第83話 クリスとヴィオラ


「これで一つ貸しだよ。学院生活はさぞ楽しかったようだな」


「……申し訳ありません…」



 教養を重んじる女学院に通っていながら何を学んできたのだと嫌味を含ませた言い方にイラっとしたが、ここはグッと我慢する。


ヴィオラは結局、自身で解決できず、悩んだ末、クリス皇子を頼ることにしたのだ。



「フェルマーナ嬢は、明日から急病で学園へは通えなくなるようだ」



 薄暗い微笑みを浮かべそう話すクリスを前に思わず眉を寄せる。要は退学の根回しをしたということだろう。



「不服かい?だが、皇族に対する虚偽の証言を拡散したのだから仕方がないさ。今日中に学園内に知らせが回るよう手配した。もう安心するといい」



 手渡された文書を拝読すると、そこにはいいようにまとめられた偽造文章が書かれてあった。



 クリス皇子の行動は生徒会会長として、身分差にとらわれない善行であったが一生徒が虚偽拡散行動をしたこと。


 以前から私怨を抱いていた令嬢を陥れる為の犯行も企てており、関連証拠物も見つかり、皇族を巻き込んだその行為は罪深く、本人とその家門に対し相応の厳罰に処すなどとあり、少々罪悪感を感じずにはいられなかった。



「その文書を作ってくれたのはスネークだ。後日礼を言うんだな」


「…はい」


「私は言ったはずだ。ティアラには手を出すな、とね?」


「クリス様の言い方はいつも分かりにくいのです!すぐわたくしを試すようなことをなさいますし!!」


「ククッ…。何年一緒の付き合いだ。私の思考は大体君もわかるだろう?」




 わからないわよ!!




 思わず、そう悪態をつきたくなる。いつもそうだ。クリス皇子に付き合っていくには言葉の裏も読み取らねばならない。ヴィオラにはそれが難解で苦痛だった。



「それに、わたくしはお父様から言われているんです」



『婚約者の地位を奪われないようにせよ』と。



「公の場で、ティアラさんを責めれば手っ取り早いと思ったのです。…わたくしの行動を誰が見ているかわからないですし。父には逐一情報が渡りますもの」



 きちんと、自分はクリス皇子を正し、他の者がその座に目がくらまないように威嚇した態度を周囲に見せつけアピールする必要があったのだ。



「それにしては浅はかだったがな…」


「うっ」


「ヴィーは詰めが甘いんだ。もっとスマートにこなすべきだ」


「うぐっ!」



 痛いところを突いてくる。



「クリス様がティアラさんのことに執着したのがいけないんですわ!」



 そう責めるも彼は全く動じない。むしろ見下すようにあざ笑う顔がなんとも憎たらしい。


 ヴィオラとてクリスとの間に恋愛感情はなかった。二人にあるのは、パートナーとしての絆だけ。これはすべてクリスのせいだ。




 『私は本心から誰かを愛す気はない。いや…愛せない…』




 そう言ったのだ。聞いた当時は受け入れがたく葛藤することもあった。


だが、ヴィオラはクリスの生い立ちを知っていた。だから、彼がそうなってしまったのは仕方のないこと。そう受け入れたのだ。


自分とて、敷かれたレールから外れる勇気はなかった。そんなに強い人間ではないのだ。


 それでも抗い、自分にできることを探した。行きつく先は結局とても定番な答えだった。


 せめて帝国の為に、人生のパートナーとして役目を果たす…そう考えたのだ。



「……実際のところはどうなのです?」


「なにがだ」


「ティアラさんのことです。あなたは一人に執着する方ではありませんでしたわ。だから、父も今まではどんなことをしてもただの遊びだと大目に見ていたのですわ。けれど、今回ばかりは違う。本当に婚約破棄がちらつきそうだったからわたくしをけしかけた…」


「フッ。侯爵もいらぬ心配をしたものだな」



 婚約破棄は彼の中にはないということだろうか。だがもう一度念を押すように伝える。



「わたくしは役目を全うするだけです。クリス様の恋路を邪魔する気はありませんけれど、結婚した後に毒殺などと馬鹿げたことは考えないでくださいな。わたくしは帝国の為に身を捧げるのですから…」



 お前とは志が違うのだと目で訴えてやる。



「ああ、お互いに穏やかな仲であるべきだ。だからヴィーの失敗も後始末してやっているだろう?君はいつもどこか抜けている」


「ううっ!!」


「それに、私があの子に一目置いているのはカイルが彼女の秘密を隠しているからだ」



 彼は顔を歪めてそう呟いた。



「秘密?」


「それ以上は言えない。ヴィーは口が軽いから相談したくてもできないのだよ」



 ああ、うちの婚約者は間抜けで困ったものだなと大袈裟な口調で言われ、イラっとする。



(この男…、本当むかつくわ……)



 けれど、頼れば手を貸してくれる。なんとも不思議な関係だった。


 ヴィオラは、彼から愛せないと告げられた日から次第にきつい性格へと変貌してしまった。


 それは彼女なりの抵抗であり、防衛策でもあった。一定の距離以上お互いに踏み込まない。情に流され恋してしまうのは嫌だった。


 恋したところで、クリスは決してその愛に応えてくれない。傷つくのは自分だけ。それならば、恋などしない。




 愛なんて……いらない。




クリスもそれを察し、彼女が高慢な態度をとったとしても咎めることはしなかった。



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