祝言の日 3

「私は、イサナギ様が私に冷たいのは、私のような貧しい家の者と無理矢理婚姻をさせられたからなのではと……思っていました。それが嫌で、見向きもしてもらえなかったのかと……」

 それを聞いてイサナギは窓の外から視線を外し、小夜の前に向き直る。


「……それはすまなかった。そんな風に思わせるつもりはなかった」

「ではなぜ、あのような……」

 小夜はここに来てからのイサナギの言動を思い返す。


「それは……」

 イサナギはまたあの仕草をした。口元を隠し視線を逸らす。


「お前が、思っていた以上に美しく成長していたからだ……。あの頃よりずっと。お前を見ると感情が高ぶりそうで、どう接していいものなのか分からなかった」

 イサナギのその言葉に、小夜はまた頬が熱くなるのを感じる。


 ずっと表情を変えず冷たかったイサナギが、今は目の前で照れを隠している。

 『あの時のあの声』がイサナギだと知り、その人との距離が近づいたようで、小夜は嬉しく思いふふっと笑った。


「初めて、笑ったな」

 イサナギの柔らかい声が聞こえた。


「お前と初めて会ったあの日、お前は泣いていた。今回ここに来てからは表情を変えなかったからな」

 小夜は微笑みながらイサナギに返す。

「私は、イサナギ様の笑った顔を見るのは、今で二度目ですよ」


 小夜の言葉にイサナギは今この瞬間、自分にも笑みが浮かんでいることに気づいた。

「見るな」

 視線を逸らすイサナギを見て、小夜はまたふふっと笑った。

「二度目と言ったが、私は一度も笑ったつもりはないぞ」

 小夜は婚姻の儀でのことを思い出す。

「私が誓った時、わずかに微笑んでいるように見えました」

 それを聞いたイサナギの耳がほんのり桜色になっていた。


「ところで……」

 小夜は気になっていたことを改めて問いかける。

「なぜ私が藍色を好きだと?」

「あぁ……」

 イサナギは視線を小夜に戻すと、その問いに答えた。


「あの日、お前は藍色の着物に薄藍色の髪飾りをしていたのでな。好きなのかと勝手に思っていただけだ。違ったか?」

「いいえ、当たっています。なので、部屋の襖やこのお着物も、綺麗な藍色でとても嬉しいです」

 小夜は着物をそっと触る。

「そうか」

 低い中に静けさを持つ声、しかしそこに今までのような冷たさは感じなかった。

 そこで更に疑問が過る。


「あの、イサナギ様のお着物も髪色も綺麗な藍色をしていますね。天に聞いたのですが、お着物や髪色が藍になったのは数年前突然だと聞きましたが……」

 その言葉にイサナギは一瞬固まり、静かにため息をつく。

「あやつはお前に何でも話しているな」

「あ……その、無理にとは……」

 聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、小夜は慌てる。その様子を見てイサナギはふっと笑みを浮かべた。


「先程私は、藍はお前が好きな色だと思ったと言ったな。だから私も身につけた。少しでもお前を近くに感じたかったからだ」

 それを聞き、小夜は頬を赤くする。

 イサナギの言葉に恥ずかしさを覚え、視線を下に向けた。それを隠すように小夜が口を開く。

「あの、髪色はどうされたのですか?」

「これか」

 イサナギは自分の前髪をそっと触りながら答えた。

「銀髪を持つ鬼は大抵のことはできる。この程度のこと、どうということはない」

「そうなのですね」


 ここに来てからイサナギに対してどこか一歩下がっていた小夜だったが、話しているうちにいつの間にか、気持ちがイサナギの近くにいるように感じられた。


「そろそろだな」

 イサナギが窓の外を見て呟く。思った以上に時間は過ぎていたようで、月が見え始めていた。

「あの、そろそろとは……?」

「夫婦の儀だ」

 小夜は頬が熱くなるのを感じた。


 夫婦の儀が何をするものなのかは分からないが、なんとなく想像していることがある。

 緊張と恥ずかしさで高鳴る胸の音が、静かな部屋に響いているような気がした。気持ちの準備が出来ず、小夜はイサナギに尋ねる。

「あの……イサナギ様……」

「なんだ」

 イサナギは視線を小夜に移す。


「その……今日じゃないといけない、ですか……?」

 イサナギは小夜の緊張している姿に気づく。小夜の恥ずかしがる顔が月明かりに照らされ、艶めいているように見えた。


 イサナギは小夜から視線を逸らすと、小夜の問いに答える。

「今日でないといけない。夫婦の儀は、初夜に月明かりの元で行う習わしだ」


 初夜と聞いて更に小夜の頬に熱がこもる。イサナギが静かに立ち上がり、羽織を脱ぐ。その流れるような動きが妖艶に映り、小夜は慌てて視線を逸らす。


 イサナギは襖を挟んで隣にある寝間へと入ると、小夜を呼ぶ。

「来い」

「……はい」

 小夜はそっと立ち上がり、イサナギの元へと向かう。緊張と恥ずかしさで胸の痛みを感じた。


 敷いてある布団の上にあぐらをかいて座るイサナギに向き合うように、小夜がそっと腰を下ろす。

「怖いか?」

「……はい、少し」

 イサナギの問いに小夜は俯きながら正直に答える。


 そんな小夜の頬をイサナギが優しく撫でた。その行動に小夜は驚いてイサナギを見る。

「イサナギ、様……?」

「大丈夫だ」

 その声はとても優しく、小夜の緊張がほぐれ、肩に入っていた力が抜ける。


 イサナギは壊れ物を扱うかのようにそっと小夜を布団へと寝かせた。

 覆い被さるようにイサナギは小夜の上に身を置く。


 イサナギの手が小夜の襟元に触れ、胸元が少しだけ露になった。心臓が強く脈を打ち、小夜はぎゅっと目を閉じる。

「少々、我慢してくれ」

 その言葉と共にイサナギの口が小夜の胸元に触れる。それと同時に激しい痛みが小夜を襲う。

「……っ! イサナギ……様……。い、たい……です」

 小夜が痛みを覚える場所に視線を向けると、胸元に鋭い牙を立てるイサナギがいた。


「……っ!」

 やがてイサナギが小夜の胸元から顔を離すと、痛みが徐々に消えていった。噛まれた場所に目をやると、傷などはなく代わりに雪の結晶の紋様が浮かんでいた。

「これは……」

 小夜が胸元に手を当て、イサナギを見る。


「それは夫婦のいんだ。夫婦の儀は互いに牙を立て、その牙の痕が夫婦の証となる。ただし、地位の高い鬼の牙は傷がすぐに癒えるため、代わりに鬼力によってこのように印の紋様が浮かび上がる」

 そう言ってイサナギは指で小夜の印に触れた。

「そう、なのですね……」


「次はお前の番だ。私の首元へ噛みつけ」

 イサナギは軽く着物をはだけさせると、小夜に首元を差し出した。

「え……」

「『互いに』と言っただろう」

 小夜は動揺する。そんな小夜をイサナギは真剣な瞳で見つめる。


 小夜は恐る恐るイサナギに近づき、その首元に軽く歯を当てた。

「もっと強く噛め」


 イサナギの言葉に小夜はぐっと力を入れる。口の中にじんわりと血の味が広がった。

「も、申し訳ありません! 血が……」

 自分が噛んだ痕を見てみるも、そこに傷はなく小夜と同じ雪の結晶の印が浮かび上がっていた。


「なぜ傷が……」

「私がお前に印を付けただろう。私の妻になった証として、私に印をつける時に同じ能力が発生しただけだ」

 イサナギは体を起こし、襟元を正しながら小夜に説明した。


「ついでに言うとこの印はまず消えることはない」

 それ以上イサナギが小夜に何かしてくるような素振りはなかった。

 初夜ということで覚悟していたが……。小夜が不思議に思っていると、それに気づいたイサナギが小夜に声をかける。


「どうした」

「あ、いえ……、その、初夜と言うので私はてっきり……」

 顔を赤くしながら目を泳がせる小夜に、イサナギはその言葉の意味を理解した。


 咄嗟に口元を隠し、視線を逸らす。

「鬼の初夜は人間とは異なる。だが、夫婦の儀が終わった後に『そう』過ごす者もいるらしい」

 視線を逸らしたまま、イサナギが続ける。


「……お前は……『そう』したいのか?」

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