Causò-07:存外ゆえ(あるいは、ソーメニ繚乱めくるめく/試練が前のシレンツィオ)

 突き出されてくる槍の穂先を躱しながら。白鞘刀の斬撃はその奥側にある持ち手の腕を、胸を首を。


「……ッ」


 瞬きひとつの間に赤黒く染めていく。戦略も戦術も戦法すらも無き、「混戦」と呼ばわるも憚られるような、ひと目の混沌である。その只中を漆黒のマントをやや大仰に風に孕ませながらアザトラは自らの最適な進路を心得ているかのように迷いの一切も無く、ただただ駆け抜けると同時に薙ぎ払っていくのであった。その裁きは清風かつ迅雷が如く。周囲を取り囲んできた敵方の圧が徐々に緩み始めている。


 これほどとは、とその巻き起こる血風の場よりやや離れたる所にてこちらも色氣力の発現により敵兵を薙ぎ払いつつ、ベネフィクスは驚嘆を覚える。そして昨晩の一戦後の寝物語に聞きし事を思い出してもいた。


 色氣力が叶わぬからと言って、それで全てが決まるわけではないと……つまりはそれがしを拒絶した周囲の者たち……あるいは世間、あるいは世界に対しての、恨みつらみを刃に乗せて振り回しているだけの、稚拙にて手前勝手なる昏い情動の発露に過ぎないで候……


 そうでは無いだろう、と思う。それだけでここまで精緻な剣術を修められるとは到底思えない。その無駄な肉をこそぎ落としたかのような全身に這い回りし数多の傷。それはどの色氣力に対しても相対し必殺の間合いに入るための、ひとつ間違えば軽く身体の一部あるいは生命そのものを持っていかれる文字通り命懸けの修行の果てに刻印された、その証であるわけであって。


 無為劣悪なる男というものに生まれ落ちてなお、ひとたびはその無類の才覚にて掴みかけた栄光を不条理に喪ってさえなお、


 自らに降りかかりしは天命と受け止め受け入れ、自らの手で自らの最善へ向けて道を切り拓こうと歩んでいるあの青年は、


 貴女にやはりそっくりですわよ、アザリア……と、亡き盟友の名を心中で呟くベネフィクスであったが、それと同時に昨夜の諸々も脳裡に鮮やかに甦って来てしまい、な、なんかごめん……と意味も分からず謝りもしてしまう。と同時に辺りを灼き払う色氣の波動もまたその威力を増していくのであった。


 人体の各所には「アニスーマ」と呼ばれる色氣力が巡りし「通路」のごたるものが九十六あると言う。色氣を使うごとに固く閉ざされていたそれらは綻び開いていき、それにつれてその流量も出力も上がっていくとのことで、反面、長年使い続けることによる滞留物のようなものもその壁面にこびりつくかのように溜まっていくのだそうだ。


 その逐一を除去し研磨するように、清浄にしたるが昨夜の「業」との事であり、よって今のベネフィクスの「孔」はその全てがくぱりとしとどに開き切っている状態なのだという。体内を血流が如く巡る色氣の速度も生半なものでは無く、全身が常に発熱しているような状態であり、脳内にも必要以上に清浄なる気が間断なく送られているからか、五感すべての感覚も鋭敏となる中、どうとも制御しがたい昂揚感のようなものに支配されがちであるという欠点かどうかは分からないがそのような副反応もあるにはある。これが奔嬢ヴァズレィの境地ってやつなのかしら、と徐々にそれを受け止めつつあるベネフィクス。


 その回復速度も早回しが如くに促進されており、深い一呼吸ごとに五%は体内に蓄積されていく感覚を受け取っている。先の豪将との対決にてそのほとんどを失った色氣力も、こうして雑魚を相手取っているくらいの瞬間瞬間には回復が進んでいるという、今までの戦術を覆すかのような色氣運用能力なのであった。しかし、


 ――「実体」に掛かる負荷はなまじのもので無きゆえ、どうか御留意されたし。


 アザトラの骨ばった左腕を枕に聞いた言葉も甦っている。確かに肉体が受け取っている疲労感は深く、重い。こればかりはこの戦場では回復を見込めないだろう、否、


 ……最早「回復」は見込めないものなのかも知れない。


 それでも構わぬ、とまでの思考には至っていた。それよりも昨日時点で覚悟を決めていた「ジリ貧」の挙句に知れ切った「自爆」に落ち込もうなど。我が誇り高き自警本部をも巻き込んでこの生まれ育った地を焦土と化そうなど。


 いかに追い込まれていたとは言え、それこそが愚策だったわと自嘲気味の鼻息を鳴らした瞬間には、薙ぎ払いし右の手指が数人がとこの雑兵の首から上を灼き飛ばしている。


 ――「杖」の使用は、色氣の発動にとって常に必須というわけではございませぬ。


 要は「感覚を一点に集中するための視覚触媒」に過ぎないとのたまいしその言葉は、成程ベネフィクスには腑に落ちるところがあった。別に「棒先」をわざわざ見つめてそこに意識を集めずとも色氣は己の意識の中で流れ留まり集中していく。むしろ棒という「異物」を介すことで「揺れる」、そんな気もしていた。しかし古来よりの作法によりそれに疑問を覚えるもそれ以上の思考には至らずに唯々諾々とそれが当然という体でいた。


 「固定観念」。青年が言っていた言葉である。そこを覆した先に、先人が到達しえなかった何かがあるとも。現に今感じている色氣力との「一体感」は、自在万能感のようなものをごく自然に自らに与えてきている。それにしてもそれは、


 一度、完膚なきまでに奈落まで突き落とされし彼ならばこその境地なのかも知れない。喪ったからこそ、逆に明らかとなりし事象なのかも知れない。


「……」


 どこまでの苦悩があったというのだろう。どこまでの先の見えない努力を積み重ねてきたというのだろう。


 ――それがしの「孔」は、身体の成長と共に異形なる構造にて固まり申した。外側からは周囲の色氣が常に意に染まず入り込みながらも、それを自らが放出することは叶わない。西方の者が言うところの「逆止弁」が如き在り様になっていると推測されまする。


 体内に留まりし色氣は、やがてアザトラの身体や精神に澱のように溜りて、疼痛やら幻覚を苛ませると言う。それを放出させることの出来る最も効率よき方法こそも、聖交合あのアレであると言う。そして双方同一の意識の波動……快感の極みの内に「孔」を直結させるような形にて接合させ「弁」をこじ開け逆流させると。相手は事前に「孔」をしとどに開放させたる高度の色氣使いが色氣を膝まで垂らし漏れ濡らすほどの状態であるが望ましいとも。理屈は分かったような分からないようなだったが、事後、身体に感じるは、体の奥底から表面に至る正にの全身に、熱い液体のような気体のようなものを充填されたかのような確かな脈打つ流れであって。が、


 じゃあてめえの為でもあったんじゃねえかよぅ、と火照り汗ばんだ身体をシーツで隠しながらまだ荒げた吐息も滲ませ言ってみれば、然り、さらに無礼を承知で申せば司督……何と言ったらよいかですが非常に可愛らしゅうございました、これは至極役得にて候……などと初めて見せる悪戯っぽい顔つきにてのそのような優しげなる言葉を返され、ばーか、と照れ隠しに呟きつつ曲げた人差し指の先をその鼻下に撃ち込んだら精も根も尽き果てたのか倒れ伏して動かなくなったけど。


 この者も、リアルダも他の者たちも皆、この戦いの場からは無事のまま帰して見せる。


 いま、この身体に感じるは尋常ならざる力の流れ。外界と自分が無数の細い管のようなものを通して繋がっているかのような感覚。今なれば身体のどこからでも、例えば「左二の腕の肘寄り中ほど」みたいに曖昧な一点からでも、色氣力を自在に現出できるような、そんな研ぎ澄まされ方。いきり立って頭数だけは雲霞な敵がどれほど群がろうとも。


「『天紅てんこうⅢ式さんしき撤灯炉煉坐ステロネマ』」


 両掌に「面」のイメージ。射出口は一点に集まれば集まるほど良い? それは思い込みから来るものかも、現にほら。


 ベネフィクスが体前で交差させるように軽く振るった両掌からは、地を這うが如くの朱色の「炎」が「面」で展開するや否や、見渡せる限りの広範囲を一気に覆うと、咄嗟に跳躍をかましたアザトラ以外の者たちの膝から下を瞬時に炭化瓦解させていくのであった。


(凄まじき御力ではあるが……無理はなされていないであろうか)


 宙空、横目でその様子を窺う黒衣の青年。しかし詮無きことと割り切ると、尻餅を突き転がる者共の首元へと介錯の太刀を次々と振るうに留める。


 五千はあったヤクラ側の軍勢は今や総崩れ、残るはおよそあと百も無いと見受けられる。援軍とやらが、など言っていたが、その前にカタをつけることが出来れば……と、ベネフィクスがとどめ分の力を溜め入れるために、少し距離を取り、呼吸を深く落とし込むことのみに注力を始めた。その、


 刹那だった……


 ウオオオオオンッ……のような、歓喜の地鳴りのようなものが場に沸き起こる。何事かとその方を見やるベネフィクスの、視界奥面の黒い林のその奥から、


「……」


 猛々しいひづめ音を辺りに響かせながら駆け出でしは、単騎の騎龍であった。全身が艶のある真っ黒な鱗に覆われ、人の背よりも遥かに高きその隆々たる四つ脚の上には、これまた筋骨の出張った躍動する胴体、そして血気の靭さがその形相や鼻息に如実に顕れし獰猛たる顔が乗っかっている。「真衣座マイザー軍麒ビバンセ」と言えば噂には聞きしも、これほどのものとは……と、ベネフィクスは深い呼吸を続けながらも歯噛みをせんばかりの様子である。援軍……嫌な時に来たものだ、と。


 総尉そうじょう様ッ、との喜悦を孕みし怒鳴り声がそこかしこで響き渡る中、その軍麒の鞍上に跨りし小さな人影が軽くその構えし手綱を引いたかと見えた、その瞬間には、


「……ッ!!」


 その下の軍麒の長大な脚が払われており。それはその元に駆け寄りし自軍の兵、色氣使いたちの首を根こそぎ捥ぎ飛ばしているのであった。血飛沫が空を刹那、赤黒く染める。


「貴様らの醜態晒しのおかげで龍狩たつがりの中途で駆り出される羽目となったわ……半日出張った挙句の獲物も無いわで、今、私は非常に虫の居所が悪い……黙っておけ、物音も立てるでない」


 抑揚の全く無い、それでいて声質だけは可憐な少女を思わせる鈴のような声が、瞬時に静寂が降り落ちて来たかのようなこの場に、投げ捨てられんばかりに素っ気なくも厳然と響く。


 声の主の、見た目からは窺い知れぬが齢若き女性の、肩まで辺りに伸びた白き髪はうねりにうねってその下のこれまた白い顔の右半分を完全に覆っている。その下から覗きたるは、濁った光と形容すればよいか、光のようで闇のようにも映る深く紅い左瞳。華奢なるその体躯を包むは、真っ白い軽装の軍服。その右肩には小型の黒い飛龍と思しき一頭が、身じろぎもせずに留まっていた。


 輩玖珠家の将がひとり、エカベ=ト・阨仙征アイセントレス


 厄介なのがまた来たもんだわ……と、相対するベネフィクスの歯噛みは止まらない。

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