Causò-09:気概ゆえ(あるいは、刃対/磁場/バタィヤデチュジィーヴァ)

「どういうことだ? ……どういうことだどういうことだどういうことだッ!!」


 凛としていながら、奏でられるは感情の不協和音の如くの引き攣れた声なのであった。


 「Ⅷ式はっしき」……色氣力の使い手であればその威力は「必殺」のものであるという認識はなっている。戦場で解き放てばたちまちの内に数千の人間を呑み込み屠る、問答無用の一手であるということも。


 不完全ながらその技を確かに発動したはず。であれば視界一面が焦土以上の「無」に近き空間になっていなくてはならぬはず。


 首を喪ってなお、その背の主を落とさぬかのように四肢を剛直に突っ張ったまま絶命した自らの愛麒の、その切断面の向こうに広がるはしかして、多少は散開したものの、先ほどまでとさほど変わらぬ混沌として雑然とした、生者と死者が曖昧にないまぜになったような光景なのであった。


 彼方の「Ⅷ式」により相殺されたとは考えにくい。それによりてこちらの威力を散らしたとして、その間の空間はさらに激烈な破壊衝撃に晒されるはず。つまりはその場合、術者ふたりしかこの場に影も形も成してはいないはず。


 それが、どうとしたことだ。


 確かに我がⅧ式は放たれた。「光」の凝縮の後の爆散を、確かに感じた。それで何故。あの藍色髪の女の仕業か? 「孔」がどうとか、塞がりやすいとか何とか。解せぬ。そして……


「……」


 このザマよ。


 白い髪の下から覗く紅の瞳を歪めつつ、エカベトは前方に伸ばしていた右掌を手首を返して自身の方へ向ける。全面が赤黒く変化している。何か硬く尖ったもので密に抉られたかのような、酷い裂傷である。色氣力を掌から「面」で放出した。そこを「塞がれた」? 馬鹿な。発現の場所がずれた? 暴発した? だとしても、例え塞がれたとしても、そんなものはⅧ式の威力の前には些細なものであるはずだ。何かが……あるというのか。あったというのか。


 次の瞬間、エカベトは愛麒の鞍から飛び降りると、前方遥か彼方にてこちらを向いて佇む「敵」を視認しその元へ駆ける。相手……あのババァはかなり遠くまで飛ばされている。それほどの衝撃であったはずであるのに、遠目に窺った感じだが致命傷を受けている風には見えない。炸裂の瞬間、自らが後方へと飛びのいて衝撃から逃れた? Ⅷ式を互いに撃ち合ったことなど無いが、この私でさえ硬直して直後の行動など困難であるのに? 実際に奴はⅧ式を放ってはいなかった? であれば「逃げ」に特化して間合いを取ることは可能か。しかしそれであるならば、我がⅧ式がこの場の全てを屠り尽くすはずだ。やはり解せぬ。


 つまりは何かが起きた。今の私には理解不能な何かが。だがまあそれはひとまず捨て置く。


 このままでは輩玖珠家の将たる者としての示しがつかん。単騎で充分と大見得も切って出張って来てしまっている手前、


 ……手ぶらで帰るわけにはいかぬ。


 至近まで近づくにつれ瞭らかになりたるは、妙な笑みを浮かべたるベネフィクスの、しなやかに、まるで見えない何かにしなだれかかるような、艶やかと言えるほどの立ち居姿なのであるが。


(至近距離まで無防備に近づかせるとは……そしてこの達観ぶりよ。おそらくは先のⅧ式を、何らかの手段と自らの技にて防ぎ切ったものの、そこで枯れたと見た。残念ながら私の色氣力はⅧ式を放ったとて完全には尽きておらぬ。色氣力の無いヴォーコなど、物の数では無い……ッ!!)


 エカベトの立てた左中指に、眩い黄色の光が周囲の光を集めたかのように集約しつつぎらり輝く。正に光速にて対象を破断する、低燃費ながら瞬の火力は高いという、エカベトの近接戦闘の主力であるところの「洋黄ヨーギⅠ式いっしき猟蹴磨ロケルマ」。その流れるように凪がれる「光線の鋼線」の如き撃は、例え術者の挙動が緩慢であろうと、手首ひとつ返すだけで視界全体を一閃する威力を有している。


 一度何故かその立てた中指を眼前に迫ってきた智将の虚勢を張った笑みに向けて突き付けると、次の瞬間左から右へと水平にそれを振るう。そのやや波打った挙動は、確実に目の前の全てを遥か先の奥行まで斬り払った。


 かに見えた。


「……効かないんだなぁ、そういうのもう」


 憔悴はその艶めく艶やかな顔の表面ばかりでなく、奥の筋肉や骨まで達しているかのような風情であったものの、それでも貼りつけたかのような笑みは崩さない。周囲は確かに、傍観のみの雑兵も、奥面の自警本部の石造りの建屋の頑強そうな壁も、さらに奥に位置する黒く細い葉を茂らす木々の幹をも横薙ぎに両断しているというのに、その中心に、中央に焦点を集めたはずのベネフィクスの身体だけは、断面を滑り落ちる物象の在る次元からは切り抜かれたかのように、何事も起こってはいないのであった。


「くッ……!!」


 自らの網膜に映るその事象を信じること出来ず、幾度も憑かれたか如く左中指を振るうエカベトであったが、その焦燥とは対照的に、乱舞する光線の只中を殊更にゆっくりと、余裕の不気味な笑みを浮かべながら徐々に彼我距離を詰めてくる相手に、遂には恐怖の引き攣る声を喉奥で上げてしまう。


「貴様らは何だッ!? 亡霊か何かなのかァッ!! 何故効かぬッ!! 我が色氣がァッ!!」


 うねる白き髪をさらに乱し震わせながら、エカベトは叫ぶ。幼き頃より、周りの全てを屈服させ思うがままに操ってきた自分に宿りしこの力の、全幅の信頼と共に傲岸の土台でもあった色氣力の、あまりの手ごたえの無さに、自身の魂の拠り所を喪ったかのようなもつれた声を出すしかないのであった。


「囚われ過ぎなのかもね……ま、私が言うのも何なんだけれど。でも『奔嬢ヴァズレィ』の中の奔嬢たる貴女が、『奔放』に出来ていないってこともまあ、それほどに『固定観念』って奴は厄介なほど強いのかもってことなのかもねぇ」


 間近に迫ったベネフィクスの、達観が既に全面を覆っているかの顔は、そしてその中でひときわ何かを悟ったかのような切れ長の紅の瞳は、エカベトにとっては死神のそれが如くの禍々しさを有したものにしか、最早映らないのであって。


「イカれがッ!! 色氣力は絶対ッ!! 何が『固定観念』よ、そんなものは盛りの過ぎたクサれヴォーコの戯言に過ぎんわッ!! 殺す……ッ」


 最早感情の迸りを制御できなくなったかに見えるエカベトが腰の後ろに右手を回すと、そこからすらり引き抜いたのは、柄の部分に豪奢な装飾の施された、紫色に刀身の光る短刀であった。


「いまさら武器とか。『杖』使わないと思ったら、ね。色氣が絶対、とか息巻いた割にはって言う、苦しそうねぇ、でもⅧ式使ってまだ絞り残りがあるっていうのは流石かぁ。まあ言うて私にもそんなに残された時間があるわけじゃあないし、ちょうどいいわ」


 自らに言い聞かせるような言葉を紡ぎ出す間に呼吸を深めても、最早身体には何も巡らなくなっているのであった。それでも智将は揺るがず、静かに抜き身の刃の前に丸腰で相対する。


「ククク……これは色氣を通じさせるための『媒介』に過ぎぬ……キサマらは何らかの技にて色氣を体表で散らしているようだが、身体の内部に直にブチ込めば、問題は無い……こいつでかすり傷のひとつでも付ければそれで終いだッ!!」


 ぬらり光る剣はその持ち主の力の波動に共鳴を起こしているように不気味にその刀身を蠢めかせているように見え。右手を雑に突き出した隙だらけの構えなれど、却ってそれがどのような軌道を描くのか掴ませてこないのであった。何よりベネフィクス側にもこのような近接戦闘の経験は無きに等しい。


 が、


「……」


 全く臆する事無く、いや、それよりかは楽しんでいるまでありそうな風情にて、智将の皮を脱ぎ捨てたるベネフィクスは、自らの左脚を真っすぐに伸ばしたまま掲げ始めると、身体を右側に倒しつつ、高々と天を指すかのように爪先をも伸ばし切る。そして頂点の一点より、


 大地を揺らさんばかりに足裏をにじり入れつつ叩きつけるのであった。そのまま腰を割った姿勢からねめ上げるは、紅の色を濃くした奥底に何かを滾らす切れ長の瞳。色氣力をもはや生み出さなくなった呼吸をしかし殊更に落とすと、うんうんと何かを確かめるかのように頷きをかますと、肺底まで取り入れた空気を一気に放っていく。


「……こっからは喧嘩だコラァァァァッ!!」


 その艶やかに撓ませられた唇から野卑なる言の葉を放つと、先の豪将の末期の時の如くの、悪辣な笑みをその艶めく顔全体に巡らせていくのであった。


 決着、その時は近い。

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