第52話


「俺には、まだ信じられないな」

 車窓を流れていく景色を見るとはなしに見ながら俺は呟いた。

「Liberaの書き込みはあの人のパソコンから発信されていた。それに協力者が田上でなければ、残るは一人しかいない」

 いつものごとく、淡々と田村が言った。

「……」

 俺は車内に差し込む西日に目を細める。

 ついこの間までは、とっぷりと日が暮れ、家から漏れ出る明かりや街灯の明かりが夜の闇から守るように街を照らしていたのに。随分と日が長くなったものだ。

 鮮やかなオレンジ色に染まった空には、最後の瞬間まで自分の存在を誇示こじするかのように巨大な太陽が燃えていた。

 学生の頃、部活帰りに友人と見た夕日。あの時も、今日と同じくらい大きな太陽が真っ赤に燃えながら沈んていくところだった。一緒にいた友人が「世界の終わりみたいだな」と柄にもないことを言うものだから、おかしくてつい笑ってしまった。

 終りがあるから始まりがある。この世に終わりのないものなんて存在しない。明日という新たな一日が始まる為に太陽は沈んでいく。だからこそ、こんなに綺麗なんだと思う。睨む友人に謝りながら俺がそう言うと、彼は暖かなオレンジ色に世界を染めながら今日という一日を終わらせようとしている太陽を見ながら、「確かに、綺麗だ」と呟いた。

 終わりは必ず来る。――もちろん、この事件にも。

 俺は運転に集中する田村を横目で見ながら、「信じられないと言えば、お前の頭の構造だ」と言ったあと、「勘違いするなよ、褒めてんだからな」とつけ加えた。

「そういうことにしといてやるよ」

 田村が減らず口をたたく。

 俺は唇を突き出し、「素直じゃねぇな」と言うと田村は、ふんと鼻を鳴らした。

 俺たちを乗せたデミオは急勾配きゅうこうばいの坂道がやたら多い住宅街へと入っていった。雪の日は外出を避けたくなるような坂道を、田村は器用にステアリングをさばきながら右へ左へと進んでいく。立ち並ぶ豪邸に目を奪われていると、時代劇でしか見たことのない立派な門戸が目の前に現れた。田村は車を止める。

 敷地内をうかがい知ることができないほどの高い塀がずっと先まで続いている。

まるで、監獄かんごくのようだ。

 美奈と美和は大学を卒業するまでの十年間をここで過ごし、その後、二人は別々の道を歩き始めた。

 そして十年後、美和は再び戻ってきた。

 この、馨の屋敷に――。

 今回、Liberaの書き込みが発見されたことで最有力容疑者となった美和。だが現段階では見つかった書き込みが美和自身が書き込んだものだという確固たる証拠はない。馨には田上がついている。下手に動けば、逆に訴えられかねない。

 俺たちは若林たちと共に、いつでも美和の身柄を確保できるように馨の屋敷を張り込むことになった。この時期でよかった。日が落ちるとまだ肌寒くはあるが、それでも少し前の凍えるような寒さに比べれば耐えられる。

「赦せない、か。――あの書き込みが美奈に対してのものだとしたら、美和は美奈の何が赦せなかったんだろう」

 俺は溜め息をつく。

 事件前日の美和の書き込みは、相手の男だけでなく、美奈に対してのものとも考えることができる。篠原たちは、美奈の別れた恋人との一件で双子の間にいさかいが起きたのではないかと見ていた。

「さぁな。周りが見えなくなっている人間は、平気で周囲の人間を傷つけることがあるからな」

「それだけ美奈は真剣だったんだな、その相手に。生まれて初めての恋なら尚更か。その相手さえいれば彼女は誰も……」俺は言葉を止め、愕然とする。「ま、さか、そんな……あのMichaelのコメントは美和に美奈を殺させる為のものだったのか?」

「何を今更」

「そうじゃない……」

 言葉を失う俺に田村は、「解るように言え。俺はお前の頭の中をのぞくことはできないからな」と言った。

 どこかで聞いたことのあるセリフに俺は思わず吹き出した。

「悪い。あのMichaelのコメント。あれは恋人との復縁をうながすだけでなく、美和を傷つける為に書かれたものだったんじゃないか?」俺は唇を噛んだ。「……悪魔め」

 田村はしばらく黙り込み、「なるほど」と呟いた。 


 自分のために生きることを望んでもいいのでしょうか。


 四日前の美和の書き込み。

 若林から聞いた時、美和は馨を殺す気なのではないかと思った。馨に連絡を入れたのも、それが目的だったと考えれば納得がいく。すべての元凶は、馨だから。

 俺には馨の許から逃げ出した美和が、どんな理由であれ馨に助けを求めるなんて信じられなかった。――たとえそれが、脅して協力させたとしても。

 けれど篠原たちは、美和が逃亡を企てているのではないかと考えていた。

「ピンピンしてるもんなぁ、馨」俺は頭を掻きむしりながら情けない声を出す。「やっぱ警部たちの言う通り、美和は逃亡して新しい人生をやり直すつもりなのかな」

 最愛の家族だった美奈を殺した罪を償うことなく、美和は前に進むことができるのだろうか。それとも――命を奪ってもなお、美奈を赦してはいないのか。

「望月」

 急に名前を呼ばれて顔を上げると、馨の家の方へ駆けていく若林たちの姿が目に入った。何かあったのか。

「行ってみよう」

 俺たちは車から飛び出した。

「若さん!」

 若林たちの許に駆け寄ると、「今さっき、水島から携帯に連絡があったんだ。どうやら、この中にいるらしい」と若林が早口に言った。

「彼が中に?」

 あの馨が水島を家に入れたのだろうか。それこそ信じられない。

「ああ。詳しいことは判らないが、『助けてくれ』って」

「助けてって」俺は目の前に立ち塞がる堅固けんごな門戸を見つめた。「中でいったい何が……」

「判らない。しかも、中からの応答がないんだ」

 若林が再度インターホンを鳴らそうとした時、突然、重々しい音を立てながら門が開いた。

「若さん」

「行こう」

 若林が先頭を切って敷地内へ入っていく。篠原に報告を入れる里見を残し、俺たちも若林のあとに続いた。

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