13.5話 姉の恋人
その日、ルディスは朝から落ち着かなかった。それは敬愛する姉オフィリアが「結婚したい相手の妖精」を連れてくる予定だからだ。
彼女の話ではその妖精は人に姿を見せることができるため、普段妖精を見ることのできない自分や両親にも会うことができるのだという。
(あの時の声の主なんだろうか……)
暫く前の事だが姉の部屋から男性の声を聞いたことがあった。大事があれば話してくれるはずだとは思っていたけれどまさかオフィリアが妖精であり、さらに妖精と結婚を考えているというのは予想外過ぎる。
(たしかに姉上は妖精のように美しい人だけれど……いや実際に妖精だったが……相手はあの美しい姉上に並べる男なんだろうか)
実は妖精の取り替え子だったのだと姉が打ち明けてくれた日。あの朝に食堂に現れた美しい人に固まったのは仕方のないことだったと思う。
その端整な顔立ちから幼さは消え、背が伸びて体つきも女性らしくなっている。そして何より神秘的な透き通る羽と、それを縁取るような金の輝き。オフィリアが一歩踏み出す度に彼女の羽から金粉が舞い、宙に消えていく。その幻想優美な光景たるや――。
(今の姉上が社交に出たら間違いなく今まで以上にクソ野郎が寄ってくる……っ)
ルディスとオフィリアに血の繋がりはなかったとしても、共に過ごした時間や抱く感情が変わる訳ではない。敬愛する姉が美しい妖精になってしまったことでルディスの心配は増えた。
今までオフィリアを嘲笑していた者達が妖精だったと知って手のひらを反す様が容易に想像できる。それだけではらわたが煮えくり返りそうだ。
(……まあとにかく姉上はとても綺麗だ。隣に立つのは人間じゃ役者が足りないだろうし、妖精相手なら納得はできる。問題はどんな妖精かっていうことで……)
妖精と言っても千差万別だ。世の中には本当に様々な妖精がいる。その性質や能力も幅広いため相手の情報がない今は判断ができない。
とにかく美しさに磨きがかかって余計な虫を寄せ付けてしまいそうなオフィリアを守れるだけの能力が必要だ。そして性格は誠実であれと切に願う。間違っても姉の元婚約者で遊び人のクソ野郎のような相手だけはあり得ない。
(いや、そもそもそんなのは姉上だってお断りか。……姉上が……結婚したい、と言ったんだ)
「はぐれ妖精姫」と嘲笑われたオフィリアが結婚に消極的だったのはルディスも知っている。そんな姉が嬉しそうな顔で結婚したい相手がいると言い出したのだ。ルディスとしては余程のことがない限り全力で応援したいところである。
(でもやっぱり気になる……っ)
そういう訳でルディスはそわそわと自室を歩き回っていた。オフィリアが妖精だと知った日から体の力があり余っているかのように落ち着かないのだ。
午前中のうちに訪れるというオフィリアの相手を待つ間そうして過ごしていたところへ使用人が呼びに来る。それに応えて足早に玄関ホールへと向かった。
そこにはすでに両親の姿があり、オフィリアはいない。どうやら相手の妖精を迎えるために表に出ているようである。
「オフィリア様のお客様がお見えです」
客人を目にしたせいか上擦った声の使用人がゆっくりと扉を開ける。そこから現れたのは日光を背にして輝いて見える笑顔のオフィリアと、銀仮面をつけた人型の背の高い妖精だった。
オフィリアの透明優美な蝶の羽に対し、男のそれはどこか蝙蝠を思わせる。そして時折背後から覗くのは爬虫類に似た尻尾だ。……まさか、と驚きのあまり口の力が抜ける。
「お父様、お母様、ルディス。こちらは竜のニア。私の恋人です」
「……よろしく頼む」
その声は確かに、あの夜にベランダで聞いたものだ。竜は特殊な妖精である。どんな人間であってもその姿と声を認識できるからだ。他の妖精ならその声を聞くことはできなかったはずだが、竜であるならルディスにも聞こえて当然だったのだ。その可能性には考え至らなかった。
「ジファール家へようこそ、ニア様。私はクロード。オフィリアの父であり、この家の当主でございます」
「私はリリアンナ。オフィリアの母でございます」
「……っルディスと申します」
初めに正気を取り戻した父に続いて挨拶をする。相手は妖精、しかも竜だ。動揺するのも無理はない。強大にして唯一無二の妖精、それが竜である。機嫌を損ねれば国一つ吹き飛ばしかねないような相手。緊張で指先が震えそうになる。
「そのように緊張しなくてもいいわ」
オフィリアが自分の心情を見抜いて声をかけてきたのかと思った。しかし、彼女の瞳はルディスではなく隣の竜に向けられている。銀の仮面で表情の半分が隠されているとはいえ、とても緊張しているようには思えない。……姉には彼が緊張しているように見える、ということか。
「……しかし、怯えさせていないか?」
「みな驚いただけよ。貴方は怖いひとではないもの」
いつも通りの柔らかなオフィリアの声でルディスの肩の力が抜けていく。敬愛する姉がこの竜を心底信頼しているのだと伝わってきたおかげかもしれない。
オフィリアが怖いひとでない、と言うならそうなのだ。ルディスは彼女に絶大な信頼を寄せているためか、目の前の現実をすんなり受け入れられた。
「俺の目は他者を怯えさせてしまうためこのような面をつけているが、気にしないでほしい」
「ご配慮頂き痛み入ります。……このような場所で立ち話というのは失礼でしょう、どうぞ客間でおくつろぎください」
「……そうか」
信仰対象である妖精に対し礼儀正しく振舞うのは貴族として当然のことであり、父のその対応は正しい。けれど何故か、ニアと呼ばれた竜はそれを喜んではいないのではないか、と思えた。何故そう感じたのかといえば、立ち上がる尾の先端が力なく項垂れてしまったからである。
「お父様、ニアはそのように丁寧な扱いは好みではないようです。娘の恋人として普通に接してくださいませ」
「……よろしいのでしょうか?」
「ああ。そのようにしてくれると嬉しい」
「……では、そのように。ようこそニア君。いつも娘が世話になっているね、ありがとう」
妖精を上位存在として扱うのは常識であるが、妖精の要望を叶える方が優先だ。妖精が敬語など要らないから楽にしろと言うならその通りにするべきである。
父の言葉遣いが変わってからニアの後ろで濃紺の尻尾が少し元気に揺れた。どうしても動きのあるものに目が向くためにルディスはそれを見てしまう訳だが。
(……この妖精は尻尾に感情が出ているのか?)
おそらくそうなのだろう。オフィリアがその尾に目を向けて楽しそうに笑っているのだから。
そして、姉の恋人を含めた家族でのお茶会が始まった。オフィリアが背もたれも肘掛もない椅子を用意するように使用人に伝えていた理由は、恋人であるこの妖精の大きな翼と長い尾にあるようだ。
オフィリアとニアが並んで座り、二人と対面するように両親と共に座るルディスは仲睦まじい姉とその恋人の姿を眺めていた。
「ニア。これはクッキーという焼き菓子よ。食べてみて」
「……これは……オフィリアが作ったものだろう?」
勧められた菓子を一つ口に入れたニアの言葉通り、それはオフィリアが自ら用意したものだ。最近の彼女は厨房へ入って料理人から料理を習っている。貴族の女性がすることではないが「妖精の恋人を喜ばせたいの」と言われれば両親が反対できるはずもない。
そして姉にそこまで尽くされている妖精を少々羨ましく思うルディスだが、味見役として呼ばれるのでさほど悪い気分ではなかった。彼女の作るものはたしかに料理人の腕には及ばないのだろうが、不思議と美味しいのだ。
「あら……何故分かったの?」
「貴女の味がするからな」
一体何を言っているんだこの竜は。姉の味とはどういうことだ。まだ彼女の料理を食べたことはなかったはずだ。では姉の味とは一体何を指しているのだ。まさかすでに姉とそのような関係に。
ルディスの脳内を様々な思考が巡る。余計な想像までしてしまう程だ。しかしその答えは彼自身がすぐに教えてくれた。
「生命力の強いオフィリアは常に妖精の粉を辺りに飛ばしているだろう? この粉には他者に活力を与え、傷を癒し、病を退ける力がある。その力をこれから感じる」
確かにオフィリアの作った料理は特別だ。その原因は姉の妖精としての能力であるらしい。そう言われればここ最近は疲れを感じることがなく、力が余っているように感じる。どうやらこれはオフィリアの料理の味見役をしているおかげだったらしい。
「まあ、そうなの。……せっかく隠していたのにそれで分かってしまったのね」
「ふふ……残念だったわね、オフィリア。驚かせたかったのでしょう?」
「……充分驚いた。それに、とても美味しい」
「ああ、本当に美味しいね。ルディスも食べてごらん」
和気あいあいとしたその温かい空気はまさに家族団らんと言った様子だが、五名のうちの二名は妖精である。あまりにも非現実的というか、不思議な光景だった。
そもそもその姉自身が妖精であったことに対する衝撃はまだ抜けきらないし、重ねてその姉が妖精の恋人を連れてきた衝撃で呆けてしまっているのかもしれない。
(……でも姉上は幸せそうだ。よかった……とりあえず、遊び人ではなさそうだし)
竜の尻尾が時折床を叩いて音を立てている。それは恐らく喜んでいる時の反応なのだ、と会話を耳にしていれば段々理解できるようになってきた。リリアンナなどはそんな彼を瞳を輝かせて見ているので、とても気に入っているのだろう。クロードはいつも通り穏やかで内面を見せないがオフィリアを見つめる瞳は慈愛に満ちている。ルディスとて、姉が心から笑っていることが分かって嬉しいのだ。
「姉上はこの御方と結婚するんですね」
「……まだ早い」
ルディスのつぶやきに低い声で返答があった。まさか竜の方から返事が来るとは思わず、固く引き結ばれた唇に怒らせてしまったのだろうかと体を強張らせているとオフィリアが小さく笑い声を漏らす。
「いつかはそうなると思うわ。……婚姻を前提としたお付き合いだものね?」
「…………それはそうだ。だがまだ早いだろう」
「ふふ……そうね、まだ早いわね。ルディス、ニアはとても初々しい御方だからそういうお話に敏感なだけなの。怒っている訳ではないわ」
姉の七色にきらめく瞳がちらりと竜の尾に向いた。たしか髪の色と同じく濃紺の尻尾だったと思うが赤紫に変色している。……これはもしかして、人間が赤面するようなものなのか。
(……正直で分かりやすい、か。たしかにこれは、分かりやすい)
貴族とは自分の感情を表に出さず常に優雅に笑っておくべきものだ。だからこそ嘘を見抜く目を持ったオフィリアは、目の前の人間の笑顔とその裏にあるものを過敏に感じ取ってしまい、気が滅入っていたことだろう。
顔には出さなくとも他の部分で正直に感情を主張するこの妖精をルディスですら好ましく感じるのだから、オフィリアはなおさらそうだったのではないだろうか。
(それにとても誠実そうだ。欲にまみれて姉上に結婚を迫ったりもしない。姉上も幸せそうに笑っている。……このまま幸せになってほしい)
敬愛する、大好きな姉。暫く前までその美しい顔には暗い陰りが見えた。それが今はどうだろう。元から輝くような人だったのに、その輝きが増したように感じるのは金を纏う羽のせいだけではないはずだ。
オフィリアが幸せになれるならなんでもいい。いつかの夜に、妖精が攫ってくれたらいいのにと願ったそれが叶うようなものだ。
(いつか……僕もこうして、大事な人を紹介できるだろうか)
一人だけ、親しくなりたい令嬢がいる。パーティーで会うのを楽しみにしている人がいる。今度会えたら文通をしないかと、もっと親しくなりたいと告げるつもりだ。
このまま何もかも上手く回ってほしい。そんなことを考えるルディスの脳裏に一人の男の顔がちらついた。
(…………姉上が妖精だと知ったら復縁を迫ってくるんじゃないだろうな、あの男)
嫌な想像をしてしまった。オフィリアの焼いたクッキーを口にして味以上に満たされる何かにほっとしながらその考えを頭の奥に追いやる。今は幸せそうな姉の姿を見て、自分もまた幸福な心地に浸りたいのだ。
……幸せそうな妖精の恋人同士に余計な茶々を入れる馬鹿は流石にいないと信じたい。
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