司は澄花に分からされる

「ねえ、私との約束を破ったの? 勝手に? 相談もなく? ねえ、なんで?」


小さい声で威圧的に問いただしてくる澄花。

付き合うと決めてから僅か二日、その間にいきなり結婚まで話が進んでいる現状に苛立ちが募っているのだろう。


「あの、その……ごめんなさい。そうでもしないと二人に俺の覚悟が伝わらないと思いまして……」

「大層な理由があれば許されるの? ねえ、それって自己満足じゃないの? 二人の問題なのに一人勝手に話を進めてさ……私が訊かなかったらそのまま押し通そうとしてたの?」

「……すみません」

「私って信頼されてなかったんだね。はぁ、なんだか悲しいな……」


ぐうの音も出ない正論だった。

少しでも早く現状を打開しようと躍起になって、肝心な存在への気遣いを忘れてしまっていた。

一番大切な彼女を無下にしておいて、俺が彼氏を名乗れる資格はないだろうに。


「二人して何をゴソゴソと話しているの? まだ私の質問に答えてもらっていませんよ?」


テーブルの向こうでは、母さんが答えを求めている。

その横で小さく座っていた父さんは妻の勢いに若干引いていた。


「奥様、私と司様はまだ付き合い始めたばかりでして……、そういった先の話はまた別の機会に―――」

「関係ありません。獅童家に嫁入りする覚悟のない人間が軽々しく言い訳するなど、正嗣さんが許しても私が許しませんよ?」


取り繕って答えを先延ばしにしようとする澄花に対して、随分と厳しい口調で畳みかける母さん。

澄花は何も言えず、悔しさを露わにしていた。


「貴方がまだ子供扱いされると思ったら大間違いですよ。獅童家に不要だと判断すれば今すぐにでもこの屋敷から追い出すことも厭わない……それが獅童家のしきたりです」

「―――……ッ!」


今の澄花を全面的に否定するような言いぐさ。たまらず俺は言い返そうとするが、母さんと目が合い、それを止める。

一瞬だけ向けられた優しい眼差し。

私を信じてほしい、そんな含みを持った瞳だった。


「……澄花、どうなんですか? 返事がなければ否と受け取ってしまいますが」


視線を戻し、母さんは澄花を追い詰めていく。

依然として澄花は無言のまま口元を結んで項垂れていたが、それでも何か自分の中で葛藤しているのが隣からでも伝わってきた。


「…………っ」


もう二度と思い出したくもないトラウマと突き付けられた現実、相反する二つがせめぎ合って澄花に焦りをもたらしているのだろう。

母さんはそれ以上何も言わず、葛藤する澄花をただじっと見つめていた。

そうして訪れる空白の時間、朝食のスープから湯気が薄れていく頃会いを経て、澄花は静かに口を開く。


「奥様に納得していただくためには時間が必要、かと思います」

「先の細かい話はまた別の機会でも構いませんよ。私が聞きたいのはそれより前の言葉ですから。それに……優柔不断な態度が獅童家にとって不相応なのは重々承知していますよね?」

「はい、承知しております」


彼女の言葉を聴き、母さんは少しだけ笑みをこぼす。

澄花は気づいていないが、母さんは彼女のことを誰よりも大事に思っているはずだ。

我が子のように慈しみ、そして道を正し、子自身が望む方へ導こうとしているように見えたから。


「では、貴方がするべきことも既に理解していますね?」

「…………はい」


その言葉に澄花は頷く。

長い葛藤を経て、彼女は小さく息を吐きながら俺の方へと身体を向けた。


「澄花……?」


席に座っているせいだろうか、まるで俺を見下すような視線を投げかけてくる澄花。

唇を編み、手を握りしめ、こみ上げる羞恥心がこちらまで伝わってくる。

キリっと鋭い眼差し、その瞳の奥に映る俺が何を求められているのか、俺には分からなかった。

でも彼女は知っている。腰を曲げて前かがみとなり、額がぶつかるまで近づいてきた。

そして一言、俺だけに聞こえるように、彼女は小さく囁く。


「…………貸し一つ、だからね」

「え―――」


驚く間もなく奪われる唇。

みずみずしい感触が滑り込んできて、口内まで迫る勢いだった。

逃げようにも後頭部まで腕を回されてしまい、俺はただ受け入れることしかできない。

呆気に取られたまま、澄花の欲求を満たす道具として、ぞんざいに扱われているような気分を味わった。


「―――っ、こ、これで分かった……? もう私抜きで好き勝手なこと、二度とさせないから」


恋しき感触を引き離すと、澄花は俺を睨みつけて制す。

放心してしまった俺は、目を見開き、ただ頷くことしかできなかった。


「……奥様、今のが私の答えです。この方と一生を添い遂げる気がなければ、お二方の前でこんな不躾な行いはできません」


視線を正し、母さんと父さんへ向き合う。

が、二人とも目をパチクリとさせて、言葉を失っているように見えた。


「澄花……そ、そこまでやれとは言っていないのだけれど……」

「……え?」

「あれだな、澄花は少々正直というか貪欲というか……まあ、俺はそれでも良いと思うぞ?」

「…………え?」


母さんと父さんの言葉に顔が引き攣る澄花。

最初の困惑もつかの間、次第に自らの行いが何を意味しているのかに気がつき、そしてだんだんと顔が赤くなっていった。


「うぁああああ!? ここここれはとんだご無礼を……ッ!? 大変失礼いたしました―――ッ!」


事の重大さを理解した澄花はそう何度も頭を下げ、心の声を叫びながら部屋を飛び出して行った。

廊下中に響き渡る彼女の声、普段の彼女を知る者たちは皆振り向いて驚きの表情を浮かべたという。

そうして取り残された俺たちは、ただ嵐が過ぎ去っていくのを眺めることしかできなかった。


「司、お前も大変だな……」


静かになったところで、父さんはそう口にする。

すっかり冷めてしまった朝食を前にして、俺はただ引き攣った顔で「そうだね……」と残した。

でも今の俺にとってはそんなことはどうでもいい。

今朝だけで二回、そして今の一回。この短時間で計三回もキスをしてしまったせいで、俺の頭は悶々としてしまっていた。

二日間の休日を終え、再び始まる学院での生活。その一日目を迎えた朝からこの調子では、果たして俺の理性は保てるのだろうか――――――

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