3.タロットのお作法

 滝川さんとの通話を終えて、私はタロットカードについて調べた。

 タロットカードで占いをするためには、タロットクロスというカードを傷付けないための布を敷いて、タロットカードはポーチに入れて保管しておくようだった。

 これからタロットカードを使っていくつもりはあまりなかったけれど、完全に滝川さんは面白がっている。滝川さんとの話のネタになるのならば、タロットカードで遊ぶのも悪くないのかもしれない。


 私は兄弟が多くて、昔からトランプでよく遊んでいた。

 高校時代に兄弟の中で流行ったのが、「ナポレオン」というゲーム。

 キング、クイーン、ナイト、エースに加えて、十のカードも絵札に入れて、二十枚のカードを取り合う戦略ゲームなのだが、十のカードが絵札だということをすぐに忘れてしまうのだ。


 考えた私たち兄弟がやったことは、タロットカードで「ナポレオン」をすることだった。

 タロットカードには十のカードの次にペイジという小姓のカードがある。これを十のカードに見立てて、私たちはナポレオンを楽しんだ。


 その頃からタロットカードにはずっと興味があった。

 占いをする気はなかったけれど、トランプの代わりにして遊んだように、タロットカードで遊んでみたいとは思っていた。


 タロットクロスとポーチは必要かタロットカードに聞いてみると、戦車のカードで『何が何でも必要!』と言い切られた気がした。

 ネットショップで検索してみてもピンとくるものがない。


 私は年の離れた伯母に電話をした。


「伯母さん、作って欲しいものがあるんだけど」

『私もあんたに作って欲しいものがあるのよ』


 これで商談は成立だ。

 伯母の住む住居型の老人施設に行って、入口で検温をされて、書類に記入して伯母の部屋に行く。住居型なので伯母の部屋は普通のマンションと変わりがない。

 違うことと言えば、全てがバリアフリーなことと、八時間以上お手洗いが使われた形跡がなければ連絡が入ることと、お手洗いや部屋にヘルプボタンが設置されていることくらいだった。


「ちぃちゃん、いらっしゃい。バロック真珠があるんだけど、前にあんたに作ってもらったやつ」

「イヤーカフ?」

「うん。それにしてもらいたくてね」


 道具は持って来ていた私は、伯母の注文通りにバロック真珠のイヤーカフを作っていく。

 本物の真珠を使う機会なんてほとんどないので、伯母の注文は私にとっては貴重な経験だった。

 出来上がった長めのイヤーカフをつけて、伯母は鏡を見て喜んでいる。


「こういうのが欲しかったんだよ。それで、何を作ればいいのかな?」

「最近、こういうものを買ったんだ」


 タロットカードの箱を出して、私は説明する。


「これを混ぜたり置いたりする小さなテーブルクロスと、これを入れるポーチが欲しい」

「布はどんなのがいい?」


 何種類か見せられた布の中で、私は黒い生地に縞の入っているものを選んだ。

 私がテーブルで作業をしている間、伯母はタロットカードのサイズを測って、ミシンに向かってタロットクロスとポーチを作ってくれている。

 私は次に納めるアクセサリーを作っていた。


「できたよ、ちぃちゃん」

「ありがとう」


 出来上がったポーチにタロットを入れてみて、ぴったりだということに安心する。

 実はタロットカードを箱から出すときに、私は箱を破いてしまったのだ。破かなければ出せないくらいにみっしりとタロットカードは箱に押し込められていた。

 ぴったりとカード同士がくっついていたので、それを剥がした後は、キツキツの箱にはもうタロットカードは入らなかった。


『急いでほしいって言ったでしょ?』


 戦車のカードがにやりと笑った気がした。戦車には確か勢いとかそういう意味もあったはずだ。

 タロットカードに触れていないのに思考が流れ込んでくるのは、気のせいだと思いたい。


 世界中のひとたちに一人一匹の守護獣がいるとすれば、伯母の守護獣はなんなのだろう。

 戯れにタロットカードを捲ると、出て来たのは世界のカード。それは大きなクジラだった。


「え!? クジラが守護獣とかあり得るの!?」


 驚いている私が伯母をじっと見ると、後ろにクジラの影が見えて、潮を吹き上げる。薄っすらと透けているクジラは目を凝らさなければ、すぐに消えてしまった。

 我が目を疑う私に、伯母が首を傾げている。


「あんた、占いとかする子だったっけ?」

「占いとか信じてないけど……」

「そうだよね。占いなんて、いいことだけ信じていればいいよね」


 伯母も私と占いに関するスタンスは同じだった。

 タロットクロスとポーチを手に入れた私は、家に戻った。


 ブラックな企業で働いていた頃は、私は一人暮らしをしていた。

 身体と心を壊して、仕事を辞めてから、私は実家に帰って暮らしている。

 私の部屋にはハンモックがあり、皮の立派な椅子と広い机がある。一人暮らしのときに使っていたテレビは、Blu-rayも再生できる優れモノで、画面も大きく、劇団のDVDやBlu-rayを楽しく鑑賞できた。


 高い椅子は伯父の形見だ。

 座り心地がよくて何時間座っていても疲れることはない。

 伯母の夫だった伯父が亡くなってから、伯母は住居型の老人施設に入居した。そのときに持っていけなかった椅子をもらったのだ。


 ハンモックは通販で買ったもの。

 暑い地域に住んでいる私は、肌が弱くて、汗をかくとよく肌が荒れて困っていた。ハンモックはとても涼しく、居心地がいい。

 夏場は私はハンモックで寝ている。


 アクセサリー作家で、趣味は小説を書くこと、ハンモックのある部屋に住んでいて、プロの作家が使うような皮の椅子を持っている私は、優雅な実家暮らしを満喫しているのだろう。


 昔から恋愛には興味がなくて、結婚なんて考えたこともない。

 今の暮らしは最高に楽しい。


『千早さん、準備できましたか?』


 常滑焼の紅茶専門店のポットでお気に入りのフレーバーティーを淹れて、蓋付きのステンレスマグに注いで、ミルクもたっぷり入れる。

 滝川さんのメッセージに私は答える。


『今、紅茶を淹れてるところです。今日はイングリッシュキャラメル』

『いい香りがしそうですね』


 滝川さんと私の違うところは、私は飲み物はお砂糖や蜂蜜を入れずに飲む主義で、滝川さんは飲み物は甘いものを好むということ。多少の違いはあっても、やっぱり私たちは似ている。


『ポテチ用意しちゃいましたよ』

『滝川さん、ポテチは至高じゃないですか!』

『千早さんは?』

『私はダイエットのために茎ワカメです』


 チャットで会話する私と滝川さん。

 飲み物の甘さは違っても、私と滝川さんは塩っ気のあるものが好きなのだ。


 今日は約束のネット鑑賞会の日。

 飲み物とおやつを用意して、私はハンモックに寝そべる。

 骨伝導のオープンイヤーのイヤホンは、観劇しながら滝川さんと話すために買ったものだ。


 タブレット端末のアプリをチャットから通話に切り替えて、滝川さんと私はDVDを同時につける。


「推しが出てきました! 顔がいいです!」

『歌も最高! ダンスもキレッキレ!』


 この場面のこの役者の表情がいいとか、このセリフが好きだとか、話しながら観劇すること約二時間半。ボーナストラックまでたっぷりと堪能した私に、滝川さんが話を振って来る。


『例のタロット、どうですか?』

「クジラが見えました」

『クジラ?』


 滝川さんの疑問に私は答える。


「伯母にタロットクロスとポーチを作ってもらったんですけど、伯母を見たら、世界のカードが出て、その絵がクジラだったんです」

『伯母様の守護獣はクジラ?』

「守護獣がいるなら、ですけど」


 見えたのだが、それでもまだ信じられない私に、滝川さんが目を輝かせる。


『千早さん、めちゃくちゃ貴重な経験してるじゃないですか。今日も私のこと見てくださいよ』

「そりゃ、物書きは自分の経験を小説に活かすって言うけど、こんな話、誰が信じます?」

『ちょっと不思議な小説は流行りですよ?』


 お気に入りも評価も滝川さんの方が飛びぬけて私よりいいと言うのに、滝川さんは私の小説を読んでくれる。

 それだけではない、彼女は私の小説のファンだとか、私が推しだとか言って来るのだ。


 流行らない小説を細々と書いている私だけれど、アップするたびに滝川さんは熱く感想を語ってくれる。それでいい気になって続きを書いてしまうのだ。


『千早さんのちょっと不思議な小説、私、好きですよ』

「また言ってる。前に書いたのも、その前に書いたのも、評価は全然でしたよ」

『全私にブームが来てます! 完結時には全私がステンディングオベーションでした』

「そこまで!?」


 そこまで言われると悪い気はしない。

 こうしていつも新作を書いてしまうのだから、我ながらちょろいと思う。


 椅子に座り直して、私はタロットクロスを机に広げた。元々アクセサリー作りのために、机には合皮のマットが敷かれているのだが、その上に黒地に縞のタロットクロスが敷かれると、全く雰囲気が変わる。

 タロットカードをよく混ぜて私は滝川さんに聞く。


「何か聞きたいことありますか?」

『私の後ろの鶏さんは、私が焼き鳥食べても平気ですか?』

「え? 焼き鳥食べるんですか?」

『晩ご飯、焼き鳥にしようと思ってるんです』


 滝川さんの疑問を考えながらタロットカードをきって、一枚捲ると、出て来たのは月のカードだった。

 『その間、寝てるんでお構いなく』と声が聞こえたような気がする。


「鶏さん、寝てるから大丈夫みたいです」

『よかった。レバーも鳥皮も砂肝も食べちゃお』


 話を聞きながら戯れにカードを混ぜていると、一枚カードが飛び出て来る。

 それは塔のカードだった。

 『そんな!? ショック!? ちょっとは配慮してよ』と聞こえてくる。


「なんか、鶏さん、そこまでされるとは思ってなかったみたいで、白目ですね」

『えぇー!? もう買って来ちゃったよ。レバーは牛乳に浸して血抜きしてるし』

「あぁ……」


 鶏さんの悲鳴が聞こえた気がしたが、私は聞かなかったことにしてタロットカードを片付ける。


 タロットカードには、使い終わったら順番に並べて片付けるという作法があった。順番に並べることで浄化されるのだそうだ。

 まだ大アルカナの二十二枚だけなので面倒くさくはないが、これから全部のカードを使うようになると面倒になるのだろうか。

 順番に並べてタロットカードを片付けていると、滝川さんが通話で言って来る。


『新作、楽しみにしてますよ』

「え?」

『世界中のひとに守護獣がいる、ちょっと不思議なお話』

「あれ、書くんだったんですか?」

『千早さんの新作は、私のエリクサー! 最近千早さん書いてなくて、回復薬がなかったんです。私を回復させてくださいね』


 滝川さんの言葉に、私は頷くしかなかった。

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