第33話 Code Injection

 ごく僅かな有利を潰され、戦況は圧倒的な不利へと転げ落ちた。


現界蝕者ファルシフィエルが現実でもスキルを行使できる」という、零一れいいちが持っていた情報優位性。

 その情報は、彼の放った輝疾氷刃ブリザード・ブレイドが、敵に防がれたが故に漏洩した。


 敵――Flareフレア-Sunbringerサンブリンガーは、零一へ不敵な笑みを見せつける。


乾坤一擲けんこんいってきの隠し玉を潰された気分はどうだ?」


 零一の表情の陰りを指し、Flareフレアが口端を吊り上げた。


「…………」


 あざけりを受けても、零一はそれに返す余裕がない。

 脇腹を踏みつけられた痛みの残影。筋肉疲労から来る酸素の枯渇。


 脳の機能が鈍ろうとも、思考を巡らせようという意志が、頭に血を送りこむ。

 力で勝てない相手には、策で勝つしか方法はない。


 にじり寄るFlareフレアに、零一が叫ぶ。


地烈挟撃ギア・グランジ!」


 クラス:魔法使いウィザードの中級攻撃魔法スキル。

 一つを対象とし、その足元の地面を割り、地面の亀裂に落ちた対象を圧潰あっかいする。


「っ!」


 スキル名を聞いたFlareフレアが、慌てて足元を見る。

 だが、そこにはアスファルトがあるばかりで、割れる様子はない。


 詠唱もなくスキル名を叫んだだけの、零一のハッタリである。


「高名なハッカー様が、ただの時間稼ぎしかできねぇかっ!」


 Flareフレアが怒声を上げ、果敢に踏みこむ。

 その口で唱えるのは、炎を呼ぶ詠唱。


「底にあか! 蝶舞う彼岸花!」


 Flareフレアが唱えるのは、クラス:魔法使いウィザードの中級範囲攻撃スキル――崩花煉焼グローリウサス


 接近からの殴打と、無差別範囲攻撃の二択。

 暴力の二択を同時に押しつけようとするFlareフレア


 暴力への対策として、零一が手首のスマート・リングを口に近づける。


Pragmaプラグマ! 拡張現実AR! 光量最大! 即時実行!」

『承知いたしました』


 合成音声がスマリから流れ、零一は両腕で目をかばう。

 刹那。


 カッ!

 

 閃光が、零一の至近距離で炸裂する。


「がっ!?」


 接近してきたFlareフレアは、目潰しの光を真正面から食らう。


 Pragmaプラグマ命令コマンドを受諾し、拡張現実AR機能で生成された閃光である。


 その目くらましに、一か八かの勝機を乗せる。

 零一は、行方ゆくえを掴ませないように横にステップし、詠唱を始める。


幽冥ゆうめい第九圏だいきゅうけんとざ牢固ろうこ……!」


 零一の囁く声。

 至近距離まで近づいたFlareフレアは、聴覚でその位置を捉える。


「どらあっ!」


 一瞬前まで零一が居た位置に、Flareフレアの腕が空振りする。

 敵の視覚はいずれ回復する。零一が早口で続唱した。


無窮むきゅうにして不及ふきゅうの――」


 唱えるのは、障害物があろうと全てを貫通する――絶対零度アブソリュート・ゼロ

 必殺に全てを賭ける零一に対し、Flareフレアが不意を突く。


「――揺れ乱れ枝垂しだれ、崩花煉焼グローリウサスッ!」


 閃光によって中断させられたはずの、崩花煉焼グローリウサスの詠唱。


 ゴオッ!


 Flareフレアの周囲が燃え盛る。

 可燃物もない地面に、一気に火の手が上がった。


「なっ――!」


 ――詠唱が中断したとしても、再開すればスキルは行使される。

 直感を裏切る事実に驚愕し、零一の口が止まった。


 ボウッ!


 零一の制服に、炎が着火する。


 バッ!


 炎から逃れるべく、制服の上着を脱いで捨てる。

 延焼への防御策に1アクションを起こし、一瞬の隙が生まれた。


 そして、炎の中から――Flareフレアの影が迫る。


 ドズンッ!


「がっ!?」


 視界が回復したFlareフレアは、零一に突進を浴びせる。


 Flareフレアは、炎の中を無理矢理突破した。

 火達磨ひだるまになりながらも、ひるまずに突進してきたのだ。


 ダンッ!


 Flareフレアの突進を受けた零一は、コンクリートの塀に叩きつけられた。


 ガッ!


 零一の首に、Flareフレアの両手が回る。


「っ……!」

「へっ、ようやく捕まえたぜ」


 零一を再度追いこんだFlareフレア

 二の次にしていた自身の炎を消火するべく、唱えるのは初級スキル。


「湧け、生命の源泉。滴水アクアクリエイション


 バシャッ!


 虚空から湧いた水をかぶり、Flareフレアに纏わりついていた炎が鎮火する。

 Flareフレアの手に、力が入る。


 ギュウッ……!


 首が絞まる。


「っ!」


 零一の手が苦悶に藻掻くと、


「おっと、同じは食わない」


 Flareフレアが軽口を叩きながら、零一の首から手を放す。


「ゲホッ!」


 シュルッ……。


 咳きこむ零一をよそに、Flareフレアが彼の制服からネクタイを盗み取る。


 ギッ。


 そのネクタイで零一の手指を縛り、ジェスチャー入力ができないように拘束した。


 グッ!


 そして、零一のワイシャツの首襟をつかみ、Flareフレアが唱える。


「脈動の色、貪食どんしょくの師団。咆哮ほうこうは火の森羅万象しんらばんしょうを喰う飢餓の熱」


 朱焔虐域ヴァーミリオン・レギオ

 後はスキル名を唱えれば効果が発動する所まで言い終え、Flareフレアが零一を絞め上げる。


「……これで、お前がスキルを発動するよりも、オレの方が先になる。

 これにて、GGグッドゲームというワケだ」


 詠唱の中断と再開の性質を理解したFlareフレアが、勝利を確信して零一に宣言する。

 零一は、危機に緊張していた肢体したいをだらんと弛緩しかんさせ、敗北を表明した。


「……いい加減に……負けを認めるか……。

 俺は、もう逃げない。少し……力を緩めてくれないか……頭が張り裂けて……破裂しそうだ」


 零一の懇願こんがん

 仇敵の情けない声を受け、Flareフレアの表情に優越感が浮かぶ。


「ああ、分かった。足のつく状態で殺すのは、オレのしょうに合わねぇ」


 Flareフレアが、首襟を絞める力を緩める。

 しかし、零一が逃げないようにしっかりとつかむ。


 薄い酸素を吸う零一は、ずっと頭に残っていた疑問をFlareフレアに投げた。


「……簡単に俺の現在地に至る事はできないはずだ。

 ログインしている間、一瞬の例外もなく、常に秘匿処理をしている。どうやって突き止めた?」


 問うのは、技術的疑問。

 ヴェイン上でしか接触しなかったはずのFlareフレアが、何故自身の位置情報を看破したのか。


 Flareフレアは、ニヤリと笑いながら答える。


「まあ、冥土の土産に教えてやろう。

 オマエも分かるとは思うが、ヴェインには様々なセキュリティホールはある。

 だが――個人情報にアクセスできるような穴は塞がれている」

「…………」


 Flareフレアの語りに、零一が黙って聴聞ちょうもんする。


「ヴェインで現実の位置情報を割り出せないなら、現実世界をハックすればいい。

 そこで、オレたち曇天の黒シュヴァルツヴォルケンは、が出没する町――このヘンピな田舎を荒らすコトにした」

「……放火魔となり、恐怖を扇動する事のどこがハックだ。

 幾らも心があるなら、そんなバカな事は制止すべきだろう」


 零一が異を唱えると、Flareフレアの手に力がこめられる。


「ぐっ……!」

「礼儀を弁えろよ、Zilchジルチ。オレはオマエと一緒に会話を楽しみたいだけだぜ。

 それで、だ。田舎を荒らしてどうするって話だが――役場のシステムを乗っ取る為に必要な手順だったのさ」


 Flareフレアは歩道の舗装を、靴で叩いて示す。


「知ってるだろ? オレたちの足元には、インプラントと通信できる端末が設置されている」


 今や日本全国、電柱や道路には通信端末が埋めこまれている。

 日本国民の脳内マイクロチップインプラント・サーキットとの通信が可能な端末だ。

 急病人が発生した際の自動救急発信、犯罪者の捜索などに使用される。


 その通信端末には、幾重ものセキュリティが施されている。

 今もなお、通信端末のセキュリティが破られたという報告はない。


 Flareフレアが、事の次第の説明を続ける。


「火の手を上げて、災害を演じてやれば――役場は安否確認の送受信機能を起動させる。

 オレは役場に待機しておいて、Polarポーラがコトを起こすのを待っていたのさ。

 そして、機に乗じて――オレは役人の目の前にエサを突きつけてやったんだ」


 通信端末それ自体をハッキングするのは現時点で不可能。

 だが――通信元には、つけ入る隙がある。


 災害発生時、役場は通信端末を操作する送受信サーバを起動させる。

 役人が起動用のパスキーをかざしてサーバを起動させ、アラートを出す手順になっている。


 そのサーバ起動と、アラート発信の間に――Flareフレアの悪意が挟まったのだ。


 騒ぎに乗じて、サーバの近くに一枚の紙が置かれた。

「災害発生対応用コード」と書かれた、二次元コードである。


 役人はFlareフレアの用意した二次元コードをサーバに読みこませ、復元されたスクリプトがサーバに侵入する。


 その結果、Flareフレアの手に情報が渡ったのだ。


「誰もこのQuishingクィッシング攻撃に乗らなければ、リアルタイムでサーバをハッキングする必要があったが――意識の低い役人で助かったな。

 まあ、緩い役人が扱うものだからだろうな。致命的な情報は漏洩しないようになっていた。

 せいぜい読み取れたのは、全住民の位置情報と健康状態、IDトークンくらいだ」


 Flareフレアの説明に、零一がようやく合点がいく。


「……IDトークンと位置情報を突き合わせば、田質町内に存在するヴェインプレイヤーと、現在地を割り出せるという事か」

「ご名答」


 ハッカー間で、情報のすり合わせが完了する。


 IDトークンは、インプラントから発行される識別子の一つである。

 インプラントと連携する外部サービスに渡される、個人毎に一意の、ランダムな文字列からなる識別子。

 この識別子はアクセストークンとは異なり、全てのサービスにおいて共通の識別子となる。


 この識別子だけを入手しただけでは、個人を特定するには至らない。

 役場の情報と照合してようやく――ヴェインから入手したIDトークンは、田質町内限定で位置情報を割り出せるのだ。


 これで、零一の疑問の一つが解消される。

 残った疑問はあと一つ。


「……あの日、自分はヴェインでお前にとどめを刺した。

 現界蝕者ファルシフィエルは、ヴェインで戦闘不能になる事で重体――いや、死亡するはずだ。

 いつ、どうやって、あの一戦から復帰できた?」


 零一の質問に、Flareフレアが肩をすくめる。


「別に、どうという事はない。

 オマエにヴェイン上で殺された際、人がいなくなったのを見計らってPolarポーラが蘇生しに来ただけだ」


 実に単純な解決方法だ。

 それを聞き、零一が深くうなずいた。


「分かった……それだけ訊き出せば充分だ……」

「ようやく満足か? それなら――死なない程度に半殺しにしてやるよ!」


 Flareフレアが拳を振り上げる。

 逆光の夕陽で赤く染まる拳を見て、零一が渾身の気力で叫んだ。


絶対零度アブソリュートゼロ!」


 詠唱のないはずのスキル名。

 それもまたハッタリだと指摘しようとほくそ笑むFlareフレア


 彼の思惑を裏切る切っ先が、零一の足元から顕現する。


 ギギギギギギンッ!


「ッ!?」


 絶対零度アブソリュートゼロ

 クラス:魔法使いウィザードの最上級攻撃魔法スキル。

 地面から巨大な氷柱を何個も生成して相手を貫く。


 Flareフレアの右手に、左手に、服に、髪に、氷の牙が襲いかかる。


「がっ……!」


 体の部位のいくつかを貫通され、痛みに喘ぐFlareフレア


「……っ!」


 Flareフレアの拘束から逃れ、零一は絶対零度アブソリュートゼロの制御を必死に行っていた。

 心臓や大動脈のある致命的な部位を避け、氷は幾つも生成されていく。


 氷に吊るされて宙に浮くFlareフレア


「クソッ――朱焔虐域ヴァーミリオン・レギオッ!」


 既に詠唱を唱え終えていた炎の範囲攻撃を起動させるが、最上級スキルには敵わない。

 巨大な氷柱群は、灼熱の炎を浴びてもわずかしか溶けず、厳然とましましていた。


「チートかッ!? まさか現実世界でもチートを――」


 詠唱なしでのスキルの行使。

 あり得ないはずの事態にズルチートを疑うFlareフレアだったが、脳裏によぎるのは走馬灯じみた言葉の群れ。


『……いい加減かげんに……負けを認めるか……。

 俺は、もう逃げない。少し……力を緩めてくれないか……頭が張りはり裂けて……裂しそうだ』

 ――下限かげん玻璃はり


『……簡たんに俺のげん在地にいたるたる事はできないはずだ。

 ログインしている間、一しゅんれい外もなく、常に秘匿処理をしている。どうやって突き止めた?』

 ――端厳たんげんたる峻嶺しゅんれい


『……放火魔となりとなり、恐怖を扇動すせんどうする事のどこがハックだ。

 幾らもらも心があるなら、そんなバカな事は制止すせいしすべきだろう』

 ――となり、顫動せんどうすらも静止せいし


『……あの、自ぶんはヴェインでお前に止め刺した。

 現界蝕者は、ヴェインで戦闘不能になる事でじゅう体――いや、死亡するはずだ。

 いついつ、どうやって、あの一せんから復帰できた?』

 ――冰雰ひぶん充溢じゅういつせん


 零一の言葉には、絶対零度アブソリュートゼロの詠唱が紛れこんでいた。

 Flareフレアが、詠唱の中断と再開の性質を実証したが故に、零一に浮かんだ天啓である。


「……鼠を角に追い込んでも、まだ狩りは終わってないぞ、仔猫野郎Script kitty


 逆転勝利した零一は、Flareフレアに向かって意趣返しした。

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