第29話 やめる?避ける?いいえ、挑みます!


 ノヴァーリス学園の校舎は中に入ると二階に一年生のクラスがある。


 そして階段を上がるごとに高学年のクラスが配置されている。


 校舎は広く、東西南北の方位にそれぞれ廊下が設けられていた。寮や教室は南東方面にあり、今回の西の演奏会場へ行く際、多くの人は南から西のルートを使って行くことが多かった。


 閉じ込められていたのは北の演奏会場だったのでこの場合、北から西へと繋ぐ廊下を使うのが一番早い。


 私達もその道を使い歩を速めていたのだが、その途中でカイル様は何かを思い出したかのように声を掛けてきた。



「そういえば……皇子はなぜティアラがあそこにいるってすぐわかったんだろう。僕が西の控え室に行った時にはいなかったな…。何か言っていた?」


「あ…、えっと西の演奏会場へ行く途中フェルマーナさん達を見掛けたと言ってました。それから…」



 皇子がどのようにしてあそこに辿り着けたのかを説明していく。


 フェルマーナさん達の会話を少し聞いたこと、控え室に着くと彼女達が私の代わりに歌うと言い出したこと。


 以前お茶会をした時に、北の鍵の使い方の注意したことがあったので、それでこちらに来たと言っていたこと…。



「なるほど………」


「何か不思議な点でもありましたか?」


「いや、不思議ではないけど…。よくそんなにテンポ良く居場所がわかったなと思ってね。それに本来ならば主催側の人間だ。そう簡単に持ち場を離れていい人ではないだろう」



 少し考えた後カイル様は質問された。



「ティアラは…、今日の演奏会出たいかい?」





 西の演奏会場の扉はぴったりと閉まり、音は聞こえない。だが、予定通りであれば今はまだ三年生の部の演奏途中のはず。


 私はカイル様に下ろしてもらうと、一度目を閉じて、ゆっくりと呼吸を整えた。



---------



 ―「ティアラは…、今日の演奏会出たいかい?」―



 そう聞かれた時、一瞬動揺してしまった。



「僕も歌ってほしいとは思ってる。だけど、皇子の動向が少し気になってね…。もしかしたら今後、今よりも接近してくるかもしれない。あいつは以前から僕に対してどこか対抗心を燃やしているような部分があったから…」


「対抗心…。なにかあったんですか?」


「僕から敢えてなにかした覚えはないんだけどね。癇に障るのかな…?ただ、あいつがどういう意図でティアラに近づこうとして、何をしたいのかがはっきりとわからなかったからさ。皇子は人の感情を弄んで操作したがるきらいがあるようだから。あ、いや、…それとも本当に惚れたのか…」


「え…、そんなことは…」



 …ないだろうと否定する。


 ただ、ふと以前クリス皇子が『フォルティス卿が囲うほどの令嬢…』と言っていた言葉を思い出す。


 話してみたかったと言っていたのは私がカイル様に大事にされていたから…。


 カイル様にとって私がどんな存在なのかを知りたかったから近づいた…?



「なんにせよ、あいつの理由ははっきりしないけれど、歌うということは結果的にはそうなると思う。…ティアラはそれでも大丈夫かい?」



 それは、『それでも歌うの?』と言われているようでもあった。



 確かにこれから歌うのであれば、主催陣営の先生方やその後のパーティーを主催する会長との話し合いが必要だろう。


 時間調節ができなければ歌うことは難しい。


 私が歌いたいならば、皇子は後押ししてくれると言っていた。でもそれは皇子に借りを作るということにもなる。そのせいで繋がる縁というものも生じてくる。



「…正直、少し迷います。皇子との接触は避けたいです。…でも…今までやってきたことを無駄にもしたくなくて…」


 自分から演奏会に参加し一歩勇気を出してみたこと…。カイル様やフォルテ先生と何度も練習したこと。フェルマーナさん達と衝突してまで歌おうと選択したこと…。



「歌うという選択は危険かもしれない。でも、それでも…今回はちゃんと最後までやり遂げたいんです…。それは間違いでしょうか…?」



 私のたどたどしい言葉にもカイル様はきちんと相槌を打ちながら聞いてくれた。そしてそれに対しての答えもきちんと用意してくれた。



「わかった。どうやら君を侮っていたようだ。だいぶ心が強くなってきたね」


「え…?」


「避けるということだけが選択肢ではないから。ティアラが望むならそうしよう。…でも困ったことがあったらすぐ言うんだよ」


「は…はい!」



---------



 目を開け演奏会場の扉の方から、後ろにいたカイル様の方に向きを変える。



「カイル様、入る前に少しだけ力を貸してもらえますか?」


「え?ああ、いいよ。なんだい?」


「目を…、閉じてもらってもいいですか?」


「わかった。これでいいかな?」



 瞳を閉じると、長くて綺麗なまつ毛が見えた。本当に顔立ちが整っていて綺麗な顔をされている。


 私は閉じたことを確認すると、腰に手を回しぎゅっと強く抱き着いた。その思いがけない行動に、一瞬微弱な反応をするもこちらの気持ちを察したのか、彼もまた少し屈み、私の頭と背中を大きな両腕で包み込んで背中を軽く叩いてくれた。



(あったかい…)



 彼の胸の中は広くて、怖いものすべて受け止めてくれるような気がしてとても心地よかった。



「カイル様…。ありがとうございます」



 そっと離れて、恥ずかしさを誤魔化すように前髪を整えニコリと微笑む。



「ここから先は歩いて行きます」


「……うん」



 扉を両手で開く。少し重たいその扉を、カイル様が上からぐっと力を加えてくれた。


 一気に大音量の演奏の音が耳に入って来る。演奏者はちょうど三年生の部の最後の曲だった。


 私は一歩一歩前に進む。足を少し庇いつつも、それでも先程よりは幾分ましになったような気がした。





 控え室には関係者の生徒や先生方、そして生徒会としてディガル卿とリリアナ皇女、それからクリス皇子殿下が控えていた。


 リリアナ皇女は若干こちらを睨んでいるようにも見えたけれども…。


 カイル様と共に私が到着したことでフォルテ先生やマリアが駆け寄り心配と歓喜の声が上がった。その後にクリス皇子が口を開いた。



「ティアラ嬢、あらかたの説明は皆にもさせてもらった。君はどうする?歌うのならば、こちらも調節させてもらうが…」



 クリス皇子の後ろにはリズレイアさんとフェルマーナさんの姿も見えた。だが二人とも顔色が芳しくなかった。


 私は二人のことは触れずに一言だけ伝える。



「……私は、歌いたいです」


「承知した。その言葉を待っていたよ。では後は任せてくれ。こちらの方でいいようにしておく。君は私の後に歌ってくれればいい」


「はい」



 すると、クリス皇子は主催関係者の方々に指示を出していく。


 リリアナ皇女殿下とディガル卿もそこではきちっと仕事をこなしていた。


 一通りの仕事を終えた後、一緒に舞台袖まで行くように促される。カイル様に目で行ってきますと言うとこくんと頷かれた。



「私がプログラムの変更などの話をした後、ティアラを呼ぶから、そしたら出てきてくれ」


「皇子殿下、です」



 その場には二人だけだとはいえ、その呼び方はよくないと思い訂正を求めた。



「君は本当にブレないな。それじゃあ、行ってくる」



 頭にポンと触れるとそのまま舞台へと出て行った。




「――そのようなわけで、特別枠として、最後に一年生の部からティアラ・レヴァン嬢に歌ってもらうこととする。では、ティアラ嬢、こちらへ来てもらえるだろうか」



 クリス皇子殿下が生徒達に対し挨拶と共に予定変更点にいての話を終えると、会場からは拍手が起こった。


 その拍手と共に舞台へ現れたのは、ピンクパールの薄いドレスの色と春をイメージしたような小花を髪に飾った、ホワイトブロンドの髪の少女だった。



「では、期待している」と全体の前で、屈んで近づき耳元で囁かれると、生徒の中から黄色い歓声が上がった。


 目で抵抗を示すと口元に弧を描いて彼は舞台袖へと消えてしまった。


 気を取り直して、もう一度ゆっくりと呼吸し、心を落ち着かせる。


 観客席には沢山の生徒が座っていた。それを見ただけで、臆してしまいそうだった。けれど、この日の為に沢山練習して来たのだ。そっと胸元に隠していた指輪部分に手を添える。



 おちつけ……。いつも通りやればできる。



 そう自分に言い聞かせた。


 照明が次第に暗くなり、自分の部分にだけスポットライトが当たる。それに従い会場内も一気に静まり返り、ピアノの伴奏と共に歌が始まった。




「……ラァーーー――――――――――――」




 小さな唇を開くと、どこからともなく風が吹いたかのように澄んだ声が会場中に響き渡った。


 ゆっくりと奏でる音はどこまでも優しく、一筋の光が空から差し、天使が舞い降りてきたかのようだった。


 歌詞を並べ少しずつ音を大きくしていく。それは会場という暗闇に光のカーテンが現れ揺らめく中、白い鳩が群れをなし羽ばたいていくかのような錯覚を起こしそうなほど神秘的で幻想的な歌声だった。


 舞台の上で天使が片手を挙げ暗闇に手を差し伸べると歌と共に心臓が揺さぶられるような鳥肌が立つ。


 その歌詞が切なければ、自然と涙を流し、癒す言葉になれば、懐かしさを伴うような切なさと温かさで胸を打つような音となり多くの人の心を揺さぶった。



 静かに歌い終えると会場からは割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こり、私はほんのりと淡い桃色に上気した頬と緊張で浅くなる呼吸の中、達成感と高揚感を感じ胸が熱くなった。




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