一応この時代も小隊制度や輜重の概念はある
さて、呂布を正式に配下にしたことで彼にはまずはこの時代の最小単位である伍長から指揮を取ることをはじめてもらう。
「兵士を率いるというのは、個人の武勇だけでなんとかなるものではない。
指示に関しての上意下達を確認するのも大事だぞ」
「なるほどそういうものか」
「田畑を耕すのも誰かが状況を確認して指示したほうが早いだろう?」
「そう言われればそうだな」
田畑を耕すときも兵士としての行動の訓練を行う際も、ある程度の集団のリーダーを決めて効率よく作業をさせるに越したことはない。
涼州や并州は放棄された耕作地が少なくないので、農地を広げるのも今は難しくない。
黄巾の乱以降は北東部の冀州や兗州・豫州・青州なども、争いが広がって逃げ出す農民が増えるので、耕作放棄地が増えるから、曹操は屯田兵によってある程度食糧を自給できるようにするわけだが。
なお後漢の軍事組織ではまず5人一組の
2つの伍をあわせて指揮する
伍を5つまとめて25人の
隊を4つまとめた100人の
閭を5つまとめた500人の
屯長は今で言うなら大隊長の少佐くらいだからこれになれれば正式に朝廷から給料ももらえるようになるので結構な出世だ。
その上が1000人を率いる
その上は部で曲をいくつか集めた数だが2500人から5000人程度で校尉・軍司馬・軍仮司馬などの一軍の指揮官に近くなる。
この上は軍で10000から12500ぐらいで将軍や中郎将などが率いることになる。
将軍は校尉に指示を出し校尉は軍侯に指示を出すなど軍組織の上下関係は一応確立している……のだが、実際にはそんなにきちんと体系立てて部隊が別れているわけではなくて、もっと適当だったりもするけどな。
特に反乱をおこしたものを吸収した部隊や、山賊などになったものを降伏させた場合に、それらを組み込んでもそんなに系統立てて組織が構築されてるわけではなかったりする。
ただ、指揮官が死んだらその下のものは別の誰かの下に入るみたいなものはある程度は決まってる。
董卓が何進やその弟の何苗の兵士や丁原の配下の兵士を吸収できたのも、彼らが個人的な私兵ではなくて徴兵された兵士だったからだが、私兵としての部曲はそうも行かなかったりするのだけどな。
「とにかく大勢をきちんと行動させるにはわかりやすく明確な指示を行うのは大切だし、下の人間から信頼を得るのも大事だぞ」
「わかった、やってみよう」
この時代では将軍でありつつ行政官の役目も果たさないといけないことが多いからけっこう大変だ。
しかし涼州三明や皇甫嵩・盧植といった者は皆そういったことを行ってるし黄巾の乱以降の各地の太守などは自衛できなければ命を簡単に落としたりしもしている今のうちにそういったことも可能な限りは出来るようにしないといけないな。
俺自身は今まで涼州三明の下ということで一番上として指示を出す必要はなかったが、これからは俺自身が一番上として采配を振るわなければならないことも増えるだろう。
あと今の洛陽は宦官と清流派がガチで殺し合いしてるし、そろそろ段熲とは縁を切っておこう。
張奐や皇甫規はともかく段熲は宦官とべったりだから、まじで俺も政争に巻き込まれたら死ぬ可能性があるし。
絶大な権力を持っていたはずの侯覧はもうすぐ罷免されて自殺するはずだし、王甫もそんなに長生きはできないはずだ。
曹節は寿命みたいだったようだが、宦官も特に下級の宦官は高齢になって激務に耐えられなくなったりすると、解雇されて後宮などから追放され乞食としての生活を強いられるが、宦官に慈悲を与えるものは少ないから大抵は餓死することを余儀なくされたし宦官も生き延びるのは大変だったみたいだな。
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