベビーシッターとして一年、俺が単身赴任している間、雇われてくれないか?」


 私と一番上の兄は干支が一回り離れている。

 兄が結婚したとき、私は中学生で、私が中学生の間に生まれた一番上の姪を見て、私は幼稚園教諭と保育士になろうと決めたくらい可愛かった。


 兄に頼まれたときが私の転機だったのだろう。


 私はブラックな幼稚園を辞めて、一年間、兄の家に住み込んで、兄のお嫁さんと四人の子どもと暮らした。

 可愛い姪と甥と暮らせて、とても幸せで癒される日々だった。


 ブラックな職場で心と体を壊していたことにそのときは気付いていなかったけれど、赤ん坊の姪を抱っこしながら寝てばかりの私に、兄のお嫁さんは何も言ってこなかった。


 平和な一年が終わって、実家に戻って私は髪を切りに行った。

 相当伸びていた髪をバッサリ切るときに、担当の美容師さんが進めてくれたのだ。


「この長さならヘアドネイションできますね。してみませんか?」

「ヘアドネイションってなんですか?」


 美容師さんは私に教えてくれた。

 ヘアドネイションとは三十センチ以上髪を伸ばして、その髪を小児がんや病気で髪を失った子どものためのウィッグにするのだそうだ。

 子どもは大好きだし、私は自分の担当のクラスの子どもたちを置いて行った負い目があった。


「ヘアドネイション、してみます」


 長い髪は切る暇がなかったから伸びていただけで、私は髪が長いと黒くて重くて、上手な結び方も知らないので、とても印象が暗く見えるのだ。

 短い髪は洗うのも楽で、乾かすのも簡単で好きなのだが、さっぱりと髪を切って、寄付した後に、私はもう一度髪を伸ばし始めることにした。


 その周期がおよそ三年。

 三年ごとに私はベリーショートになる。


『ヘアドネイションしてたんですね。それで、前にリアルでお会いしたときは簪で長い髪を纏めていらっしゃったのに、バッサリいったなと思いました』

「ショートの方が本当は好きなんですよ。癖のない髪だし、せっかくだから使えるものは使ってもらおうと思って、寄付してます」

『立派だと思います。私もヘアドネイションしてみたいんですけど、致命的にショートが似合わないんですよね』


 そんなことを言う滝川さんは、今日美容院でインナーカラーを入れてもらったと見せてくれた。髪の内側が青くなっていて、すごくお洒落だ。


『前の職場だとこういうことできなかったんで、憧れてたんです』

「滝川さん、お似合いですよ」

『嬉しい! 似合ってなくても、やりたいことはやるんですけどね!』


 こういうところは滝川さんは本当に強いと思う。

 早朝から夜まで大変な職場で干支が一回りするくらい働けていた滝川さんは、本当に強い。

 私は一年でリタイヤしてしまった。


「私は、病弱が服着て歩いてるようなもんだからな」

『今年の花粉、大丈夫です?』

「酷いです。殺す気かと思います。花粉にPMに黄砂に、私は外を歩いちゃいけない人種なのかと真顔ですよ」


 私は花粉とPMと黄砂にアレルギーがある。

 そのアレルギーも、目が痒いとか、鼻水が出るとか言う一般的なものではなくて、肌に触れると肌が腫れたり、荒れたりするようなものだ。


 花粉の季節も黄砂の季節も外を出歩けば、無防備な顔が荒れて、瞼が切れたりするので、マスクは必須だった。

 そうでなくても、最近はみんなマスクをつけているので、私だけがつけているわけではないという安心感があった。


「本当にマスク生活万歳ですよ。お化粧もしなくていいし」

『最高ですよね。ずっと続いてもいいです』


 滝川さんも肌が弱いのでお化粧を苦手とする人種だ。

 私も滝川さんも、近年のマスク生活は非常に謳歌していた。


「滝川さん、鶏さんが今日は一段と眩しいんですけど、いいことありました?」


 滝川さんの守護獣らしき鶏さんが光るのを、もう私は完全に受け入れてしまっている。私の膝の上には薄っすら透ける猫さんがどっかりと乗っている。


『聞いてください! 新作を書かせてもらえることになりました!』

「応募した作品は読み切りでしたもんね。新作、何か構想があるんですか?」


 私が問いかけると、『そのことについて相談があったんです』と滝川さんが打ち明けてくれた。


『最近は、ネット小説が流行でしょう? ネットで公開したものを一冊に纏めて書籍化することになったんですよ』

「ネットで読めるってことですか?」

『ネットで読者を集める狙いのようです』


 最近は出版社も厳しい状況だと聞いている。

 ネット小説はとても流行っているので、まずはネットで公開して、読者をある程度つけてから、出版という流れに滝川さんは持っていくようだ。


「ネット小説だと、書き方から全然違いますよね」

『私、画面が真っ黒になるくらいまでみっちり文字を詰めて書いた作品が好きだから、ネットで読めるようなものなのか、千早さんに教えてもらいたいんです』


 私はネット上の投稿サイトに小説を公開していた。

 読者さんの反応はほとんどなく、閲覧数も伸びることがない。

 それが分かっていても、滝川さんだけは私の小説を絶賛してくれていた。


『千早さんはネット小説の先輩だから』

「私のがどれだけ読まれてないか、滝川さんは知っているでしょう?」

『全私が読んでます! 全私に大流行です』

「まぁ、いいですけど」


 単純な私はひとの言葉を信じやすい。

 それが滝川さんなら尚更だ。

 滝川さんに言われると悪い気がしないのだ。


「どのサイトに掲載するかを決めてるんですか?」

『出版社からは特に指定がなくて。どこにしようか迷ってます。千早さん、占ってくれません?』

「占いで決めますか?」

『面白そうだから』


 占いも、スピリチュアルなことも、私は信じていない。

 それでも滝川さんが興味津々に言って来ると、面白いのかもしれないと思ってしまう。


 タロットクロスを机の上に敷いて、タロットカードを混ぜ始める。


「最大手のサイト、出版社付きのサイト、新規参入サイト、それ以外」


 口に出して言いながら、私はカードを一枚ずつ置いて行った。


 最大手のサイトのカードを捲ると、カップの十が出た。

 意味は、幸福。

 平穏な日々に幸せを感じるカードだ。

 『ここなら平穏に心穏やかにやって行けそうですよ』と鶏さんが微笑んだ気がする。


「最大手のサイトは安定ですね。ここはいいかも」

『千早さんと同じところですね』


 続いて出版社付きのサイトのカードを捲ると、ソードの九が出た。

 意味は、苦悶。

 取り返しのつかないことに絶望すると出ている。

 『ここに出すと、ちょっと後悔するかも。別の場所にしとけばよかったって思いますよ』と鶏さんは困った表情になっている。


「出版社付きのサイトさんは、よくないみたいです。書籍化した出版社と揉めるのかしら」

『あぁ、ありそう! そこはやめときます』


 新規参入のサイトのカードを捲ると、ペンタクルの八が出て来る。

 意味は、修行。

 集中力が高まって、スキルアップするという意味もあったはずだ。


 『ここに出すと、スキルアップになるかもしれないです。後、ちょっとだけ広告費がもらえる』とペンタクル、つまりは金貨のカードなので、鶏さんはお金のことも言っている。


「新規参入のサイトは広告費がもらえますね。スキルアップにもなりそうです」

『そっちも考えてみようかな』


 最後にその他のサイトのカードを捲ると、カップの四が出て来た。

 意味は、倦怠だ。

 不満を抱えて悶々とする、行き詰まりを感じるとかいう意味もある。


 『あまり色々手を出すと行き詰りますよ』と鶏さんの心配そうな声が聞こえる。


「他のサイトにまでは手を出さない方がいいみたいですね」

『やっぱりそうですよね。手堅くいきます。ありがとうございます』

「いえいえ、どういたしまして……って、全部鶏さんの声で聞こえたんですけど」


 タロットカードを纏めながら私が言うと、滝川さんは虚空に目をやっている。

 滝川さんそっちじゃないです。鶏さんは反対側にいます。


『鶏に私の未来を決められたわけ!?』

「私が聞かれても同じようなアドバイスしてましたよ」

『千早さんが言うならよし』

「ちなみに、鶏さん、そっちじゃなくて、反対にいます……あ、飛んで逃げた」

『逃げるとは卑怯なりー!』


 見えない滝川さんは鶏さんを睨むこともできない。

 誇らしげな顔で飛び回っている鶏さんを見えるのは私一人だった。

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