第3話 焔の瞳
「お父様、お母様。……私、妖精のお友達が出来ました」
ティタニアスという友人を得た翌日、私は朝食の席でさっそく両親に報告をした。貴族らしい振る舞いを忘れて固まり口に運ぶ途中の葉野菜を皿に落としたのは弟のルディスのみで、父と母はわずかに目を見開いたもののゆったりとした動作でフォークを降ろす。
「……それは、どういうことだい? もう少し詳しく話してくれるかな」
「はい。昨夜、眠れずにバルコニーで夜風に当たっていたのですが……そこへ妖精がやってきて、私と友になりたいと願い出てくださったのです。私はそれを受け入れましたので、妖精の友人が出来たと」
ララダナク王国にとって妖精は特別であり、尊重されるべき存在であり、信仰対象である。国が栄えるのは妖精が居るからこそと信じられているのだ。
さすがに相手が妖精の中でも特殊な竜という種族であることや番扱いされていることまでは言えなかったが、妖精の友人を得られたなら家族には打ち明けるべきだろう。
そもそも妖精が見える人間はほとんどいない。言葉を交わせるものはもっといない。親しくなれるのは更に限られる。だからこそもしも妖精と友好関係を結べたなら、それは大事にするべきだというのが貴族平民関係なくララダナク国民にとっての共通認識である。
「そうか。それはよかった。……君の顔が、思っていたよりも明るかったから。きっとその妖精のおかげだね」
父であるクロードは深い緑の瞳を細めて安心したように微笑んだ。母のリリアンナは金色の睫毛震わせて涙を堪えていた。私を心配してくれている二人が少しでも安心してくれたなら、嬉しい。
「いつかはこういう日が訪れると思っていたわ。貴女は昔から妖精を見ていたものね」
「そうですね。……子供の頃は姉上みたいに妖精が見えないかと屋敷中を探し回ったのが懐かしいです。姉上、妖精の気に障らなければまたお話を聞かせてくださいね」
家族によれば私には妖精が見える力がある、らしい。私は見たものを妖精だとは思っていなかったのだけれど、家族に話すと「それは妖精だ」と断言された。
たとえば使用人の中に見かけない顔の者がいて、その使用人が「妖精用」として用意された菓子や飲みものを口にしている現場を目にしたり。いつもの庭師とは違う誰かが庭園の手入れをしていたり。人間と見分けがつかないくらいはっきりと認識できる彼らのことを親に尋ねれば、そんな人間はいなかった、それは妖精なのだと教えられた。
(いまでもちょっと半信半疑なのだけど……ニアは幻ではないものね)
どこからどう見ても人間にしか見えない妖精とは違い、ティタニアスには人外の特徴がはっきりとあった。それに、空を飛んで現れて空を飛んで帰っていったのだ。私が傷心のあまり幻覚を見たのではない限り、正真正銘妖精の友人である。
「その御方から外出に誘われているのですが、出掛けてもよろしいですか?」
「……その妖精は嘘をついていたり、君を騙そうとしている訳ではないんだね」
「はい。それはないかと」
焔のような瞳を思い出す。目は何よりも感情を語り掛けてくるものだと思う。相手の目を見れば、その人間が正直なことを言っているか、嘘を吐いているのか。それくらいは分かるものだ。
ティタニアスはとても真っすぐで綺麗な目をしている。彼は嘘を吐けないのではないか、というくらいに澄み渡った、曇りのない瞳だ。私はそんな彼の目を見ていると自分まで心を洗われるような気がして心地が良い。
「姉上がそう言うなら悪戯妖精ではなさそうですね。……姉上に嘘は通用しませんから」
「……だって、目を見れば分かるでしょう?」
「それは姉上だけですよ。僕には分かりません。妖精が見える姉上の目は特別なのだと思います」
この話題になるとルディスはいつも尊敬の籠った眼差しを向けてくる。物心がついた時には人の目さえ見れば相手の嘘が分かった。私はそれは誰もが出来ることで、何故嘘だと分かってしまうのに嘘を吐く人がいるのがと不思議でならなかったのだけれど。それは普通の人間には出来ないことであり、弟は私の目を「妖精の目」と称している。……私の目が妖精のものだなんて、恐れ多いし大袈裟だ。ルディスにそうやって褒められると私は苦笑するしかない。
「オフィリアが信じられるなら好きにしなさい。ああ、けれど出かけるなら目立たない恰好でね」
「心得ております。ありがとうございます、お父様」
外出の許可は得た。あとティタニアスと予定を話し合い、行先や日程を決めるだけだ。
その夜にまたバルコニーに訪れたティタニアスに伝えると、彼は嬉しそうに笑いながら尾の先を揺らす。どうやら彼の尾もまた、感情表現が豊かなようである。
「そうか、ならどこに出かけようか。貴女が望む場所ならどこでもいい。どこか遠い場所でも俺が連れて行……」
「……ニア?」
不自然に言葉が途切れてしまい、不思議に思ってその名を呼んだ。彼はそっと目を逸らし「やはり近場にしよう」と提案してくる。それに異存はないのだけれど、急に意見が変わった理由が気になった。
彼の尾は落ち着かないようにゆっくりとくねるように動いており、目を引く。彼の髪と同じく濃紺であるはずの尾の色が薄くなっているような気がして首を傾げた。
「……飛んで貴女を運ぼうと思ったのだが……それは抱えていく必要がある。距離が近い」
「距離が近い」
「……密着するのは俺たちにはまだ早いと思う。まだ手を繋いですらいないというのに。そもそも出会ったばかりだ。やはりこういうのは順序があるだろう」
「順序……」
思わぬ言葉が飛び出してきてつい繰り返してしまった。ティタニアスはとても真剣に、本心からそう言っている。
(とても初々しい御方なのね……いえ、硬派と呼ぶべきなのかしら……?)
そんな彼を見ていると、私の中の何かが騒めきそうになる。たとえば「私は平気ですからお願いいたします」と言ってみたらどうなるのだろう、とか。「それならまず手を繋ぐことから始めましょう」と手を握ってみたらどんな反応をするのだろう、とか。
そんな考えが沸き上がってきて、そっと胸を押さえることでその感情も押し込めた。堪えたこれらの言葉は、貴族令嬢としてはしたないものだ。
(……まだ残っていたのね。この気持ち)
昔、私はとても活発な子供だった。人を驚かせるのが好きで、体を動かすのも好きで、屋敷の中を走り回るような。けれどそれが許される立場ではなかった。王族に嫁ぐなら礼儀作法を習得は必須。立ち振る舞いも洗練されていなければならない。婚約の話が持ち上がった時点で、私のこの本質は隠すことになった。
最近は何かに喜ぶことも心が躍るようなこともなかったから、もうなくなったのだと思っていた。けれど、まだ私の中にしっかりとこの性質は残っていたらしい。……とても純粋なティタニアスと居ると、それが出てきてしまいそうになるようだ。しかしこれは、出してはいけないものである。
「オフィリア、どうかしたのか?」
「いえ……大したことではございません」
「……少し苦しそうに見えるがな。辛いことや苦しいことを堪えないでくれ。俺と居るのが苦痛であればそう言ってほしい」
ティタニアスは形のいい眉を頼りなさげに下げて、随分悲しそうな顔をしている。彼の尾も色は元通りになっていたが力なく垂れているので実際悲しいのだろう。勘違いをさせてしまっている。内心少し慌て、けれどゆっくりと首を振って否定した。
「それだけはございません。……まだ、出会ったばかりですけれど。私は、ニアとお話するのがとても好きです」
「……ああ、本当だな。貴女の目がそう言っている。よかった」
その言葉で気づいた。ティタニアスも私と同じように、目を見れば嘘か真か判断できるのだろう。……私と彼が魂の片割れで番だということに関係があるのだろうか。
隠し事は出来たとしても、嘘を吐くことはできない。今まで一方的に私だけが“そう”だった。けれど彼とは対等なのだ。初めて自分と同じことができる相手に出会えたことに安堵感すら覚える。
「ニア。貴方こそ、どこか行きたい場所はありませんか?」
「……それは考えたことがなかったな。貴女を探してあちらこちらを飛び回ってはいたが……それは妖精の世界がほとんどで、人間の世界のことはよく分からない」
ティタニアスは生まれてからずっと私を探していた。妖精の世界をくまなく探し回り、その世界にはいないのだと確信して人間の世界に出てきた。それからは割とすぐに私を見つけたのだ、という。
だからまだ人間の世界のことはよく知らないし、人間の文化もいまいち理解できていないらしい。
「では、街にお出かけしてみませんか?」
「……人間の街にか?」
「はい。……実は私も、あまり行ったことがありません。ですから、二人で街を散策というのも楽しいかもしれないと……どうでしょう?」
貴族は街を出歩かない。移動は基本的に馬車で、欲しいものがある時は商人を屋敷へ呼び出し商品を持ち込ませることが多いからだ。馬車の小窓から街の景色や人々をちらりと目にすることはできても、己の脚で歩くことはほとんどない。
いままでは常に貴族らしい装いで過ごしていた。そんな恰好で街を出歩けば目立ってしまい、噂を聞きつけた貴族によってまた社交の場で笑われただろうけれど今は違う。自由な時間を手に入れた今なら、町娘のような恰好をして出かけることができる。……そのための服は今から用意しなければならないけれど。
「俺はオフィリアと行けるならどこでもいい。楽しみにしている」
それは彼の紛れもない本心だ。私もとても楽しみになってきた。私はどうやら貴族らしからぬ行動をすることに心が躍ってしまうらしい。この性格は淑女としては失格かもしれないが元から似たような烙印を押されているし、何より社交界から退いたのだからもう構わない。
服を用意しなければいけないので数日かかるけれど、近いうちに街へ出かけることを約束した。
「あっ……そういえば、ニアの姿は誰にでも見えるのでしょう? 騒ぎになってしまうでしょうか」
「そうだな。しかしこれは隠そうと思えば隠せる。人間の世界にいる妖精は大抵、人に化けて羽を隠しているはずだ」
軽く翼を動かしつつ指さしながらティタニアスはそう言った。妖精はどんな種族でも羽を持っていて、形はそれぞれであるがそれは妖精の成人の証であり、成熟すれば誰にでも生えてくるのだそうだ。
私が見かけたことのある妖精らしき者達は羽がなかったけれどそれは隠しているからだという。普段は見えない人間でも光の加減や天気、体調など様々な要因が重なれば妖精を目にすることがある。妖精たちは“見えない人間”には正体をあまり見せたくないらしく、人間界に住む者達は大抵人間と変わらぬ姿に変化して活動しているらしい。
「目の力はどうしようもないが……仮面でもつけて隠そう」
「目の力、ですか?」
「ああ。俺の目を見た者は皆怯えてしまうからな」
揺らぐ炎のような瞳を見上げる。とても美しく輝く焔の瞳だ。たしかに人間の目とは違って瞳孔の形も特殊で、虹彩の色合いも変化し続けているがやはり恐ろしいとは思わない。いつまでも眺めていたくなるくらいだというのに。
「……そうやって俺の目を見つめられる貴女が特別なんだ、オフィリア。番である貴女だけが、俺を見つめてくれる。貴女の瞳以外に俺という存在が映ることはない」
それこそが、私が竜の番である証なのだと彼は言う。昨夜、バルコニーに降り立った彼は私と視線を交わしながらとても嬉しそうだった。あれにはこういう理由があったのかと気づく。
(誰とも目が合わない、というのは……きっと、とても辛いわ)
それはとてつもない孤独であろう。そうだとするならば、せめて私だけはティタニアスから目を逸らさないようにしようと決めた。
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