03-08 神と勇者と骨と指。
「死に時が来て気でも狂ったか?」
小さな勇者たちが試練に挑戦中のその傍、一人留守番となったローズ……■■■=ベンタバール・ミシオンは苛立ちのような、それでいて呆れのような表情を浮かべては神の獣を見上げた。ほう、骨なるものはため息のような安堵のような吐息を吐く。息が詰まるような湿気がそこにはあった。
『正気は元より、この姿に落ちたその時から死んだようなものだ』
「……、」
『不服か、“風の勇者“よ。今更神の獣として振る舞う全てが』
かつての称号にベンタバールは眉を顰め、一度何かを言おうと口を開くもののすぐさま飲み込む。その一連の変化には血が滲むほどの思いがあることを、骨なるものは知っていた。
「まさか。……もうどうだっていい、今のオレには関係ないことだからな」
いつものように適当を取り繕ってベンタバールは笑う。しかし、それでも見過ごせない部分が引き留めずるずると心に跡を残す。その跡の醜さに耐えられなくなったのか、そんな自分に嫌気をさしながら肩をすくめる。
「ただ。お前たちの目的のためにわざわざあの子たちを利用するのは、随分趣味が悪いな〜って思っただけさ」
『……致し方ないことだ。お前とて、世界が変容することを望むわけではあるまい』
「害獣が」
するりと出た純粋な罵倒に、骨なるものは瞼を一度閉じるだけだった。
「はぁ、こんなこと言い合ってても仕方がないよな。あーあ、本当に自分の人の良さが嫌になるよ」
ぐっと背を伸ばす、そうして振り向けばそこにはなんだかさっき見たような顔の見知らぬ少年が一人立っている。こんな場所でぬいぐるみを抱きしめながら、まるで迷子のような素振りで首を傾げていた。
「いつから気がついてたわけ」
「島に着いた時から。ずっとつけてただろ、黙ってれば見逃してやったのにな〜」
迷子のような魔はふとベンタバールと骨なるものを交互に見やると、よく分からないものを見る顔で目を細める。
「……お前とそいつ、敵対してるみたいだけど?」
「そう見えたかい、けどまぁ……こっちとしてもこいつがお前たちに取られることは困るんだ。だから、ほら。――抜けよ、全部叩き潰してやる」
崩壊した信託の神殿に、禁忌とされた剣戟が響く。
/
「ひでぇなこりゃ、これ全部魔神の影のせいなのか?」
「恐らくはそうなのだ。魔力の質がよく似ている……よもや、この時代になっても尚諦めていなかったとは」
神獣のお腹の中に放り込まれた僕たちを迎えたのは、内臓のような洞窟でも神秘的な異世界でもなく枯れ木のように生気を失った灰色の回廊だった。至る所に黒く粘ついたヘドロが付着していて気味が悪く、そしてそもそも瘴気がひどい。言うなればここは小さな魔界だった。ベンタバールさんが巻き込まれなくてよかった、この瘴気の中では息を吸うにも苦労するだろう。
そんなものを腹の中に留めているなんて自ら毒を飲んで死んでいくようなものだ、時間がないといったがきっとその通りなのだろう。
「そういえば、セルバは魔神討伐に参加していたんだよな。その時はどうやって対抗していたんだ?」
瘴気から現れる雑魚たちを蹴散らしながら僕は気になっていたことを問いかける。
「対抗、というほどのことはできていなかったのだ。魔神が現れ世界を平らげたのは、本当に一瞬のことだったのだ」
「げ、マジで? そんなやばいの?」
『厳密に表現するなら魔神の出現によって世界のバランスが崩れたからですね、想像して見てください。前触れもなく全国の魔物という魔物が狂乱状態で暴れ出すところを、絶命するまで咆哮し心臓が千切れるまで暴れ続ける様を』
「うわ」「おっぞましい言い方するのう!? それ比喩じゃないやつじゃの、嫌じゃ絶対何も出来ない。詰む」
「それで実際多くの国が混乱状態になって一夜の間にメチャクチャになったのがわたしのいた時代なのだ。だから、どうにかできたというよりかはぎりぎりの綱渡りをしたとしか言いようがないのだ」
『討伐ではなく、封印でしたからね。勇者の力と精霊の力、そして女神の力を用いて三重に封印を施したのですよね』
「あぁ。術式を作り上げたのはかつての仲間のドラクロワという魔法使いだった、……あの封印のために命を落としたのだ」
「そう、か……ごめん」
「構わないのだ。ドラクロワは悔いはないと言っていたのだ、実際この世界は繋がった。だから、今は今で全力を賭さなければな。影なんてものにこの世界をまたメチャクチャにされるわけにはいかないのだ」
決意を示すセルバの横顔に心強いものを感じながら試練を進む。試練、というよりかはこの中にあるという魔人の影の配下が僕たちを殺そうと襲いかかってくるものばかりなのが骨なるものの状態を痛々しいほど予感させる。一歩進むたびにこの世界の主人の命が削れていくような感覚に、「なんていうか辛いな」とグレイスは顔を顰めていた。
この回廊の先にあるものがなんなのか、僕たちはどこかで理解していたのかも知れない。
「ふむ、しかし魔神が封印されたはずなのに出現しているということは……封印が破られたということかの? 魔王の座を奪った黒騎士が魔神の可能性があるのじゃろう」
『三重の結界のうちどれかが欠損したか、綻びが生まれた可能性がありますね。もしくは……いえ、この話はよしましょう』
「賢者さんのそのムーブ、割と洒落にならないんだなってちょっとわかりはじめたよ……」
とはいえ、パスカルと賢者は相変わらずのマイペースでなんだか安心するのだけど。
◆
「ここが最後の試練ですね、追憶の場ですか」
「あっという間じゃったのう、それだけ時間がないということかのう」
さてそんなこんなでわしらは神獣の試練を潜り抜け、最後の場と思しき大広間にやってきた。大広間、というよりかは異空間というか別世界と呼ぶべきなのかも知れないのう。一歩踏み込んだ瞬間体に受けたのは錆の匂いがする赤い風じゃった、次に踏み締めたのは朱色の土。先ほど骨なるものに見せられた未来の世界そのものというべき光景に、今度は地に足をつける。そうして少し進むと石畳の広場の真ん中に誰かが立っているのが見える。
甲冑を身に纏った騎士のような、戦士のような気配に輝きの勇者としての本能が震える。
「あいつと、戦うのか? なんかすげえ強そうっていうか……手段選ばなそうっていうか……」
「それ褒めてる?」
「褒めてる褒めてる、って、えっ? まさかあれって」
「あれ僕だね」
クリスくんは広場の中央に立つ黒い外装を纏った青年を自分自身だとあっさり認めた、つまりあれは七年後のクリスくんというわけじゃな。背ぇ伸びたのう!! 幾多の戦いを生き抜いたのじゃろう、言葉に語らずともその風貌がそれを証明しておる。
ただ、気にかかったのはその表情。死人のように青ざめた顔で、瞳がどこか遠くの星を見ているようじゃった。――幽鬼、そのように取られても致し方ない削られたガラスのような空気に見つめることさえ躊躇うような。あぁ、その青く黒く濡れた目でどれだけの戦いを見てきたのか? 想像できないほど重く硬い質量の輝きに目が眩みそうになる。
「へぇ〜クリスの……嘘だろぉ!? なんか世界観違くねぇか!?」
「七年後ですからねぇ、世界が変容してしまうとのことでしたしこういった変化も起こるということなのでしょう。あぁそれにしてもイケメンですね!! 素晴らしい……!」
「賢者の言いたいことはわかることにはわかるのだが、……悲しい顔をしているのだ」
「うむ、……うむ。それでも頑張ってきたのじゃな、クリスは」
えらいえらいと頭を撫でる。本来の精神年齢がどれほどのものかは分からずとも、パスカルにとってクリスは可愛らしい後輩であり背を支えるべき後輩だった。
「うん……色々、あったからね」
くすぐったいよと鼻を擦りながら笑うクリスは、そろそろ始めようかと本来の自分自身の影に一歩踏み出した。
「お久しぶり、……なんて変かな。また会えて嬉しいよ」
まるで友に語りかけるようにクリスは手を差し伸べる。その手を見た螺旋の勇者の虚像はその瞬きに顔を上げると、ふと笑ってみせた。
「こうして向き合う日が二度もくるなんてな、世の中って不思議だな」
「そうだね。本当に、何が起こるかなんて分からないや」
「今も楽しいか?」
「うん」
「苦しい?」
「だいぶ」
「まだ諦めてないな」
「……うん」
差し出された手を虚像が握る。幼くなったクリスの小さな手を覆うほど大きな手に刻まれていた傷の多さに絶句する、それでも彼の手は生きていた。そうであっても彼はそうするのだろうなとパスカルは、クリスに眠っていた本物の星の色を垣間見た気がした。
「僕は進むよ」
螺旋の勇者の虚像がその言葉に頷くと、それに呼応するように赤い風が舞い上がった。試練が始まる音にみんな咄嗟に臨戦態勢を取る、とっくにエンジンが入っていたクリスが勇者の剣を引き抜き虚栄から距離を置く。その隣に並び立ちながらパスカルは大剣を握りしめる、膨らんでいく風と気配。その臨界でセルバが戦闘開始の合図を叫んだ。
「くるのだ!!」
「気をつけて! あれは僕だ、絶対開幕で7本目の指を切る!!」
「なんだそりゃ!?」「まさか前言っていたデメリットがうわ回る切り札のことかの!?」
「あっろくに説明してないな!? ええっと――」
べきり。
骨がへし折れる音がしたかと思うと纏う風が切り裂かれ、気配が膨らみ爆発する。虚像が剣を振り払うと、次の瞬間肉と骨が再構築されるかのような姿に変貌し……それは次の瞬間には大槍を持った長身の騎士がそこに立っていた。
「ああいうこと!!」
骨なるものの最後の試練が咆哮を上げる。
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