第242話 身から出た錆



 ◆◇◆◇◆◇



 俺がアークディア帝国とハンノス王国の戦争に参戦する大義名分を獲得してから二日後。

 出兵式の前日にエリュシュ神教国からアークディア帝国に帰国した俺は、帰って来て早々にリーゼロッテから首を鷲掴みにされていた。



「……随分と遅いお帰りですね?」


「そうかな?」



 それなりにガタイの良い大人の男が、スタイルの良い絶世の美女に片手で持ち上げられている姿は、傍から見れば中々にシュールな光景だろう。

 リーゼロッテのステータスならば、素の状態でも片手で俺を持ち上げるのは余裕なのだが、事情を知らない余人には分からないことだ。

 まぁ、幸いにもと言っていいのか、この場にいる者達は皆その事情を知っているのだが。

 なお、彼女の細指は俺の強固な首に微塵も食い込んでいないので、首が圧迫されることもなく普通に会話ができている。

 これもまたシュールに見える一因だと言えるだろう。



「エリン」


「ご主人様から知らない女性の匂いがします。かなりの濃ゆさです」


「そうですか……とても楽しんできたようですね?」


「久しぶりだったからな。許してくれ」



 帰る直前まで俺から離れなかったのだから、ヴィクトリアの匂いが濃ゆく染み付いているのは当然だ。

 こんなことなら分身体を置いていくべきだったか……いや、この様子だと結果は変わらなかっただろうな。

 逆に本体がヴィクトリアのところにいる間の分身体が受けていたであろうダメージを想像すると現状が最適解だったか。

 リーゼロッテにとってヴィクトリアという存在は、レティーツィアや他の女性達とは扱いが違うらしく、一際強く〈嫉妬〉の感情を抱くようだ。

 それは以前与えた〈増化の種〉が、約半日前の深夜あたりにユニークスキル【嫉妬エンヴィー】として芽吹いたことからも間違いないだろう。

 【意思伝達】による念話越しに制御の仕方を教えはしたが、直接面と向かって教えたわけではないので感情を持て余しているように見える。



「ん? リオン、その腕環は何ですか?」



 目が据わっているリーゼロッテの視線の先の左手首には、深紅色の魔宝石が使われている紅金色オリハルコンカラーの腕環があった。

 漂わせる魔力から魔導具マジックアイテムであることは明白であり、その強い存在感からも等級の高さが窺える。



「あー、これはヴィクトリアがくれたんだよ」


「サイズがリオンにピッタリですね?」


「俺のために作ってくれたアイテムだし、そのうえ自動サイズ調節機能があるからな」


「これ見よがしにあの女のカラーですね?」


「見ての通りだな」


「私がリオンのために作った耳飾りと同じモノですよね?」


「まぁ、ヴィクトリアも称号持ちの〈魔女〉だからな。自分の称号由来の【魔女製作術ウィッチクラフト】を使うことができる」



 魔女としての力は模擬戦では使わなかったが、冠する力の詳細は聞いている。

 属性的にはリーゼロッテとは真逆だが、この腕環に宿る力との相性は正直言ってかなり良い。

 


「私のより等級が上なのは当て付けですか?」


「昔から手先が器用だったからな。俺の製作作業を手伝えるぐらいの技術はあるし、権力を使って最上の製作環境を用意できたのも理由の一つだ。等級がここまで高くなったのは、リーゼが作ってくれたこのイヤリングに触発されたからだろうな」



 歯軋りが聞こえてこないのが不思議なほどに嫉妬の感情が荒ぶっているリーゼロッテの魔力によって、広い室内に局所的な冬が到来しようとしている。

 俺の首を鷲掴みにしているリーゼロッテの手を無理矢理外すと、彼女をそっと抱きしめた。



「本当はな。俺の薬指に嵌める指環を作ろうとしてたんだよ。でも断った」



 過去の異界人フォーリナー達の影響なのか、左の薬指に指環を嵌める意味合いは概ね前世と同じだ。

 地域によって多少異なりはするが、ヴィクトリアが意図していたのは当然ながら婚約や結婚を意味したモノになる。



「……何故でしょうか?」


「先約がいるからな。それを破るつもりはないよ」



 前の異世界ではそういう文化はなかったので、ヴィクトリアも転生してから知ったのだろう。

 そのため、彼女から指環の話が出たのは今回が初めてだったのだが、既にリーゼロッテと約束をしていたので申し訳なかったが勝手に嵌めるわけにはいかない。

 それならばとイヤリングにしようともしていたが、既に着けているリーゼロッテ謹製の魔女の耳飾りと被るため、戦闘の際に邪魔にならない腕環になった。



「……なるほど。私のためですか。そうですか……フフフッ」



 相変わらず情緒が不安定気味だが、機嫌が直ったことにより部屋が凍結するのは避けられた。

 あとはこのまま頭を撫でておけば取り敢えずは元に戻るだろう。

 ……強かなヴィクトリアが指環の代わりに求めたことについては、今は黙っておいた方がいいな。

 〈傲慢〉に〈嫉妬〉の力が加わったのは中々に厄介ではあるが、リーゼロッテ自身の強さが増すのは良いことだ。

 そんな取り扱いに注意が必要な今のリーゼロッテは、周りの目も気にせず猫のように甘えてきていた。

 今日一日はこのままかと思いつつ、リーゼロッテを右腕にくっつけたままソファに座った。



「リオンはこれから大変そうね。同情はしないけど」


「してくれないのか?」


「……私だって言いたいことはあるのよ?」


「ちゃんと聞くとも」


「それなら夜に私の部屋で聞いてくれる?」


「勿論だ」



 一連のやり取りを黙って見ていたマルギットからの視線に込められた言外の非難の言葉を受け止め、今夜の予定を脳内スケジュール表に記した。

 皆の前で夜に自分の部屋に来るよう言うなんて、マルギットにしてはかなり珍しいな。

 不思議に思い【情報賢能ミーミル】で彼女を調べてみたところ、どうやらリーゼロッテが室内に冷気とともに放っていた〈嫉妬〉の波動の影響を受けているらしい。

 マルギットに限らず、この場にいる全員が大なり小なり嫉妬の感情を誘発されているようなので、恋人かどうかに関わず嫉妬の感情の解消も兼ねて親交を深めに向かうとするか。



「エリン、俺がいない間クランの方に行ってもらってたがどうだった?」


「団員の皆様と鍛練を行なっておりました。特に〈双華〉の方々と行動することが多かったです」


「まぁ、双華チームは変わらず女性オンリーだし、エリン達も女性だけだから自然とそうなるか」


「リーダーのお二人には可愛がっていただきました」



 双華チームとは、名前の通りヴァルハラクランにクランごと合流した元双華クランのメンバーによるチームのことだ。

 パーティーというには人数が多いため、グループでもいいかもしれないが取り敢えず便宜上チームと呼称している。

 彼女達を率いるのは双華クランの時と同様に、Sランク冒険者〈穿空竜魔〉であり〈禍空の魔女〉であるメア・フローラリアと、同じくSランク冒険者〈穿震竜魔〉にして〈震禍の魔女〉であるシア・フローラリアの真竜人族の美人双子姉妹だ。

 エリンだったら性格的には姉のメアが、戦闘スタイル的には妹のシアと相性が良さそうだな。

 詳しく聞いてみたところ大体あっていた。

 双華チーム以外とも交流したようなので、他のヴァルハラクランのメンバー達の話については夜にでも聞くとするか。


 メアとシアのことが話に出て気づいたが、俺は世界に十人しか存在しない冠位魔女ヴァルプルギス達の殆どと顔見知りらしい。

 〈黄金の魔女〉の称号を持つ俺以外の九人。

 エリュシュ神教国ではヴィクトリア以外にも神星使徒達の中に冠位魔女が一人いて合計二人。

 賢塔国セジウムの他の魔塔主達の中にも一人。

 そして、エドラーン幻遊国のトップであるアイリーンも冠位魔女だ。

 他国が多くても二人であることを考えると、アークディア帝国だけでも俺、リーゼロッテ、メア、シアの四人が一箇所に集まっており、かなり珍しいことであることが分かる。

 俺とリーゼロッテが帝国に来ることがなかったら人数的にはおかしくなかったので、俺が原因なのは間違いないだろう。


 我が身を振り返りつつ、双子の片方と模擬戦をしたというシルヴィアにも話を聞いた。



「シアさんと模擬戦をしたけど、相手は本気じゃなかったのに盾で攻撃を正面から受け止められなかったよ」


「身体能力全般が高水準な竜人族の上位種だからな。膂力以外に技量も相応にあるだろうから、受け流しただけでも大したもんさ」



 上位種である真竜人族含めて竜人族は、俺が把握している人類種の中でも五指に入るチート種族だしな。

 模擬戦とはいえ、色々と格上なシアを相手にシルヴィアもよくやったものだ。

 シアとの模擬戦の詳細については今晩にでも聞かせてもらおう。



「ところで、カレンはさっきから死んでるがどうしたんだ?」


「カレンちゃんはガチャで爆死したの」


「あぁ……」



 俺が神器〈貴貨罪貨の強欲の願宝器テザウルム・アヴァリティア〉を生み出した後、この神器をリーゼロッテ達に御披露目した。

 その際にこの俺謹製神器に対して、他の者達とは異なる方向で強い反応を示したのはカレンとセレナだった。

 転生と転移という違いはあれど同じ異界人である二人が、共に〈ガチャ〉というモノを知っているのはおかしなことではなく、試しに使ってみたいと言ってくるのも予想通りだ。

 俺がエリュシュ神教国に行っている間は好きに使わせていたのだが、その結果カレンは生ける屍になっていた。



「カレンはいくら使ったんです?」


「全財産よ」


「……冗談ですよね?」


「目を離した隙に所持金の全てを投入していたわね……」


「はぁ……カレン」


「……」



 先ほどの俺とリーゼロッテのやり取りの時に反応はしていたので、今の有り金を失い倒れている姿はただのポーズであることは分かっている。

 だが、それはそれとして有り金を失った悲しみは本物のようだ。



「試用テストということで半分は返金してやるよ」


「ほ、本当ッ!? 嘘じゃないわよねッ!?」


「俺、嘘つかない」


「ご主人様大好きッ!!」


「俺も大好きだヨー」



 現金なカレンの抱き付きをリーゼロッテとは反対側の左腕で受け止める。

 両腕が封じられてしまったため、【強欲王の支配手】の念動力で二人の頭を撫でることにした。



「先輩は当たりはでましたか?」


「……先輩?」


「えっと、セレナ先輩はどうでしたか?」


「結構良いのが当たったわよ。部屋にあるから後で見せてあげるわね」


「ありがとうございます」



 マルギットと一二を争うほどに〈嫉妬〉の力の影響を受けているセレナの様子に内心で戦々恐々としつつ頷いておく。

 今日中にでもリーゼロッテには【嫉妬】の制御をマスターしてもらわないといけないな。

 ただでさえ〈嫉妬〉は自他への干渉が強いのに、〈傲慢〉の力によって更に強化されている。

 自業自得の自覚があるとはいえ、何も対処しないわけにはいかない。

 どうやっても完全制御ができないようならリーゼロッテから【嫉妬】を剥奪することも考慮しないといけないだろう。

 まぁ、彼女の【星従傲慢の氷源女帝ニブルレギナ】の力ならば、コツさえ掴めば問題なく制御できるはずなので無用な心配か。

 ヴィクトリアに対抗して自分もSSランクを目指すと意気込んでいたし、その目標を叶えるにあたり【嫉妬】は大きな力になってくれるに違いない。


 暫くは公私で忙しくなりそうだが、私的な方は完全に身から出た錆なので仕方がない。

 プライベートだからこそ、過ぎたる欲は身を滅ぼすを体現しないように気をつけないとな。



 

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