三十二話 傷つけたのか、守ったのか

 息が上がる。

 サッカーをしている時とは比べられないほど消耗している。


 だが、何とか俺たちは先輩方を退けることに成功していた。


「こ、こいつ何者なんだよ!?」


 そこら辺でのたうち回っている男が口を開く。


「……とりあえず引き上げよう。俺たちがここにいる意味はもうない」

「で、でも……!」

「今日はもういい。明日にでも、また来てやるさ」


 健人先輩はそう言いながらフラフラとたち上がり、連れと一緒に屋上を去っていった。


「……終わった」


 そこで、俺は糸が切れたかのようにその場に座り込んだ。


 俺は……傷つけたのか。

 それとも、守ったのか。


 それを決めるのは、俺じゃなかった。


 後ろから、勢いよく抱き着かれる。


「祐也君!」

「っ――!」


 その温もりはとても暖かくて、夏の夜に冷え切った身体を心地よく温めていく。


「……俺は」

「何も喋らなくていいですよ」


 芹崎さんは俺の言葉を遮って、更に強く抱き締めてくれる。


 そうして、頬に伝うなにか。

 俺はもう言葉を発することすら出来なくて、呼吸を荒くすることしか出来なくて。

 それを、芹崎さんが落ち着かせるようになだめてくれた。


 俺がある程度落ち着いたところで、芹崎さんが一言、ぽつりとこぼす。


「……私を守ってくれて、ありがとうございます」


 それが、全ての答えのような気がした。


 涙が溢れ出してくる中で、俺は思う。


 俺は……守ったんだ。

 この手で、芹崎さんを。


 彼女がいなかったら、俺はこのトラウマを克服することは出来なかっただろう。


 相手のしていることが悪いことだと分かっていても、その相手に情けをかけて、罪を裁けない弱い自分。

 そんな自分に、俺は打ち勝つことが出来た。


 そうして俺は知った。

 俺の手は他人を傷つける力を持っている。

 でもそれは同時に、他人を守る力も持っているんだと。

 俺にも、守ることが出来るんだと。


 考えてみれば、昔の俺もよく蓮を守っていた。

 元々俺は守る力があるということを知っていた。

 なのに、気づけば忘れていた。

 見失っていた。


 それを、芹崎さんが思い出させてくれた。


 全ては……彼女のおかげだ。

 それでも彼女は、


「私のために、過去を克服してくれてありがとうございます」


 俺に感謝をしてくれた。

 感謝をするのは、俺の方なのに。


 過去を克服するきっかけを作ってくれたのは、芹崎さんだって。

 芹崎さんがいなかったら、俺はずっと過去に囚われたままだったって。

 だから、ありがとうって、言いたいのに。


 涙が溢れて、声が出ない。


 その後ろから、胸いっぱいに広がるような爆音が俺たちを包み込んだ。

 ……花火だった。


 きっと、芹崎さんは花火を見たいだろう。

 今まで一度も見たことない花火。

 心待ちにしていたはずだ。


 それでも彼女は、俺の後ろで静かに俺を包み込んでくれていた。


 その優しさがとても嬉しくて、ありがたくて、頼もしくて。


 俺は、花火が終わるまで涙を流し続けるのだった。






「――花火、終わっちゃいましたね」


 俺の隣で、静かにこぼす芹崎さん。


「ごめん。花火、見たかったはずなのに」

「いいんですよ。また……来年、見られれば」


 そうして、辺りに沈黙が降りる。

 さっきまで居心地の悪かったその沈黙が、今はすごく居心地が良かった。


「――結局、芹崎さんには全部気づかれてたね」


 少し時間が経って、俺は俯きながら言った。


「私は、祐也君のことだったらなんだって気づけるような気がするんです」

「俺のことだったら?」

「はい。祐也君が何を思っているのか、どういう気持ちでいるのか。祐也君、結構顔に出ますしね」

「……そういう問題?」


 俺は思わずくすりと笑ってしまう。


「そういう問題ってことにしておいてください」


 芹崎さんも、俺に釣られるようにくすりと笑った。


 まだ他にも色々話したいような気がしたけど、ここまで来てしまった手前、もう言葉はいらないと思えた。


 今は、ただ二人だけでいる時間を芹崎さん一緒に噛み締めたかった。


 ……でも、最後に一つだけ、俺は彼女に言うことにする。


「――告白、また改めてちゃんとするよ」


 俺の言葉に芹崎さんは、はっと息を呑んだ。


 彼女に告白させるわけにはいかない。

 こういうものは、男からするものだ。


 だから俺は、彼女に先を越されないように宣言した。


 言って、俺は空を見上げる。


 夜風の吹く暗い屋上に、「……はい」と、芹崎さんの切なげな声が響いた。

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