007. 一人は皆のために
「ちょいちょい、この子怯えてんじゃん」
目の前で起きてる、常識的にあまり良くない状況を見て見ぬふりするほど、綺羅翔也という人間は薄情ではない。壁にもたれかかった男の腕を掴むと、そいつはゆっくりと翔也に振り返り、鋭い眼光で睨みつける。
「あぁ……?何だてめぇ」
「男なら、女の子泣かせちゃダメっしょ?」
「チッ……、新参者が。何も知らねぇで……」
男は舌打ちをすると、目の前の女性に再び振り返り、そして翔也に邪悪な視線を残してその場を去っていった。
「お嬢ちゃん、大丈夫ッスカ?」
「あ、ありがとうございます……、助けていただいて」
男から解放され、その女性は翔也に頭を下げる。律儀さとは裏腹に、その足はまだ震えていた。
「お手洗い行こうとしたら、あの人が後をつけてきて、いきなり……」
「変な奴もいるもんだなぁ、こんな状況なのに……」
「ほんと、何が起きてるんでしょうね……」
「お嬢ちゃん、もしかして一人?」
「あ、はい……。無我夢中でこのモールに逃げ込んできたので」
「俺、連れが何人かいるんだけど、よかったら合流しない?」
「い、いいんですか……?」
「あったりまえよ!一人だと心細いでしょ?」
「あ、ありがとうございます……!」
翔也の提案に、今度は笑顔で頭を下げる女性。足の震えもおさまり、元気を取り戻したその様子に翔也も安堵し、同時に忘れかけていたことを思い出す。
「あぁ、俺トイレしに来たんだった」
◆ ◆ ◆
「なんか、夕飯って気分でもないな」
「確かに。でも、食べれる時に食べとかないと、また逃げることになった時に持たなくなっちゃうかもだから」
そう言いながら、食べ物にかからないよう髪をかき上げてスプーンを口に運ぶ聖那。地景、聖那、透の三人は、食料の調達を終え、三階のフードコートで食事をしていた。
モール内は照明こそ意図的に消してあるものの、電気自体が止まっているわけではない。エレベーターやエスカレーターを使えば、上の階への移動は自由に行えた。
「こんなんになってから、大体六時間か」
「長かったような短かったような」
「空もずっとああだから、今がいつなのか実感がないよね」
今も、数多の天使が舞う空は黄金に輝いている。故に、空を見ただけでは、眠りから目を覚ましても自分が今どの時間にいるのか分からない。食べ物を咀嚼しながらそんなことを考えていると、遠くから地景たちを呼ぶ声が聞こえてきて——
「お〜い、地景〜。聖那ちゃ〜ん」
「あ、翔也さん戻ってきた」
頭の上で手を振りながら、こちらに歩いてくる青色の作業服の男性。数十分ぶりの合流だが、翔也の隣の見知らぬ女性に、地景たちの視線がうつる。
「翔也くん、この子は?」
「変な奴に絡まれてたから助けたんだ。一人で心細いらしいから、仲間に入れてやってくれ」
「
本日幾度目か、ペコリと頭を下げる恵。地景や聖那よりは年上のようであるが、小柄で華奢な体つきと童顔がそれを感じさせない。
「俺、天道地景です。よろしくお願いします」
「神坂聖那です。こっちは、私のお父さんの——」
「神坂透です。よろしくね、恵ちゃん」
「言い忘れてたけど、俺の名前は綺羅翔也だ!よろしく、恵ちん!」
「はい!これから皆さんと一緒だと思うと、心強いです!」
元気な黄色い声と共にニコッ、っと笑顔を見せる恵。それはある者から見たら、この殺伐とした世界に咲く一輪のひまわりのようで、静かに心を震わすのであった。
「翔也、ボーッとしてどうした?」
「え……?あ、いや、何でもない。それより、食料の調達はできたのか?」
「あぁ。取り敢えず、保存が効くもの中心に持ってきたよ」
「おぉ、さっすがぁ。って、このケーキは何だぁ?
「それは、僕が持ってきたんだ。早いうちに消費するよ」
照れた風に頭を掻いてそう言うのは、神坂家の中で最も甘党な透だ。
多くの食料品が乱雑に詰められたバッグ、そのチャックを地景が閉めようとすると、コツコツ、という革靴の音がこちらに近づいてきて、直ぐ目の前で止まった。
「それは、あそこのスーパーで持ってきたのか?」
「あ、はい。今後必要になるかと思って」
地景のその言葉に、ふむ、と顎に手を置く暁。その視線は、食料品が詰め込まれたバッグに釘付けだ。
「それ、俺に預からせてはもらえないか?」
「え、どうしてですか?」
「ここでは、個人の所有物は皆で共有することになっているんだ。その方が、皆に平等に行き渡るからね」
「いやいや、でもこれは地景たちが——」
「分かりました。そう言うことなら協力します」
「ありがとう。君たちのおかげで、皆救われるよ」
翔也の反論を遮った地景が、暁に自身のリュックを渡す。コツコツ、と革靴の音を響かせて去っていくその背中を、翔也は不満げに睨む。
「ったく、いつからこのモールは共産主義になったんだ?」
「まぁいいよ、また後で取りに行けば」
「……ま、こんだけでかい場所なら、食べもんなくなっちまうなんて事もないか」
「でもいいの、地景?リュックごと渡しちゃって、財布とか入ってるんじゃない?」
その聖那の言葉に、地景は短くあっ、と声を漏らし固まるのだった。
「……それも、後で取りに行きます」
◆ ◆ ◆
このモールには生存者以外の人間はおらず、故に彼らがいない場所は静寂に満ちている。外から天使に発見されるのを防ぐため、照明と同時にBGMも止めている。破壊された痕跡こそないが、普段なら目にしないその光景は、不気味以外の何者でもない。
コツコツ、コツコツ、三階の奥の方から聞こえてくる革靴の音は、いくら意識して静かに歩こうとも、気持ち悪いくらい静かなこの場所では容易に響いてしまう。故に、その足跡の後ろ——背後をつけていく一人の男がいたのである。
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