episode8

 精根せいこん尽き果て、死人のように机に突っ伏していると、誰かに頭を小突かれた。重い頭を持ち上げると仏頂面の秋山が立っている。

「ばかやろ」

「ほんと馬鹿でした」

「自覚はあるのか」

 秋山が表情を緩めた。そんな秋山を見て、心配させてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「出来は?」と秋山。

「……この状態の俺に聞くか?」

「だよな」

「お前は?」

「俺に聞くか?」

「だよな」

 二人で顔を見合わせ、ようやく笑うことができた。

「腹へった」と秋山。その言葉に反応したのか、俺の腹の虫がかなりの大音量で食糧を要求した。

「すげぇの飼ってんな、お前」

「まぁな」

 俺と秋山は、そのままラウンジへと向かった。試験の出来は秋山にはああ言ったが、寝不足に勉強不足、加えて直前の激走などを考えるとまぁまぁできた方かもしれない。

 それよりも今問題なのは、あと一日残っているにも関わらず全身に重く圧しかかるこの疲労感。そして明日確実に襲ってくるに違いない筋肉痛。自業自得ではあるが、明日の試験の方が心配だった。

 思わず深い溜め息をつくと「あ、ジンたちだ」と秋山が片手を上げた。秋山の視線の先を追うと、陣内と堺がこっちを見ながら手招きしていた。

「堺さん、さっきはありがとうございました」

 堺の向かいの席に腰かけながら言うと、牛丼を食べる手を止めて、「間に合ったみたいだな」と堺が言った。

「はい」

「結果はどうあれ、お疲れ」

「結果はどうあれって、ひどいなぁ」

 座ると同時にナポリタンを口いっぱいに頬張り始めた秋山がぼやく。

「お、自信あるのか? 難しくて有名な佐々木教授の試験だぞ」

 堺がニヤリと笑った。

「全力、出してやりましたよ」

 秋山は、ふふんと鼻を鳴らした。

「頑張ってたもんな、お前。遅くまで部屋の明かりがついてた」

 堺が言うと、「お父さん」と秋山がフォーク片手に感激した。

「誰がお父さんだ」

 即座に言葉を返す堺に、「なんで知ってんですか?」と陣内が尋ねた。

「駐車場の目の前がアッキの部屋だろ。バイト帰りとか丸見えなんだよ」

 そういえば、アパートの裏手側に駐車場があったのを思い出す。

「やだ、見ないでぇ」

 ふざけて言う秋山に、「俺は密かに、秋山警備保障と呼んでる」と堺。

「いつの間に起業したんすか、俺。仕方ないな。堺さんにはお世話になってるから、愛車のコペルニクス、見といてやりますよ。盗まれるところもしっかりとね!」

「見るだけかい。あと勝手に名前付けるな、カッコいいな」

 ツボに入ったのか、米が気管に入ったのかゴホゴホとせる陣内。すかさず堺が陣内の前に水の入ったコップを置いた。

「大丈夫か?」

 俺が声をかけると涙目の陣内がうなずいた。

「変なとこ入った。あー、苦しかった」

「口に詰め込みすぎなんだよ」

 呆れる秋山に、「ここのカツカレー美味いんだもん。明日の試験用に食べてる」と陣内がカツを頬張ほおばる。

験担げんかつぎか。お前、今日の試験どうだった?」

 パスタを器用にフォークに絡めながら秋山が尋ねると、陣内があからさまな不機嫌顔を作る。

「やめてよ、ご飯が不味くなる」

「さっきからアカーンって言ってたもんな」

 堺が頬杖つきながら、困ったような、呆れたような、なんとも言えない表情を浮かべる。

「お前、堺さんにこんな顔させんなよ」

「違うよ! 堺さんは自分の試験の出来思い出してるだけだって」

「言うようになったな、ジン」

 堺が肩を揺らして笑った。

「ま、やるこたやった。あとは神頼みだけすね」

 秋山はそう言って拝む真似をする。俺も陣内も秋山を真似まねる。そんな俺らを見て堺は、「寛大な神様だといいな」と苦笑いを浮かべた。

「俺がこの大学入れたんだから、神様結構寛大だよ。それより明日で試験終わりだし、またみんなで飲もうよ」

 陣内の言葉に秋山と堺が顔を見合わせ、ふはっと笑い合うと「いいねぇ」と賛同した。

「三澤も来るだろ?」

 陣内が俺を見る。

「ああ、もちろん」

 俺がうなずくと、「そういえば、さっき堺さんから聞いたけど、三澤って高級マンションに住んでるんだって?」と陣内が興味深々に身を乗り出してきた。

「海外赴任中の親戚の家なんだ。しかも、偶然にも隣の人がこの大学の職員でさぁ」

 まるで自分のことのように秋山が答えた。

「なんでアッキが自慢げに答えるんだよ」

「いいだろ。俺の家でもあるし」

 秋山がワハハと笑う。

「お前はジャイアンか」

 堺が呆れ顔になる。

「そんなことよりさ、お隣さんって美人?」

 目を輝かせて尋ねる陣内に「男だぞ」と再び秋山が答えた。

「なんでぇ」

 陣内は、つまらなさそうに口を尖らせた。もう興味を失ったのかカツカレーを食べ出す。俺の住んでいるマンションというよりお隣さんに関心があったようだ。

「秋山のお陰で説明する手間が省けたな」

 俺はなんとか笑顔を取りつくろい、

「ところで、みんな夏休みは地元に帰るの?」

「俺はバイト」

 速攻答える秋山に、「知ってる。お前には聞いてないよ」と俺は返す。

「俺も地元には帰らないよ。バイト入れちゃったし」

 カツの最後の一欠けらを口に放り込みながら陣内が答えると、「俺も。正月くらいかな、地元に帰るのなんて。三澤は帰るのか?」と堺が聞いてきた。

 帰るつもりでいる。柊のいる月宮館に今の状態で残る気にもなれず、今更ではあるが紗織に会って謝りたいとも思っていた。

「え、お前帰んの? 前は残るって言ってたじゃねぇか」

 不満そうに秋山がぼやいた。

「だってお前バイト入れてんだろ?」

「毎日じゃねぇよ。海行こーぜ、海」

「俺も! 俺も行く!」

 陣内が鼻息を荒くしながら顔を突き出した。

「三澤行くなら女の子と仲良くなれるじゃん!」

「やだよ、俺は行かない。二人で行けよ」

 聞き慣れた展開に辟易し、缶コーヒーを口に運ぶ。

 そんな気分ではない。それに、この状態で海なんて爽やかな場所に行ったら確実にうつになる。自信がある。

 どこまでも果てしなく広がる青い空に深い海。でかすぎてちっぽけな悩みなんて吹っ飛ぶっていう人もいるが、俺は逆に先が見えなさすぎて深みにまりそうな気がする。溶け込めない自分に落ち込む気もする。

「それじゃ、意味がないんだよ!」

 秋山と陣内が同時に叫んだ。

「そんなに海に行きたいんなら、俺が連れてってやるよ、愛車のコペンで。あ、コペルニクスか。もちろん一人ずつだけど」

 満面の笑みを浮かべる堺に対し、秋山と陣内が渋顔じゅうめんになる。俺は今朝の堺の話を思い出し、「陣内は堺さんとどこ行ったんだ?」と尋ねた。秋山と同じように海だろうか。

 陣内は視線を落とすと頭を抱え、「大学の裏山にある展望台の夜景見てきた。しかも大勢のカップルの中に混じって」と大きく息をついた。後頭部が話しているのかと思うくらいこうべれている。話し終えると、ゆっくり顔を上げ、ズズズと音を立てながら缶コーヒーを飲み干した。コーヒーをここまで不味そうに飲む人間を俺は初めて見た。

「いやぁ、変な目で見られたよな!」

 ガハハ、と堺が笑う。

「もうっ! 笑いごとじゃないっすよ!」

「悪かったって。あんなに人がいるとは思わなかったんだ」

 悪びれた様子もなく堺が言った。

 俺と秋山が「うわぁ」と顔を見合わせていると、「あ、三澤もメンバーに入ってるから。どっか行きたいとこあるか?」と堺が俺に言った。

「え……」

「遠慮しなくていいぞ」

「拒否権の行使は」

「できません。先輩の命令は絶対です」

 堺がニンマリと笑う。秋山と陣内が合掌した。

 ――やっぱり、地元に帰ろうかな。

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