003・穴と写真
「佐藤さんは何故『穴』の写真ばかり撮るんです?」
写真のグループ展が終わった打ち上げの席で、白雪さんは唐突にそう言った。
「人や風景ではなく『穴』ばかりですよね。何故です?」
「最初の頃は人や風景も撮っていたけど、まぁ、しっくりこなかったんだよね、そういうのは。……でも、そういう質問をしたのは、君が初めてだね」
というかそもそも、僕の写真のコンセプトが『穴』であることをくみ取られたこと自体が初めてだった。何故なら僕の写真の大半は穴に見立てた何か――例えば月や、マンホールや、指輪――が大半だからだ。
「では、他の人たちは何というんです?」
「大抵は何も言わない。困り顔で、よくわからなかったという苦笑を浮かべるだけだ。……あぁ、あいつは違ったな」
そう言って僕はビール瓶を片手に笑っている男を指さす。
「相澤さんですか?」
「うん。あいつはね、僕の写真を見ると、大笑いしながら言ったんだ。君の写真は変だ、ってね」
「あの人らしいですね」
呆れ顔でそう言い、彼女はウーロン杯を傾ける。
「佐藤さんは、相澤さんとはどういったご関係なんですか?」
僕はすっかり温くなったビールのグラスを傾け、応える。
「大学の同期なんだ」
相澤とは大学入学直後に知り合ったので、その濃淡を無視すればかれこれ六年近くの付き合いになる。
濃淡、というのはつまり、大学卒業後に殆ど連絡をとってなかったことを指している。年始の挨拶くらいはスマホを通じて交わしていたが、年賀状を送る程でもなかった。
そんな彼が半年前、唐突に電話をかけてきた。実に二年ぶりの事だ。彼は面倒な挨拶抜きで、単刀直入に、写真のグループ展へ参加しないかと誘ってきた。そしてその誘い文句は、これ以上ないくらいあけすけなモノだった。
「知り合いの伝手でいい会場を押さえたんだけどさ、思ったほど会場費をまけてくれなかったんだよ。だから割り勘できる頭数を増やしてる最中なんだ」
最初、僕は彼の誘いを断ろうとした。撮った写真をネットに上げることはあっても展示したことはなかったし、また、展示する強い動機も無かったからだ。僕の中で写真というのは、撮影し、現像して、知り合いに見せるか、部屋に飾る、という流れで完結する行為だった。
けれど相澤は粘った。飄々とした彼独自のスタイルは貫いたが、その裏には情熱があった。もしかしたらそれは彼なりの、主催者としての意地だったのかもしれない。
「佐藤。君は妙な写真を撮るだろう? 俺が思うにね、君は写真を見せる相手を間違えてるよ。妙な写真は妙な人間に見せないと。違うかい? え? 妙な人間? もちろん揃えてるさ。まぁ、客じゃなくて、参加者側だけれどね」
僕が白雪さんと再び会ったのは、グループ展の打ち上げからひと月が経った頃の事だった。僕たちは新宿駅の南口で落ちあい、カメラを片手に、南下して明治神宮に入った。
非常に癪なことだが、相澤の言うことは全く正しかったのだと思う。グループ展がきっかけで彼女は僕の写真……というよりも、僕の持つ『穴』というコンセプトに興味を持った。そして「私も撮影してみたい」という彼女の強い希望から、こうして街を散策しながら撮影してまわることになったのだ。
互いに、装備は非常に軽装だった。僕はシグマのdp2 Quattroで、彼女はLumixのコンデジ(恐らくDMCのTX1?)で撮影していた。僕は一応、一眼を鞄に忍ばせていたが取り出すことは無かったし、彼女はそもそも持ってきてすらいなかった。多分この辺の感覚が僕と彼女に共通し、所謂『写真好きの人々』ともう一つ仲良くなれない原因だろうと思った。
「そういえば、写真はいつから?」
明治神宮を抜けて代々木公園通りを歩きつつ、僕は尋ねた。
「一年半ほど前ですかね。昨年のグループ展に、相澤さんからお誘いを受けたんです。
相澤さんは会社の二期上の先輩ですが、部署が違うので喋ったことはありませんでした。ただ、あるプロジェクトで色々とやり取りすることになって、で、ある日突然言われたんです。『君は面白いから、君が取る写真もきっと面白い。どうだ、グループ展に参加しないか』って。
まぁ実際は、グループ展に参加する予定だったメンバーの一人が急に出られなくなって、スペースと資金を埋めてくれる人間が必要で、手当たり次第に声をかけていたみたいですが。
でもそうやってノセられて、真面目に写真を撮ってみて、初めて分かったんです。写真の面白さと、難しさが」
「なるほど」
「あの歩道橋、登ってもいいですか」
「もちろん」
歩道橋に登って何を撮るつもりだろう、と思っていると、彼女はカメラを空に向けた。空にはドーナツ状の雲があった。けれど、僕の視線はそこから彼女へと引き戻された。
それまで、彼女はディスプレイを見ながらカメラを構えていたが、太陽が眩しくてディスプレイがよく見えないのか、今はファインダーを覗いて構えていた。そしてその姿は、美しかった。まるで猟銃を構えた漁師のように、様々な点が直線で結ばれ、安定していたが、何かが少しズレれば全てが崩れてしまうような緊張感があった。
そしてその瞬間に、少しだけ自分が理解できた気がした。今ならば彼女に、何故『穴』を撮るのか、その理由を説明できる気がした。
けれど今はそんな場合ではなかった。僕は急いで、しかし冷静に、カメラを構えてファインダーを覗き、彼女を捕え、そしてシャッターを切った。
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