第23話 家族①(黄島家の場合)

 暫くの間、黄島たちを眺めていると、長人が突然こちらに駆け寄って来た。


「兄ちゃん、お腹空いてるよね?」

「ああ、まあ」

「なら、ご飯食べて行かない?」


 思いがけない提案に面食らう。

 確かに腹は減ってるが、今日くらいはゆっくりと家族同士で話すべきことがあるだろう。


「気持ちだけ受け取っとく。今日はたくさん姉ちゃんと母さんに甘えとけ」


 長人にそう告げ、踵を返す。

 別にお礼をされたくて長人に話しかけたわけじゃないしな。


「ちょっと待て」


 だが、俺の肩を誰かが掴んで引き留める。

 まあ、ここで俺を引き留めるやつは一人しかいないだろうけど。

 振り返ると、やはりそこには黄島秋子の姿があった。探していた弟と再会出来た安堵からか、その目はうっすらと赤くなっていた。


「手伝ってくれてありがとな、千歳」

「チームだからな」


 そう。実は公園で長人を見つけた時、タイミングよくスマホに来たメッセージは黄島からのものだった。

 内容は弟を探しているというもの。髪色と身長からそうじゃないかと思っていたのだが、案の定長人は黄島の弟だった。

 本来なら見つけた瞬間に黄島に連絡するべきだったんだろうが、個人的に思うところがあって長人と軽くお話させてもらった。勿論、話が終わった後に連絡は入れた。


「千歳、一人暮らしなんだろ。夕飯食ってけよ」

「あれ、俺黄島に一人暮らしって言ったっけ?」

「桃峰から聞いたことがあるんだよ。うちのマ――お母さんも是非って言ってるしよ」


 黄島に言われ、視線を奥の方へと向ければそこにいたスーツ姿の女性が優しくこちらに手を振っていった。

 確かに、黄島のお母さんも歓迎してくれているらしい。だが、それより気になることが一つある。


「黄島って、ママ呼びなのか?」

「ち、ちげーよ」


 黄島は直ぐに否定したが、その声は若干震えていた。


「長人、どうなんだ?」

「姉ちゃんはいつも母ちゃんのことママって言ってるよ」

「やっぱりママ呼びじゃないか!」


 長人に確認を取れば直ぐに分かった。ママ呼びがバレたせいか黄島は少し恥ずかしそうだ。

 まあ、ママ呼びが珍しいとは思わない。ただ、ぶっきらぼうな黄島がママ呼びというところにギャップがあり、好印象というだけだ。


「う、うるせえ! とにかく、お礼させろ。ほら、長人も家に入るぞ」

「うん。兄ちゃんも行こうよ」


 長人が服の袖を引っ張りながら俺を見上げる。その目は期待に満ちていた。


「長人を悲しませたら許さねえから」


 更に黄島が俺を睨みつける。

 この状況を言葉にするなら、前門のチワワ、後門の狼だ。目の前のいたいけな子供を傷つけることは出来ず、仮に傷つければ後ろの狼(黄島)にかみ殺される。

 恐ろしい。俺に与えられた選択肢は一つというわけである。


「じゃあ、夕飯だけいただきます」

「やったー!」


 喜ぶ長人。黄島もまた長人の様子を見て満足げに頷いていた。

 そして、長人に手を引かれ俺は黄島家にお邪魔することとなった。



***



 黄島家で夕飯をごちそうになった後、俺はキッチンで皿洗いをしていた。

 神奈さんにはやらなくていいと言われたが、夕飯を用意してもらって何も返さないのは気が引ける。

 今は、神奈さんに押される形で黄島と長人は明日提出の課題や明日の学校の準備をしに自室へと行っている。

 そのため、ダイニングキッチンには俺と神奈さんの二人だけだった。


「春陽君、今日はありがとね」

「いや、こちらこそ夕飯ごちそうしてもらってありがとうございます」


 神奈さんに返事を返しつつ、洗い物を続ける。

 神奈さんは俺の隣で小鍋に入れた牛乳を温めていた。

 それにしても、綺麗な人である。黄島を生んでいるということを考慮すると若くても恐らく四十路付近のはずだ。

 それでも健康的な身体つきだし、表情からはまだまだ若々しさを感じる。


「そんなに見られると照れるわね」

「すいません。綺麗だったもので」

「ふふっ。嬉しいこと言ってくれるじゃない。春陽君は素直なのね」

「どうですかね」


 クスクスと笑う神奈さんにその返事を返すと同時に、皿洗いが終わる。

 タイミングよく、神奈さんが準備していたホットミルクも出来たようだ。


「春陽君は牛乳苦手?」

「いえ、平気です」

「ならよかったわ」


 そう言うと神奈さんは小鍋で煮詰めていたミルクを二つのマグカップによそい、そこに蜂蜜を垂らしいれる。そして、片方のマグカップを俺に差し出した。

 マグカップを受け取り、ダイニングの空いている椅子に腰かける。神奈さんも俺の目の前の椅子に腰かけた。

 暫くの間、お互いに無言でホットミルクを飲んでいたが、不意に神奈さんが話しを切り出した。


「秋子には、苦労させてるの」


 そう言う神奈さんの目はリビングと襖一つで仕切られた仏間の仏壇に向けられていた。

 仏壇の写真には笑顔の男性が一人。

 それが黄島の父親であろうことは簡単に想像がついた。


「あの人が亡くなったのが秋子が十歳、長人が三歳の時。それから六年間、働かなくちゃならないあたしの代わりに、秋子は長人の世話をよくしてくれてた。放課後だって友達と遊びたいだろうに、文句の一つも言わずに。あたしは、夫を亡くした悲しみと秋子と長人を育てないといけないという重圧でいっぱいいっぱいになっている時、あの子が支えてくれたの」

「意外ですね。俺の知ってるなら黄島なら文句の一つでも言いそうですけど」


 黄島は確かに人を思いやれる心は持っているが口が多少悪い、というのが俺の印象だ。

 いくら家族といえど、寧ろ家族だからこそ黄島は文句の一つも言うのかと思ったがどうやら違うらしい。

 俺の言葉に神奈さんが苦笑いを浮かべる。

 

「春陽君にそう言わせちゃうのは、私のせいね」


 そして、寂しげにそう呟いた。


「私があの子の不安とか、弱音を聞いてあげなきゃいけなかった。自分の気持ちを素直に吐き出せる子供のうちにちゃんと母親として受け止めなきゃいけなかった。でも、あの子は強くて、私は弱かったから、あの子に我慢をさせてしまった」


 後悔するように神奈さんは呟く。

 確かに、神奈さんの言う通り、黄島だけでなく長人も我慢するのが上手い。長人はまだ幼い分、今日みたいに感情を爆発させることもあるが、黄島は長人がいるということもありそれも出来ないのだろう。

 それは黄島明子の強さであると同時に弱さでもある。


「私は母親失格ね」


 自嘲気味に神奈さんは呟く。だが、直ぐに顔を上げた。


「だからこそ、これからは長人と秋子のために頑張るつもり」


 神奈さんの表情からは強い親としての決意を感じた。

 その表情が、もう会えることはない自分の母親と不思議と重なって見えた。

 だからだろうか。気付けば俺は口を開いていた。


「その思いは凄く素敵だと思います。でも、一人で背負う必要は無いんじゃないですか」

「え?」

「自分一人の人生を背負うだけでもしんどいのに、そこに加えて子供たちの人生までって考えたらとんでもないことです。黄島も長人も立派に自分で考えて生きてる。だから、家族三人で、時には周りの人も含めて支え合って生きていければいいと思います。多分、黄島も長人も神奈さんだけに負担をかけるのが嫌だから、文句言わずに我慢してきたんだと思いますよ」


 壊れたらお終いだ。神奈さんの身体にしろ、心にしろ、無理をすればがたが来る。

 きっとそれは誰も望んでいない。なら、神奈さんが頑張るんじゃなくて、三人で頑張るでいいと思う。

 まだ三人で話し合うことが出来るんだから、いくらでも修正はきくはずだ。

 

 俺の言葉を聞いた神奈さんは目を丸くしていたが、「そうね」と柔らかな笑みを浮かべた。

 

「なら、千歳君にも協力してもらおうかしら?」

「俺ですか?」

「ええ。秋子は我慢することを覚えちゃったから、自分の感情とか気持ちを吐き出すのは苦手だと思うの。だから、秋子が苦しんでたり、悩んでたりするときは千歳君も秋子を支えてあげて欲しいの。お願い」

「いいですよ」


 真剣な表情の神奈さんに間髪入れず返事を返す。余りに早かったせいか、神奈さんは目を点にしていた。


「は、早いわね」

「まあ、黄島とはチームなんで。チームメイトが困っていたら助けたいっていうだけです」

「チーム? なにか部活でもしてるの?」

「いや、俺の恋人を探すためのチームですね」

「へ、へ~。最近の高校生って変わってるのね……」


 困惑した様子の神奈さんだったが、安堵の表情を浮かべていた。

 それから、何かを思いついたのか状態を前にして俺の方に小声で話しかけてくる。


「それなら、秋子はどうかしら? 母親の私が言うのも何だけど、可愛いと思うし、家事も出来るわよ」

「あー、確かに黄島はいいですよねー」

「そうでしょ? それにあの子って好きな子にはデレデレに甘えるタイプよ。小さい頃なんてママ、パパって甘えてきて凄かったんだから」

「それは意外ですね。でも、ありですね。普段ぶっきらぼうな分、ギャップで滅茶苦茶可愛いって思います」

「そうでしょ? お風呂だって小学――」

「何話してんだよ!」


 バンと、大きな音を立てて黄島がダイニングに姿を現す。

 黄島は俺と神奈さんの話を聞いていたのか、耳を赤くしていた。


「ちょっと、秋子。盗み聞きなんてはしたないわよ」

「それに扉を強く開けるのもよくないぞ」

「ごめんね千歳君、乱暴なところもあるけど本当は優しい子なの」

「ああ、知ってます」

「だから、なんで意気投合してんだよ! てか、千歳はいつまで家にいるんだ! そろそろ遅くなるから帰れ! 補導されるぞ!」


 黄島の言う通り、もう九時過ぎだった。

 確かにそろそろ帰った方がいいな。ご飯も頂いたし、ここらでお暇させてもらおう。


「それじゃ、俺はそろそろ帰ります。神奈さん、ご飯ありがとうございました」

「ええ。また来たくなったらいつでも来ていいわよ」

「機会があれば是非」


 神奈さんに頭を下げ、鞄を肩にかけて玄関へと向かう。

 玄関には神奈さん、長人、黄島の三人が見送りに来てくれた。もう一度感謝の言葉と供に礼をしてから、黄島家を後にする。


「なんで黄島も家を出てんの?」

「ちょっと話したいことがあってな。そこの公園で今から少しいいか?」


 そう言う黄島が指さす先には一本の外灯が灯る小さな公園があった。

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