変化 2

「あの、それはどういう……」

 小夜はイサナギにその言葉の意味を問いかける。


「お前は、私のことを好いてはいないだろう」

 イサナギの言葉を聞いて、小夜はイサナギとの会話を思い出す。


『普通、婚姻というものは好いている者同士がするものだ。お前は私と、本当に夫婦になることができるのかと聞いている』

『わかりません……。ですが、私には行くところがないのです。イサナギ様のお傍しか、ないのです……』


「お前は、行くところがないからここにいるだけだと」

 イサナギの瞳がわずかに揺れた。イサナギが自分のことをどれだけ想ってくれているのか、今なら分かる。


「だから私は待つ」

 イサナギは小夜の目を真っ直ぐに見て言った。

「え……?」


「お前が私を好くまでは、何もしないと約束しよう」

 イサナギの真剣な表情が、その言葉が嘘ではないことを証明しているかのようだった。

「ただ……」


 瞬間、小夜は優しい温もりに包まれる。

「このくらいは許してくれ」

 イサナギが優しく小夜を抱きしめていた。小夜の頬がうっすらと桜色に染まる。


「……はい……」

 小夜はイサナギの背中にそっと腕を回し、イサナギだけに聞こえるように呟いた。


 やがてイサナギが体を離すと、小夜に言葉をかける。

「そういえば『何か自分にも出来ることがあれば』と言っていたな」

 ふと離れていく温もりに少し寂しさを感じつつも、小夜は返事をする。

「はい……」


 イサナギは一瞬何かを考えるような素振りをして、小夜の目を見た。

「では、私の部屋の掃除を任せられるか?」

「え……イサナギ様の、ですか?」

 イサナギのその言葉に小夜は驚く。


「嫌か?」

「い、いえ……! 私が、その、イサナギ様の自室へ入って良いのでしょうか?」

 狼狽える小夜を見て、イサナギがなんてことないように答える。

「何を言っている? 毎日入っているだろう。夫婦の儀も行い、今もこうして……」

 イサナギは自分の言葉に、夫婦の儀や小夜を抱きしめたことを思い返し、頬に熱が宿る。

 咄嗟に口元を隠すが、目の前にいる小夜も頬が赤くなっているようだった。

 お互い何も言えずに静寂が広がる。


「あ、あの、それでは私、お部屋に戻りますね」

 静寂を破るように小夜がイサナギに声をかける。

「あぁ……」

 イサナギもどこかぎこちなくそれに答えた。


「では、失礼します」

 小夜は頭を下げると、今度こそイサナギの自室を後にする。


その後も、二人の頬には熱が宿ったままだった。


 小夜が部屋へ戻る途中、天が声をかけてきた。

「小夜様! イサナギ様は、その、大丈夫でしたか?」

「あ……はい……」

 歯切れの悪い小夜の言葉に天は心配するも、その桜色に染まる頬を見て何かを察したようだった。


「そうですか。良かったです」

 微笑む天に、小夜が問いかける。


「あの、お掃除道具はどこにありますか?」

 天は小夜の言葉に慌てて答える。

「小夜様、いけません! お掃除などそんな……!」

 

 小夜が天に事情を話すと、天が驚く。

「イサナギ様が小夜様に自室を……ですか?」

「はい、やはりあまり良くないことなのでしょうか?」

 天の反応に小夜は少し落ち込む。

「とんでもありません! イサナギ様が小夜様にお頼みになったのであれば、問題はございません」

 天は微笑む。


「イサナギ様は、本当に小夜様のことがお好きなんですね」

「え……?」

「ご自分のお部屋を誰にも掃除させたことはありませんでしたので」

 天の言葉に、今度は小夜が驚く。

「そうなんですか?」


「えぇ、なのでよほど小夜様に心を開いていらっしゃるのだと思いますよ」

 小夜の桜色に染まっていた頬が、色濃くなる。


 そんな小夜を見て、天がふふっと笑った。

「では明日、お掃除道具の場所をご案内いたしますね」

「はい、よろしくお願いします」


 天と別れてから部屋へと戻ってきた小夜は、先程イサナギに抱きしめられたことを思い出し、再び頬に熱が宿る。

 小夜は鏡台の前へ行くと、襟元を開け雪の結晶の印を確認した。

 それはイサナギの左首元にあるものと全く同じもので、それが嬉しく、小夜の口に笑みが浮かんだ。


 次の日、イサナギが早くに家を出ることを昨日知った小夜は、見送れるようにと早起きをした。


 イサナギの自室へ向かうと、襖の前で声をかける。

「イサナギ様、小夜です」

 一呼吸置いて返事が聞こえる。

「入れ」


「……失礼します」

 小夜がそっと襖を開けて中へ入ると、そこには外出着に着替えている途中のイサナギがいた。小夜の頬が瞬時に赤く染まる。

「も、申し訳ございません!」

 そう言って部屋を出ようとする小夜をイサナギが呼び止める。

「構わん。そこにいろ」


「……はい……」

 小夜はその場に腰を下ろすが、目の行き場がなく俯く。そんな小夜にイサナギが話しかける。


「昨日は、あの後何をしていた?」

 急な問いかけに、なぜそんなことを聞くのかと思いつつも、小夜は答える。


「……イサナギ様に言われた通り、お裁縫をしていました。その後はお夕餉を食べて、湯あみをして、眠りにつきました」

「……そうか」

 イサナギは着替えの終わりと共にそう呟くと、小夜に近づく。

 ふわっとイサナギに抱きしめられ、小夜の頬が熱くなる。

「あの、イサナギ様……?」


 イサナギは体を離すと、優しく微笑んだ。

「行ってくる」

「あ……門口までお見送りいたします」

 小夜は慌てて声をかけるが、イサナギがそれを制した。

「ここで良い」


 自室を後にしようとするイサナギに小夜が問いかける。

「あの……イサナギ様は、昨日あの後何をされていたんですか?」

 イサナギは軽く振り返ると、小夜のその問いに答えた。


「お前のことを考えていた」

 その口元には笑みが浮かんでおり、小夜の頬が赤く染まる。


「掃除の件だが、部屋で気になるものがあれば、何でも見るなり触るなり好きにしろ」

 そう言い残すと、イサナギは自室を後にした。


「……いってらっしゃいませ」

 少し寂しい気持ちを抱えながら、小夜はイサナギの遠ざかる背中に頭を下げた。

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