第17話 妖精のお披露目


 今日はいよいよジファール家主催のパーティーだ。療養中だった長女の快復を喜ぶ宴と同時に重大な発表があるとして集められた貴族で大広間は賑わっている。招待状を送ったほとんどの家が参加を表明したのは“好奇心”のためだろう。誰も本気で私の快復を祝いに来てなどいないはずだ。

 屋敷の大広間には料理人自慢の料理が並べられ、色とりどりの花で鮮やかに彩られ、その会場には自分を飾り立てた貴族たちが集まっているはずである。


 支度を済ませた私は時間が来るまで自室に控えることになっているため、ほんの少し緊張しつつ待機していた。人の目に見つからないよう、貴族が来る時間より早く我が家を訪れていたティタニアスも一緒だ。



「そうしていると貴女自身が本当に宝石のようだ。人間が着飾る気持ちも少し、分かった気がする」


「そこまで褒められると少し恥ずかしいのだけど……ありがとう。妖精が作ってくれたこのドレス、羽のように軽いのね。あちらの素材はやっぱり不思議だわ」



 淡い若葉のような色のドレスは妖精が仕立ててくれたものだ。上半身は体の線にぴたりと沿い、腰から足元まではふわりと広がるデザインで、背中が大きく開いているのが特徴だろうか。

 上半身は装飾が控えめでありそのせいか私の羽が良く目立つ。スカート部分には透けるように薄い布も重ねられているのだが、これがどうやら私の“妖精の粉”を目立たせる素材である。私が歩くたびに散る金の粉がその布の上に降りかかってきらめき、消えていく。私の特性を活かすために作られたのだろう。


 支度を終えた私を初めて目にしたティタニアスは暫く放心していた。彼の心を表す尻尾はそれからずっと落ち着きなく揺れている。



「……俺以外が貴女を攫いたくならないだろうか。人間も美しいものが好きだろう?」


「そんなことがないと思うけれど、攫われそうになったらニアに助けを求めようかしら。……そのために居てくれるのでしょう?」


「ああ、そうだな。……敷地内の会話なら全部聞こえる」



 ティタニアスはとても耳が良く、妖精の常識は周りの会話で手に入れたという程だ。……そのせいで妙に知識の偏りがあることは先日知ったけれど。

 ならば今、彼の耳には貴族たちの会話が聞こえているのだろう。私を揶揄する「はぐれ妖精姫」という二つ名も、それを嗤う声も。



「姉上、お時間です」


「……では、いってくるわね」


「ああ。……ここで待っている」



 エスコート役のルディスが迎えに来たため、ティタニアス置いて部屋を出た。パーティーを行う大広間は生活スペースと廊下で繋がっている別館だ。こちら側は静寂そのもので、弟と腕を組みながらゆっくり歩いていく。



「姉上のエスコートができるのは弟の特権ですね。他に兄弟が居なくてよかった。争いになります」


「まあ。ありがとう、ルディス」



 冗談で私の緊張を解そうとしてくれているのかもしれない。実際、効果はあった。会場に向かう足が軽くなったような気がしたから。

 薄っすらと仲の明かりが漏れる大扉の前に立つ。中からはクロードが口上を述べている声が聞こえてくる。愛娘の快復の祝いへお集まりくださり感謝する、同時に重大な発表もさせていただく、どうか今の娘の姿をご覧ください。そういう挨拶だ。

 クロードの朗らかな声が私の名を呼んだ。大広間の扉が開かれ、私はその空間の明かりと人々の目にさらされながらルディスと共に歩みだす。


 瞬間。すべての音がやんだ。人のざわめきも、楽団の奏でる音楽さえも。私が歩くことで生まれる靴音と衣擦れ以外何も聞こえない。代わりに突き刺さるのは視線――この場にいる全員の視線が私に釘付けとなっているのが分かる。

 ルディスから離れ、クロードの隣に立つ。見渡す限りの貴族たちは驚愕の色を隠せずにいたが、会場の隅で満足げに微笑む母の顔に気づき私も笑みを崩さぬようにした。笑顔は貴婦人の武器である。



「我が娘、オフィリア=ジファールは妖精の取り替え子。つまり、正真正銘の妖精でありました。今後はある妖精と結ばれあちらの世界へと帰ることが決まっておりますが……オフィリアは、妖精はこれからもララダナクと共にあるでしょう」


「妖精として成熟するために暫く休養を必要としておりましたが、こうして再び皆様とお会いできたことを嬉しく思います。妖精界へ帰るまで今しばらくの間、よろしくお願いいたします」


「それでは皆様。パーティーの続きをお楽しみください」



 完璧な淑女の一礼で挨拶を終えた。母が呆然として手を止めてしまっている楽団に指示を飛ばし、再び会場内に音楽が流れ始める。その音をきっかけとして貴族たちにも騒めきが広がっていった。ここからが社交の本番だ。


 クロードから離れて一人になったところで真っ先に歩み寄ってきたのは第一王子であり王太子たるアタラントと第二王子のセンブルクである。国王や皇后が侯爵家主催のパーティーに直接来ないのは当然だが、王太子を送り出したなら我が家の知らせを重んじたということになる。まだ、ジファールを見放してはいなかったらしい。

 王族に礼儀を尽くすのは貴族として当然のこと。習慣で臣下の礼をしそうになった私を、アタラントが片手をあげて制した。



「妖精に頭を下げられてはたまりません。ララダナクの麗しき輝きにご挨拶申し上げます。……お元気そうなお姿を拝見でき、嬉しく存じます。陛下もこのことをお聞きになれば喜ばれることでしょう」


「……ええ、アタラント殿下。ありがとうございます」



 この場で最も身分が高い者は人間であれば王太子アタラントだ。しかしそれも妖精を前にすれば変わってしまう。その現実を目の当たりにすると自分が別の存在になってしまったことを実感する。家族だけの場では今までと大して変わりがなかったが、他の貴族たちの態度はこのように一変するのだろう。



「ララダナクの麗しき輝きにご挨拶申し上げます。ああ、オフィリア。以前よりもさらに美しいな。私は……」



 元婚約者は以前と変わらない態度である。いや、以前よりもその瞳は濁っているように感じた。銀の髪に紫の瞳という色彩は同じなのに、隣と兄とは随分違って見える。

 私は彼のこの瞳に見つめられるのが苦手だ。どこまでも深すぎて底の見えない泉を覗き込んでいるような、先の見えない暗闇を見ているような、そんな不安を掻き立てられてしまう。……澄み渡った明るい焔に会いたくなった。



「センブルク、無礼だ。妖精に対しての態度ではない。……申し訳ございません、オフィリア様」


「いいえ、お気になさらず」



 兄に叱責されたセンブルクは軽く肩を竦めて引き下がった。しかし視線だけは絡みつくように私から離れない。やはり、この目は苦手である。

 弟の態度で礼を失したと思っているらしいアタラントはこれ以上は失態を晒せないと判断したのか、簡単な挨拶を済ませてセンブルクと共に私の元を去った。それを機にあらゆる貴族が話しかけてくる。


 私がやるべきことは、ジファール家と他家を繋ぐこと。私はいつか妖精界へ帰るつもりだが、その後もジファールを実家として関係を続けていくことを他の貴族たちの前で明言しておく。そうすれば彼らは妖精との繋がりを求めて勝手に集まってくる。

 しかし彼らの大半は私を「はぐれ妖精姫」と揶揄していた貴族だ。よくも笑顔で私を持ち上げるように話しかけられるものだと思う。笑顔でありながら血の気が引いていたり、顔色が悪いのに汗を浮かべていたりするので内心は焦っているのかもしれないけれど。

 彼らの中から付き合う相手を選別するのは両親、そして次代となるルディスの役目だ。私は出来るだけ多くの貴族と話し、どれほど家族を大事に思っているかを話せばいい。態度が反転した彼らをどれだけ不快に感じたとしても。……貴族とはそういうものである。



「オフィリア様、あの……少し、お話をよろしいでしょうか」


「ええ。……あら、貴女は……」



 大人しそうな令嬢が話しかけてきた。上気した頬とうるんだ瞳から興奮が伝わってくる。私に話しかけるために余程の勇気を振り絞ったのか、震える手を固く組み合わせながらも背筋を伸ばして深い茶の瞳でしっかりとこちらを見つめていた。……その目に濁りはなく、それが珍しいために私も覚えがあった。



「タラン伯爵家のシャティでございます。以前、助けて頂いた時のお礼をもう一度もうしあげたく……覚えていらっしゃらないかもしれませんが……」


「いいえ、覚えています。……あれから、何もございませんでしたか?」



 パーティーを抜け出した私はたまたま、この女性がセンブルクによって休憩室へ連れ込まれそうになっている現場に出くわした。休憩室は何か所か設けられるものだが、そこを休憩以外のことに使う人間はそれなりにいる。人目のない場所で、人に言えないような目にあっても声を上げられない大人しそうな令嬢が被害に遭うことはそれなりにあるらしい。

 私は偶然その現場に居合わせ、私の存在に気づいたセンブルクは「具合が悪そうだったから貴女が見てあげるといい」と言い残して去っていき、その時は未遂で終わったのだ。



「はい。……本当にありがとうございました。どうしてもお礼を申し上げたかったのです。ルディス卿から容態はそこまで悪くないとお聞きしてはいたのですが……」


「ルディスから……?」


「はい。それでも毎日オフィリア様の身を案じておりました。ご快復され……妖精となられたこと、まことにおめでとうございます」



 ふわりと笑った顔は小さかったつぼみが花開いたような可憐さでその祝福にも嘘はない。随分純粋な令嬢がいたものだと思うと同時に、ルディスの名が出たことが気になった。

 彼が他所の令嬢と話をするのは実に珍しい。もしかすると良い仲なのかもしれない。姉としてこれはそっと見守っておくべきだという気持ちと、あれこれ聞いてルディスをからかいたい妖精の本能がせめぎ合う。……結果、ほんの少し妖精の本能が勝った。



「ありがとうございます。……ルディスとは仲がいいのでしょうか? あの子はまだ未熟ですが、何かご迷惑をかけてはいませんか?」


「いえ、ルディス卿にはいつも優しくして頂いて……」



 なるほど。“いつも”ということはそれなりに関係が深いはずだ。ルディスが自らシャティに関わっているのだろう。彼女を連れて弟の元へ行き、根掘り葉掘り聞いてみたい欲求が沸き上がってきたが堪える。……ティタニアスとばかり接して我慢をしなくなっていたから、風の妖精としての性質が出てきやすくなっているのだろう。これは貴族として振舞っている時に出してはいけないものだ。

 しかしもう少し彼女の話を聞こう、としたところで視界の端に人々の揺らぎがあったこと、そして目の前のシャティの顔色が悪くなったことに気づきそちらに視線を向けた。



「オフィリア様。私と一曲踊っていただけませんか」



 自信に満ちた輝く笑顔で手を差し出すセンブルク。彼にこうして誘われたのは子供の時以来だろうか。彼の背丈が伸び、私が幼い姿のままで身長差が開いていく中で「背丈が合わなすぎるから」という理由で踊らなくなったのだ。それからしばらくして婚約解消となったため、踊る機会などなかった。

 背丈の違いはただの建前だ。背が伸びる前の私とティタニアスでも簡単なダンスならできたのだから。ただ、私に女性としての魅力を感じなかっただけなのだろう。


 私は微笑を浮かべながらセンブルクを見つめた。異性と踊ること、それは特別な好意を示す行動だ。私にはすでに妖精の恋人がいることを発表しているのに何故こんなことをするのかが分からない。貴族の常識ではありえない行動に会場が騒めいているくらいだ。青ざめたアタラントがこちらに早足で向かってくる姿も見える。それくらい、彼の行動は異常だった。



「私には他に踊りたい御方がいますので、お断り致します。では、失礼。……シャティ嬢、あちらでもう少しお話がしたいです」


「は、はい……!」



 私には唯一と心に定めた竜がいる。他の誰かの手を取ることはないだろう。シャティと共に笑顔が引きつったセンブルクに背を向け歩き出した先で、清々しい笑顔のルディスに会った。彼はもう少し感情を隠す練習をした方が良いのではないだろうか。



「僕となら踊ってくださいますか、姉上」



 弟ならば確かに“異性とのダンス”にはならないが貴方には誘うべき方が別にいらっしゃるでしょう、という言葉と呆れを飲み込んだ。隣にいるシャティが目に入らないのだろうか。そう思って隣の女性に視線を送ると、彼女もまた私をじっと見つめている。



「あ、あの……オフィリア様。もし、よろしければ……私とも一曲踊ってくださいませんか」



 翡翠と深い茶の輝く瞳に期待を向けられ、断れずに頷くと二人とも喜びながらお互いに「よかったですね」と微笑みあっていた。……彼らは似た者同士なのかもしれない。

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