第19話 下準備

 月曜日。平日の始まり。

 遊木ゆうき零一れいいちの同級生である女子生徒、青井真凛あおいまりんは友人と共に登校した。


「――でさ、久々のヴェインはどうだった?」

「緊張したけど、やっぱり楽しいよね。

 またチーターとかに襲われたら、って思った事もあったけど、高坂こうさかのお陰でレイド攻略できて良かったよ」

「えへへー、そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ今夜もどっか行ってみる?」


 他愛のない話を交わしながら、1年2組の教室に二人とも入室した。


「おはよー!」


 真凛が教室に入るなり挨拶を放ち、教室内のあちこちから返事が返ってきた。

 真凛が自分の席に座り、席を挟んだ向こう側に友人の高坂が佇立ちょりつする。


 また何かの雑談をしようとした二人の間に、男子生徒が割って入ってきた。


「――あの、ちょっといいか?」


 後ろの席から立ち上がり、二人の会話に割りこんできたのは、転校生の男子高校生、遊木ゆうき零一れいいちだった。

 彼と真凛の接点は三度。入学式の日にチーターに襲われた所を間接的に介抱してくれた事、プライベートで偶然会って幼馴染の話をした事、そしてクラス交流会で同じ班になった事だ。


 ちょくちょくと話してはいるもの、友人という立場にはない曖昧な関係である。

 その彼から話を持ちかけられ、真凛は首を傾げていた。


「うん? なにか用?」

「少し、藤守雷善ふじもりらいぜんについて訊きたい事があった」


 自身の幼馴染の名前を出され、真凛の肩がぴくりと反応した。


「雷善がどうしたの?」

「前に話を聞いた時、どこかで聞き覚えのある名前だと思っていたんだ。

 それで最近思い出したんだが、その雷善は、ヴェインだとRai-Zenライゼンと名乗っていなかったか?」


 零一からの質問に、真凛は驚きながら首を縦に振る。


「え!? なんで遊木くんがそのこと知ってるの!?」

「ヴェインで一回、野良パーティで一緒に遊んだ事があったんだ。

 最初からタメ口で話しかけてきて、初対面なのに肩を組んできたり悪戯みたいな事してきたり……それでRai-Zenライゼンが印象に残っていたんだ」


 零一が語るエピソードは、真凛の想像上の雷善と合致した。


「それ本当に雷善だ!

 えー、遊木くんも雷善にヴェインで会った事あったんだ、すっごい偶然」


 零一と真凛の間で会話が盛り上がり、友人の高坂が話に合流する。


「雷善って、真凛が話してたあの幼馴染の男の子?」

「そうそう。やんちゃばっかで、先生によく𠮟られてたような子。

 でもまさか、遊木くんにもメーワクかけてたなんて、全く……」


 口の上では苦言を呈しながら、その表情に喜びを滲ませる。

 雷善の情報は中学生以来更新された事がない。転校生の口から新たな彼の情報を得て、真凛は不思議と心を躍らせた。


「話したい事って、それ?」

「そうだな。それに気づいた時、俺も凄い偶然だなと思って、共有したくて話しかけてしまった。

 悪いな、友人との話に割りこんで」


 少しだけ頭を下げる零一に、高坂が笑って許容する。


「いいっていいって、アタシのことは空気だと思っていいよ。

 ――あ、そうだ! 真凛さぁ、今でもLINKリンクのプロフィールの背景、その雷善ってコのツーショットにしてるんだよ!」


 言って、高坂が真凛のプロフィール画像を零一に見せた。


「あ、ちょっと! やめてよー!」

「えーいいじゃーん!」


 女子二人がじゃれ合いながらも、高坂は零一に画像を拡張A現実Rで見せつける。

 カメラに向かって舌を出す男子小学生と、それをいさめようと腕を伸ばしている女子小学生。

 健全で、仲睦まじいツーショットである。零一はそれを見て、深くうなずいた。


「……そうか。ありがとう」

「なんでそこで感謝っ!?」


 真凛が、零一の謎のお礼に突っこむ。

 

「いや、わざわざRai-Zenライゼンの姿まで見せてくれてありがとう。

 訊きたい事は、本当にそれだけだ。それじゃあ、勝手ながら俺は席に戻る」


 零一が軽く会釈し、後ろの席へと帰還する。


「勝手に個人情報見せるないでよー! 恥ずかしいでしょー!」

「だったらプロフィールに設定しなきゃいいでしょー!」


 話が終わっても、真凛と高坂の仲の良い喧嘩は続いていた。

 教室内の喧騒が一層大きくなった時、入室してきた人物の姿によって喧騒は一瞬で落ち着いた。


「はーい、席に着いてー! 朝のホームルーム始めます!」


 担任の女性教師が教壇に上がり、電子黒板に今日の連絡事項が浮かび上がった。

 浮かぶのは「体育祭」の三文字。その三文字を手の甲でコツコツと叩き、女性教師が伝える。


「5月に体育祭があります。その為に、クラスの中から2人、体育祭の実行委員を選ぶ必要があります。

 早速ですが、誰か実行委員になりたい方はいますか?」


 責任と職務が発生する役割である。教室内はしんと静まり返り、手を挙げる者は誰一人いなかった。

 想定内の事態に、女性教師はあらかじめ用意されたシステムを取り出す。


「誰もいないようなので、くじ引きで決めたいと思います」


 電子黒板にビンゴマシーンのイラストと「抽選」のボタンが表示される。

 適当に検索してインストールされたであろう抽選アプリである。そのアプリに抽選番号の上限と抽選回数を指定し、女性教師がボタンを押下した。


「黒板に表示された出席番号の人が実行委員になります」


 電子黒板にランダムな数字が0.1秒ごとに切り替わっていき、ドラムロールの効果音と共に2つの数字が確定する。


 21 5


「それじゃ、出席番号21番と5番の人、手を挙げて下さい」


 女性教師の号令に、最前席と最後席の手が挙がる。


 前の席は、真凛の友人である高坂。

 後ろの席は、先程真凛と話していた零一だった。


 クラスのあちこちから安堵の息が漏れる中、女性教師が2人に確認を取る。


「一応確認するけど、2人とも実行委員でいいでしょうか?」

「まあ、いーです」「……はい」


 運悪く当たってしまった2人の表情は晴れないが、割り切って返事をした。


「では、高坂さんと遊木さんが体育祭の実行委員になります。

 2人はホームルームの後に渡したいプリントがあります。クラスの皆さんは、お二人の負担を減らすようになるべく協力してあげて下さいね」


 はーい、と気のない返事が数名分上がる。

 その後は部活動の入部届の期日のリマインドや来週に行われる定期試験についての話が通達され、ホームルームは終了した。


 高坂と零一が教壇に近寄り、女性教師から実行委員のプリントを文書データとして受け取る。

 女性教師が教室から退出し、ホームルームと授業の間の10分休憩が訪れた。


 零一が席に戻ろうとした時、しまが零一の足を止める。


「零一くん、実行委員に当たっちゃったね」

「まあ、誰かがやらなきゃいけないことだしな」

「いやー、抽選とはいえ嫌な役目にさせておいてなんだけど、何か困ったり忙しかったりするならいつでも助けに行くよ」


 そんな島の心遣いを呼び水に、わらわらと同級生が零一に集まってくる。


「そうそう、転校してきて忙しいだろうし、相談くらい乗るよ」

「体育祭の道具の準備とか付き合うからさ」


 同級生から集まる温かい言葉に、零一が困惑した。


「ありがとう。その……わざわざ悪いな」


 よそよそしく返す零一に、男子生徒が無理矢理に肩を組んでくる。


「何だよ水くさいなー、オレとオマエの仲だろー?」

「いや、その……ええと、誰だっけ?」

「えー! それヒドいんじゃねー?」


 ウザ絡みされる零一を、少し離れた所から真凛が見つめていた。

 真凛の席に高坂が近寄り、視線の先の零一を話の種に挙げる。


「零一クンさ、変わってるよね」

「うん、まあねぇ。

 最初はちょっと暗い人だと思ったけど、クラス交流会ですっごい喋ったかと思えば、またちょっと暗くなったりするし……」


 クラス交流会の芋里いもざと鍾乳洞の一件以来、同級生の多くは零一に絡むようになった。

 あの時の零一は、饒舌で軽妙なトークで場を盛り上げ、ジョークを飛ばし、豊富な知識で受け答えをしていた。


 しかし、それ以降の零一は、以前と印象の変わらない、口数少ない男子生徒に戻っている。

 その落差を指して「変わっている」と議題にし、高坂が冗談交じりに仮説を立てた。


「もしかして、多重人格だったりする?」

「いやー、そうかもねぇ。鍾乳洞みたいな暗いところだと人が変わるとか」

「だったらさー、肝試しとかするとまたあの零一クンと会えたりするかもね」

「あーいいね肝試し! またクラス交流会するんだったら、ヨントピア遊園地のお化け屋敷とか行かせてみる?」


 真凛と高坂が気楽にくわだて、零一は同級生たちの気づかいに感謝を返す。

 そうしている間に、短い10分休憩は過ぎていった。


     *   *   *


 昼休み。


 零一は学校の屋上に上がり、そこに誰もいない事を確認した。

 屋上の扉を閉め、給水塔の陰に隠れると、虚空に命令する。


Pragmaプラグマ、8時28分に保存した画像を映せ」

『了解しました』


 ハッキングAIのPragmaプラグマが、虚空に拡張A現実Rを投影する。

 高坂が零一に見せた、雷善と真凛のツーショットである。その画像を視界で見たそのままが切り取られ、宙に浮いていた。


「対象は左の男子小学生。それのみを抜き出し、空白部分の補完。表情を真顔に変更。ポーズは直立に変更」

『了解しました。補完と変更を適用しました』


 零一の命令に合わせ、Pragmaプラグマが画像を改変していく。

 こちらに向けて舌を出していた小学生が、真面目な顔をして直立する。


「加齢シミュレーションモデルを使用。この対象を10歳と指定、16歳へのシミュレーション結果を一覧表示」

『了解しました』


 画像の中の小学生が一気に高校生へと変貌し、縮小する。

 空中に32種類の画像が浮かび、その中の一つを零一がタッチした。


「適用。これを保存しろ」

『了解しました』


 画像の改変を完了させ、零一が独り言つ。


「……こんなに上手くいくとは思ってなかったな」


 朝、零一が真凛に話しかけたのは、藤守雷善の思い出話をする為ではない。

 彼女が雷善の写真を持っていたならば、手練手管を駆使して入手するつもりだった。


 しかし駆使するまでもなく、真凛の友人から自然な流れで雷善の写真を手にする事ができた。

 これで、雷善について人々に訊きこむ土台が完成した。


 零一はスマリの表示をオフにし、昼食を取る為に食堂へ向かう。

 屋上の扉をくぐり、階段を降りる零一。


 屋上から三階へ降り、三階から二階へとくだる踊り場に足を着けた時、階下から昇る真凛と遭遇した。


「あ、遊木くん」

「ああ、真凛……さん」


 ただ名前を呼び合うだけの挨拶をして、そのまま二人はすれ違う。


 彼女を雷善の画像提供者として利用し、そして何もしていないかのように通り過ぎる。

 その行動で零一の心に棘が刺さり、食堂へ向かう足が逃げるようにいた。

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