廃帝劉協の逃避行は中途半端に悲惨だったようだ
天子の行幸に乗じて南陽からはなれて冀州の袁紹の元へ向かう一行は、関などを通り抜けるのに何故か苦労しなかったがそれでも当然ながら、食料調達の困難に直面していた。
「関をまもるものも漢王室の復興を願う我らの意思を理解してくれているのでしょうな」
もちろんそんなことはなく、関を素通りさせているのは邪魔者を自分の勢力圏からさっさと追い出したい董卓の指示である。
もっとも党錮の禁のときに名士が洛陽から地元まであっさり逃げ出したり、史実の董卓、ここでは袁術の元から袁紹が逃げ出していたりすることも考えても、もともと関所のチェック自体がガバガバで、見逃されやすいのではあろうが、流石に天子の乗る馬車とその周囲を取り囲む物々しい私兵の姿は目立つ。
「それはどうでも良いが朕は腹が空いたぞ」
天子、というか董卓からはすでに彼は廃位されているので、元天子である劉協は王允へ言った。
「申し訳ございませぬ冀州につくまでは余り目立つようなことは出来ませぬゆえ我慢してくださいませ」
王允は申し訳なさそうにそういう。
「その方らは本当に朕のために動いておるのか?」
王允の答えに対して劉協は不満そうにいう。
「もちろんでございます」
恐縮してそういう王允だが内心は早まったかとも思っていた。
季節はもはや夏に差し掛かり、あっというまに食べ物が腐ってしまい、そもそも日持ちのする食べ物などあまりないこの時代では、南陽から逃げ出した一行はろくなものをたべられなくなっていた。
「朕は冷たくて甘い水が飲みたいぞ」
「おそれながらそれは現状無理でございます」
「朕は天子であるぞ」
「今は逆臣たる董卓の下よりまだ逃げている最中でございますゆえもう暫く辛抱してくださいませ」
「もう暫くとはいったい何時までなのだ」
「冀州の袁(紹)本初の下へたどり着けるまででございます」
「ではそれは何時になるのだと朕は聞いておるのだ」
「それは……」
史実において長安から逃げ出し李傕や郭汜に追いかけられていた時に比べれは、おそらく状況はよほど良いが、逆にそこまで追い詰められているわけではないからこそ一行の空気は悪くなるばかりであった。
一方の袁紹の方に南陽から劉協が逃げてきたということは伝わっていたが、彼を迎え入れるかどうかで紛糾していた。
陳王の劉寵はすでに董卓に降伏して庇護下にはいっており、劉虞の息子の劉和も幽州で敵対していることを考えれば、献帝を担ぎ上げることにはメリットが有るようにも思えた。
献帝を迎えることを熱心に主張したのは郭図であった。
「天子が逃げてこちらへきたとなれば董卓の暴虐を天下に喧伝することが出来ますぞ」
それに反対したのは許攸である。
「ここ(冀州)では劉協が先帝(霊帝)の子ではないと広めているのに今更迎えても意味がないではないか」
しかし袁紹は、許攸の意見を却下して郭図に献帝を迎えに行かせた。
「今は利用できるものは何でも利用するべきだ。
郭(図)公則よ、速やかに迎え入れるように手配し、お前が直々に迎えにゆくがいい」
「かしこまりました」
もし袁紹が献帝を受け入れなかったら彼らは途中で餓死するか、黄巾残党の襲撃で死ぬかしていた可能性が高かったが、郭図の行動を董卓陣営はあえて見逃したため、劉協や王允達はなんとか冀州の鄴までたどり着いた。
だが冀州は彼らの安息の場所とはならなかった。
袁紹は劉協に権力を持たすつもりなど当然無かったからだ。
更にこれにより郭図・辛評と逢紀・許攸らの対立はさらに深まった。
「もはやあのような匹夫のもとにいる意味はない」
許攸がそういうと逢紀もうなずく。
「曹(操)孟徳の伝を頼り我らは南陽へ戻ろうではないか」
もともと逢紀・許攸の出身は南陽であり、とくに許攸は黄巾の乱のときには董卓の下で戦ったこともあったりするので全く面識がないわけではなかった。
もっともいまさら董卓のもとに手ぶらで向かった所で厚遇されないことは両名もわかっていた。
「なにか手土産が必要だな」
「うむ、だがまずは曹(操)孟徳と連絡をとったほうが良いであろう」
「それもそうだな」
二人はまずは曹操と手紙による接触することにしたのだった。
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