二十七話 ずっと、友達
『――私の負けだわ』
『なぁ白銀、何かあったのか?』
『あぁ、試合のこと? 別になんでもない。ちょっとめまいがしてただけよ』
『そう、なのか……?』
『私は、私に有利な勝負を仕掛けて、負けた。流石に芹崎さんのこと、ちょっと見くびってた。貴女はすごくバドが上手な人。ぜひともウチの部活に入ってもらいたところだわ』
『そんな、持ち上げ過ぎです。白銀さんのめまいがなかったら、私は絶対勝てていませんでしたし』
『でも、他のバド部員に比べて力の差は明らかよ。まぁ、無理に引き出すつもりはないから……ほら、さっさと行きなさい。祐也達は後夜祭の準備があるでしょ』
『……そう、だな。行こうか』
『はい――』
「――祐也君?」
芹崎さんの声で、俺は我に返る。
「ん、どうかした?」
「祐也君、今ぼーっとしてましたよ? 何かあったんですか?」
「あ、いや……白銀の敗因は、本当にめまいだったのかって、ずっと気になっててね」
めまいだとしたら、俺は白銀の様子で分かるはずだ。
にも関わらず、白銀からめまいの様子は感じられなかった。
そして、屋上で見た白銀の表情。
負けを認めた白銀は悔しがっている様子もなく、その状況を満足気に受け入れている様子だった。
「白銀さんが言うなら、きっとそうじゃないんですか? たとえその裏に何かあっても、きっと白銀さんは隠したくて隠したんだと思います」
「っ……だけど」
あいつは、今一人だ。
あいつが俺のことをどれだけ好きだったかは、俺が一番よく分かってる。
なのに、あいつは今の状況を満足気に受け入れている。
このまま……終わらせていいのか?
「……行きたいなら、行ってきてもいいですよ?」
その言葉に、俺は思わず視線を上げる。
そこには、優しく微笑んでいる芹崎さんの姿があった。
「多分きっと、それは祐也君にしか出来ないことです。私は校門で待っていますから、ぜひ行ってあげて下さい。ただし、ちゃんと帰ってきて下さいね」
「……ごめん、行ってくる。すぐ戻るから待ってて!」
そう言って、俺は廊下を全力で走り出した。
このまま終わらせてはいけない。
ちゃんと終わらせないと。
じゃないと……きっと苦しいだけだ。
俺も、白銀も、芹崎さんも。
だから行かなくちゃならない。
俺が、全てを終わらせに――。
◆
「――白銀!!」
俺は屋上の扉を開けて、その寂しげな背中に叫ぶ。
「……なんで帰ってきちゃうかなぁ。私としては、このまま終わってくれたほうが楽だったのに」
そう言って振り向いた白銀の頬には、一筋だけ涙が伝っていた。
「でもお前、泣いてるじゃないか」
「これは……目にゴミが入っただけだよ」
そう言って、白銀は目をゴシゴシと擦った。
「……もしかしたら、このまま終わらせてもよかったのかもしれない。けど! このままじゃ胸の中にもやもやが残るだけだ! 俺も、お前も! だからこれは、ちゃんと終わらせなくちゃいけないんだよ!」
俺の叫び声が、雲がかった空を揺らす。
白銀は、俺の声にただ痛々しく微笑むだけだった。
「間違ってたら言ってくれ。……白銀は、俺のことを想ってわざと手を抜いたんじゃないのか?」
「っ……!」
その瞬間、白銀の目尻からダムが決壊したかのように涙がこぼれてくる。
でも、その笑顔は保ったままだった。
「なんで……なんで、変なところで勘がいいかな」
「ずっと気になってたんだ。白銀は、本当にめまいで負けたのかって。もっと他のところが原因で、白銀は負けざるを得なかったんじゃないかって」
俺が喋り終えたことによって、一瞬の間が開く。
この間が俺にとってはすごく苦痛だった。
こうなったのは、俺のせいだっていうのに。
黙り込んでいると、白銀は声を震わせながら喋り始める。
「……そうだよ。きっと祐也が思っている通り。私は、祐也のサッカーが終わったタイミングで祐也のところに行こうと思ってた。でも、先に先着がいてね。……祐也は、芹崎さんと楽しそうに話してた。私と話しているときの表情とは全然違う、どこか安心した顔。そこで私、分かっちゃったんだ。祐也はきっと、芹崎さんの方に行っちゃったんだなって」
「白銀……」
白銀が話せば話すほど、白銀の目からは涙が溢れ出してくる。
俺は視線を逸しそうになってしまったが、ぐっとこらえた。
目を逸らしちゃダメだ。
これは、俺がちゃんと向き合わなくちゃいけない事実だから。
「試合をしている間、ずっと考えてたよ。私と祐也がくっついたところで、祐也は本当に笑顔になってくれるのかって。そして……試合が進んで私が勝ちそうになったとき、気づいたんだ。私が勝っても、祐也は笑顔になってくれない。それじゃあ、私の望んだ未来にはならない。だから私は、手を抜いた。祐也に幸せになって欲しくて!」
俺があそこで芹崎さんと会話をしなければ、また結果は変わっていた。
俺が、白銀の俺に対する想いを利用してしまった。
「私は祐也のことが好きだった。でも、もうそれも終わり。私は祐也のことを諦める」
申し訳なかった。
俺の心がころころと変わるから、結果的に白銀を傷つけることになった。
変わらなかったら、白銀を傷つけることもなかっただろうに。
「……でも、最後だけ、私のお願いを聞いてくれる?」
俺が黙って聞いていると、白銀は腕を開く。
白銀が何をせがんできているのかは、すぐ予想がついた。
白銀がどういう意図を持ってせがんできたのかも、容易に。
でも……。
「……ごめん、俺に有紗のことを抱き締める権利はないよ」
「っ……!! どうして……どうして、ここで名前呼びに、なっちゃうのさ。もっと、未練が残っちゃうじゃん……!」
白銀は、ついに顔を歪めて悲しげに叫ぶ。
「……ごめん」
謝るしかなかった。
でも、俺は白銀のことを有紗って呼びたかった。
俺のことをここまで想ってくれて、自分の心に嘘までついてくれている有紗を、俺が受け入れたかったから。
……懐かしい。
ようやく、慣れた言葉が俺の口をついた。
「……でも、ありがとう。私のことを『有紗』って呼んでくれて」
「有紗……」
「ねぇ。もう一つだけ、お願いしてもいい?」
そうして、有紗は言った。
「これからも、友達でいていてくれる?」
「っ――!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は有紗のことを抱き締めていた。
ごめん、芹崎さん。
今だけは、有紗を抱き締めることを許してくれ。
俺は、有紗の最後の願いを聞かなくちゃいけないから。
俺には、有紗のことを抱き締めなくちゃならない義務があるから。
「……当たり前だろ。俺と有紗は……これからも友達だ」
「っ……! うん……うん……! ずっと、友達……!」
そうして、有紗は俺の胸の中で嗚咽をこぼし始める。
いずれにしろ、どっちかが悲しむことになっていたんだ。
それが今回は有紗になった。
そして、その悲しみを癒すのは俺がしなくちゃいけないことだ。
だから俺は、有紗の背中を
その中で、俺は誓うのだった。
必ず、芹崎さんと幸せになってやると――。
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