三十八話 周知の事実
「……眠っ」
心地良い揺れを感じながら、俺はそうつぶやく。
現在はバスで移動中。
つまり、修学旅行一日目である。
乗り込んでからだいぶ時間が立ち、生徒達は傾き始めた太陽を嫌うようにカーテンを閉じているため、バス内は結構な暗さだ。
それに加え、バスは心地良く揺れているため、そのダブルコンボが俺に睡魔を引き寄せていた。
「……なぁ」
ふと、隣に座っていた奴に声をかけられる。
「何だ?」
「暇だから、なんか話そうぜ」
「『眠っ』って言ったの聞こえなかったか?なんか話そうって言われても……そもそも俺、あんたのことあんまり知らないし」
特に隣の奴に視線を合わせることもなく、俺はスマホをつつきながら呼応していく。
「確かに、今まで関わってこなかったもんなぁ。とりあえず、俺の名前は知ってるだろ?」
「……いや、忘れた」
バスの座席は、今日泊まるホテルの部屋が同じ人達で固まって乗ることになっている。
だから隣にいるこいつはきっと同じ部屋の奴なんだろうが……正直興味がなかったため、名前を把握しておくなんてことはしなかった。
「忘れたって……俺、めっちゃ特殊な名前だぞ? 学園内でも、一度は聞いたことあるんじゃないか?」
「分からんからなんとも言えない。あんたの名前はなんだ?」
「
「……えぇっと、ちょっと待ってくれ」
俺はスマホをつつく手を止め、頭を抱えた。
そうして出た言葉が……
「ゴキブリ?」
それだった。
「……お前までそういうこと言うのな」
「だって、しょうがないだろ」
「ゴキブリ」という名前は本来、「御器被り(ゴキカブリ)」という名前だった。
それを日本初の生物学用語集……だったか? それに記す時に、誤って「カ」が抜けたまま出版、拡散、定着してしまったため、今の「ゴキブリ」という名前になったというのを前にウィクペディアか何かで調べた気がする。
「あんたの親、知っててそんな名前をつけたのか?」
「いや、知らなかったんだとよ」
「それは……災難だったな」
「俺をそんな
でもまぁ、必然的にそう見ちゃうよなぁ。
いくらなんでも酷すぎる。
ゴキブリの名前を否定するわけではないが、流石にこれはちょっとな。
「あんた、よくそれで学園に来れてるよな」
「まぁ何やかんやその『ゴキブリ』って愛称で親しまれてるし、俺の高校デビューもそのおかげで成功したようなものだからな。一応、親に感謝はしてるぜ」
「……周りがいい人ばかりでよかったな」
「全くもってその通りだ」
普通なら、確実にいじめ案件だからな。
「……そういえば、あんたは俺の名前知ってるのかよ」
「荒巻祐也だろ? このクラス、いやこの学年じゃ有名な名前だぞ」
「は? なんで……」
俺、有名になるほど何かした覚えはないんだが。
そう思っていると、ゴキブリは衝撃の一言を放った。
「だって、あの芹崎さんと付き合ってるんだろ?」
「……はっ?」
「何かと隙があればいっつも二人でいるじゃんか。周りにはもうバレバレだぞ?」
……そんなに二人でいただろうか。
いやでも、改めて振り返ってみれば確かにずっと一緒にいたかもしれない。
が、別に付き合っているわけではないので、一応訂正しておく。
「俺と芹崎さんは付き合ってない」
「またまたご冗談を。もう周知の事実だからな? ここまで来て流石に言い逃れは出来ないだろ」
「……はぁ」
俺は思わずため息をついてしまう。
不覚だった。
俺が周りと滅多に関わらないばかりに、周りに俺と芹崎さんの関係がどう映っているか把握出来ていなかった。
……いや、でも待てよ。
これは逆に利用出来るんじゃないか?
自由行動時に使ったりすれば、上手くいけば二人だけの状態をつくることが出来るかもしれない。
「……何とでも言え」
ただ俺は嘘をつくことが出来ないので、それっぽく誤魔化しておく。
「あぁ、何とでも言わせてもらうよ……というかお前、さっき眠いって言ってたのに眠くないのか?」
「生憎と、あんたと話してたら眠気なんてどっかに行っちまったよ」
言いながら、俺はペットボトルのカフェラテを口の中に流し込む。
「……絶対そのカフェラテのせいだろ」
「カフェラテを飲んだのはこれが初めてだ。その前から眠気が覚めてたんだから、カフェラテのせいじゃない。あんたのせいだ」
「はいはい、そうかよそうかよ」
俺のことを適当にあしらうゴキブリ。
……いや、字に起こしてみたら中々のパワーワードではないか?
「――お前って結構とっつきにくいイメージあったけど、話してみたら意外とそうでもないんだな」
「どうした急に」
会話が一段落したあと俺は再びスマホをつつき始めたのだが、程なくしてゴキブリがまた俺に話しかけてきた。
「いや、お前って芹崎さんと一緒にいないときは普通一人だろ? 何というか……お前って結構『孤高の存在』って感じだったから。今年度に入ってからは特に」
「待て、俺ってそんな風に見られてたのか?」
初耳なんだが?
「そりゃ、お前って結構何でも出来るし、喧嘩も強いって噂だし……それに加えて周りがどう接しようと全然興味なさそうだし」
「まぁ、興味がないのは確かだな」
「その妙にとっつきにくい雰囲気さえ何とかなったら、お前結構モテてるの知ってるか?」
俺にジリジリと近づきながら睨みつけてくるゴキブリ。
その瞳には、どことなく怨念が宿っているような気がする。
俺はゴキブリに気圧されながらも「も、モテる?」と言葉を絞り出した。
「女子の間でもよく話題に上がってるらしいぞ? ツンツンしてるけどさり気なく優しさを見せてくれるし、運動神経もいいし、顔もいいって」
「……えっと、これはどういう反応すればいいんだ?」
「素直に喜んでいればいいんだよ! 畜生ッ!」
「お、おい。そんな大声出したらみんな起きるって」
「……きっと、そういうところなんだろうな」
意気消沈しているゴキブリ。
そういうところって、どういうところだ?
「……まぁ今のお前には芹崎さんがいるし、他の女子を寄せ付けたくなかったらそのままでいいんじゃないか?」
「お、おう……?」
いまいち話についていけていない俺は、とりあえず「おう」と言っておくことにした。
なんと汎用性の高い言葉。
この一言さえ言ってしまったら大体の会話は片付くからな。
「……そういえば、あんたのことはなんて呼べばいいんだ?『五木』? 『歌舞里』? それとも『ゴキブリ』?」
「……俺が自分で言うのも何だが、ゴキブリって名前、案外気に入ってるからそっちで頼む」
「自分からその愛称を好む奴なんていたんだな……」
――そうしてゴキブリとの会話を終えたあと、俺の元に睡魔がやってきたので、俺はそれに身を委ねることにした。
◆
「――やばいです……やばいです……」
休憩所に着き目が覚めた俺はバスから降りると、何やらぶつぶつとつぶやいている芹崎さんを発見した。
「……どうした? なんかあったか?」
「ゆ、祐也君……」
俺が声をかけると、芹崎さんはギチギチと音がしそうなほどぎこちなく振り向く。
その顔は絶望しきった表情をしていて、ちょっとでも気を抜けば今にも崩れ去りそうだった。
そうして少しだけ俯いたあと、彼女は勢いよく俺の腕に抱き着いてきた。
「うおっ!?」
あまりにも勢いが強すぎたため、俺は体制を崩しそうになってしまう。
「……ど、どうした急に抱き着いてきて。周りの視線が痛いんだが」
芹崎さんが俺に抱き着いたことにより、周りの視線が一気に俺たちに向いた。
みんなテンションが上がっており、中には黄色い悲鳴が聞こえるほどだ。
「関係ありません! 祐也君は私のものですっ!」
「え、えぇ……?」
本当にどうしてしまったのだろうか。
もしかして、俺とゴキブリの話を聞いていたのだろうか?
そうだとしたら芹崎さんの言動にも説明がつくが、俺が他の女子に取られないようにしてくれているのだとしたら嬉しいな。
……一見冷静そうに見えると思うが、実のところ俺は急な出来事にわけが分からなくなってしまっていた。
芹崎さんが声を発したことにより、また俺たちは周りの黄色い悲鳴に包まれる。
どうしようもなくなってしまった俺は、とりあえず芹崎さんと一緒にバスへと戻るのだった。
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