四十二話 有香猫が猫であることを隠せ
「――ただいま〜っと。ったく、二人で駆け落ちとは、惚気けてくれるね……って」
「人聞きの悪いこと言うな。駆け落ちなんてしてない」
ゴキブリが部屋に帰ってきた。
そして、俺の膝の上にいる生物が視界に入ると……固まってしまった。
そりゃ、当たり前だろう。
何せ、本来ならここにいてはいけない生物が俺の膝に乗っかっているのだから。
「……猫っ!?」
いいリアクション。
陽キャに通ずる典型的な特徴だ。
とまぁ、そんなことはどうだっていい。
それよりも、俺にはやらなくてはいけないことが山程ある。
……さぁ、ミッションスタートだ。
「あぁ、どうやら俺の飼ってる猫がキャリーケースの中に入ってたらしくてな。どうしようかと悩んでいたんだが……」
無論、今俺の膝の上に乗っている猫は有香猫でありミーシャだ。
ここでゴキブリに、この猫が有香猫だということを打ち明けられたらいいのだが……そこまでの信頼がゴキブリにあるわけでもない。
「キャリーケースに入ってたって、そんなことあるのかよ!?」
「流石に、先生達に言っても信じて貰えないだろうな。だからゴキブリ」
俺は真剣な眼差しをゴキブリに向けながら、徐々に距離を詰めていく。
「……な、なんだ?」
「隠すの、協力してくれないか?」
「きょ、協力……?」
後ずさりながら、ゴキブリはその言葉を反芻させる。
「協力って言っても、難しいことは要求しない。周りに俺が猫を持ってきていることをバラしたりしないでほしいのと、修学旅行が終わるまでこの猫を部屋に置いておくことを許してほしいだけだ」
「それだったら別に構わないけど……この猫、お前が飼ってるのか?」
そう言ってミーシャに触れようとするゴキブリの手を、俺はすかさず掴み取る。
「……えっ?」
「触るな、潰すぞ」
ドスの利いた声を発しながら、ゴキブリの手を握り締める。
ギチギチと音をたてながら、徐々にゴキブリの手は余裕をなくしていった。
「痛い痛い痛い痛い!! 分かった!! 触らないから離してくれ!!」
ゴキブリの悲痛な叫び声が辺りを響かせると、俺は手に入れていた力を抜いた。
「……お前のその猫に対する愛は伝わったよ」
手を擦りながらつぶやくゴキブリ。
「とりあえず、もう夕食の時間だから行こうぜ」
「おう、分かった。先に行っててくれ。俺はとりあえずこの猫を何とかするから」
「了解っと」
そうして、ゴキブリは部屋を出ていった。
俺はミーシャを持ち上げると、ベッド上に置く。
「……じゃあ、俺も行ってくるから、少しだけ待ってろ」
「なーん」
ミーシャが小さな声で返事をしてくれた。
……さて、あとは有紗だな。
有香猫がいなくなってるから、今頃混乱しているだろう。
早く行かないと。
俺は最後にミーシャに微笑みかけると、ルームキーを持って部屋を出るのだった。
◆
「――有紗」
「……祐也!? 今芹崎さんがいなくて、祐也と一緒にホテルに来てたんでしょ! どこにいったのか――」
「一旦落ち着いてくれ」
顔を合わせるなり有紗が言葉を捲し立ててきたため、俺はそれを抑える。
この調子なら、変にいざこざもなく事を進められそうだ。
「でも……!」
「話す。全部話すから、一旦落ち着いてくれ」
「……何かあったの?」
不安げな表情で俺を見つめてくる有紗。
信じて貰えるかは分からないが……有紗には本当のことを話さないと次に進めない。
だから俺は、有紗に本当のことを話すことにした。
「今から突拍子もないことを言うから、落ち着いて聞いてくれ」
「はぁ? 何を言ってるのよ! そんなことより――!」
「芹崎さんに関することだから」
「っ……!」
「……少し、場所を移そう。そっちの方が落ち着いて話せるだろ?」
ここは廊下だ。
こんなところで大声出して話していたら落ち着けるわけがないし、何より他の人に聞かれるかもしれない。
「……分かった」
◆
『俺と白銀が時間に間に合わなさそう。あんたが何か理由をつけて先生に説明してくれ』
『お前も罪な男だな』
『言っておくが、あんたが思ってるようなことで遅れるわけじゃない』
『理由は俺が考えろって?』
『そうだ。よろしく頼む』
『人使いが荒いったらありゃしないな』
「――どう? 連絡出来た?」
「あぁ、何とかな」
ゴキブリに無理矢理交換させられたLINEが、まさかここで役に立つとは。
あいつに感謝だな。
……俺たちは落ち着ける場所ということで、俺の部屋に足を運んでいた。
「……んで、この猫は何なの?」
ジト目で俺を睨む有紗。
彼女は、当たり前のようにミーシャのことを気にしていた。
「……芹崎さんだよ」
俺はダメ元で打ち明ける。
「……はっ? いやいや、何を言って――」
「本当なんだ。芹崎さんは、午後五時に姿を猫から人間に変える。芹崎さんが有紗の部屋に帰っていないのが証拠だ。俺はこの部屋で、ずっと芹崎さんと一緒にいた」
「でも、人間が猫になんてありえないでしょ……」
実際には「猫が人間に」なんだが。
まぁ、俺には有紗の気持ちが痛いほどよく分かっていた。
俺だって最初は、芹崎さんがミーシャに変わるところを見ても受け入れられなかったからな。
それを見てない有紗なら尚更だ。
「有紗。時間がないんだ。お前の力を貸してほしい」
「力って……」
「俺がこの猫をこの部屋に置いておく。この猫は、俺がちゃんと管理する。だから、有紗は部屋に芹崎さんがいることを演じてくれないか?」
「演じるって、どうやって?」
「例えば、先生や生徒が有紗のところの部屋に入ってきそうになったら『今芹崎さんお風呂入ってるから』とか何とか言って誤魔化したり、明日の夕食なんかも『食欲がないみたいで、部屋で休んでます』とか……」
我ながら、よくもまぁこんなにすぐ思いつくもんだ。
シチュエーションも、それに対するセリフも。
「明日は夕食の時だけでいいの?」
「あぁ。猫から人間に戻るタイミングは午前二時らしい。朝食や昼食は、普通に行けると思うから」
「…………」
「無理を承知でお願いだ。俺のことを信じなくてもいい。だけど、芹崎さんが猫になっている間は、何とか芹崎さんがそこにいることを演じてほしい」
とんでもない話だ。
同じ部屋で過ごす人が実は猫で、それを隠したいから協力してくれだなんて。
普通の人なら絶対に信じてくれやしないし、話を聞くことすら放棄するだろう。
でも……有紗は違った。
「祐也の目は、嘘をついてる目じゃない。第一、そんな緊急事態なら嘘をついてる暇もないだろうし、祐也がそういうことをする人にも思えない」
「有紗……」
「……私は祐也を信じるよ」
そう言って、有紗は優しい笑みを浮かべる。
今はその笑みが、とても有り難かった。
「……ありがとう」
「――芹崎さんが人間に戻ったら有紗のところに連れて行くから、入れてやってくれ」
「分かった」
そうして、俺たちは部屋を出る。
これで何とかなりそうだ。
「……よろしく頼む」
俯き加減に言った。
俺は……多分、最低な男だ。
自分で有紗のことを振っておいて、都合のいいときだけ有紗に縋る最低な男だ。
申し訳なかった。
それでも有紗は、嫌な顔を一つもせずに……
「……任せといて」
笑顔を見せてくれるのだった。
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