はぐれ妖精姫は番の竜とお友達から始めることになりました
Mikura
一章
第1話 はぐれ者
妖精、という存在を知っているだろうか。その姿を見ることはほとんどの人間には出来ないが、時には人を助け、時には悪戯を仕掛けてくる。見えなくても確かに“居る”のだと感じさせる神秘の存在。
ララダナク王国はそんな「妖精の国」と呼ばれている。古くから多くの妖精が暮らす土地であり、また初代王は妖精でその子孫たる貴族は妖精の血が混じった高貴な存在だとされていることが理由だ。
その証拠と言わんばかりに、貴族の中には時折妖精のように耳の先が尖った形をしている赤子が生まれる。そういう子は先祖返り、つまり妖精の血が濃い者として歓迎され尊ばれる。
私、オフィリア=ジファールもその特徴を持って生まれ「妖精姫」と持て囃された。……いや、持て囃されていた。
(それが今や“はぐれ妖精姫”だもの)
柔らかに波打つ白金の髪は妖精の衣のよう、白緑色の瞳には七色の光が散らばっていて神秘的、幼いながら整った顔立ち、そして何より妖精の耳を生まれ持つ尊き者。幼少期の頃の私はそのように評され「妖精姫」と呼ばれていた。六歳という年齢ですでに年の近い第二王子との婚約の話まで持ち上がっていた程である。
しかし、私には貴族女性として致命的な欠点があった。二十歳を超えてもまだ十代半ばになるかどうかという外見で、その幼い見た目の通り――大人の女性になったという証が訪れなかった。大抵の女性が十代半ばまでに迎えるはずの初潮がなく、生涯子供を産むことができないだろうと判断されたのである。妖精の耳を持つほど血が濃くても、それを繋げないなら意味はない。
(子を成し血を繋ぐのが貴族の役目……私には、それができない。仕方のないこと)
婚約はもちろん破談になり、それ以降私に持ち込まれる縁談は幼い容姿に惹かれる悪趣味な貴族の「後添いにならないか」もしくは婚外子が出来ることもないと遊びを求める貴族の「愛人にならないか」というようなものばかりになった。私を愛する両親がそのような話を受けるはずもない。気が付けばもうすぐ二十四歳という貴族女性としては行き遅れの年齢となってしまったのである。
(そんな私が縁を繋ぐ社交場に出ても意味はないのだけれど……)
今日はとある侯爵家主催の未婚の貴族が多く招待されている社交パーティーで、私も弟と共に招待を受けて訪れていた。こういう未婚の男女が呼ばれるパーティーは出会いの場であり、交流を深めながら婚姻にふさわしい相手を探す場だ。しかし私にとっては、義理として参席しているだけ。招待側も「はぐれ妖精姫」は話の種になるから呼んでいるのだろう。私の婚姻を望む者などこの場にいるはずもない。多くの好奇と嘲笑の視線にさらされ、辟易とするばかりである。
「ごきげんよう、オフィリア嬢。今日もまさに妖精のようにお美しくて、本当に羨ましいわ」
そのような言葉を何度かけられただろうか。しかし全て嘘だ。称賛の言葉を述べながら、その目は嘘だと語り掛けてくる。とてつもなく居心地が悪い。
この歳になってようやく年頃の娘に見える姿にはなったがそれでもやはり女性の証は訪れていない。結婚できないはぐれ者、美しいのに誰とも結ばれることのない妖精姫。人が陰で私を笑っているのは、知っている。人の悪意は目を見れば分かるものだ。
人目を避けて時間を過ごし、パーティーの終了と共に帰宅する。私が本気で隠れれば誰にも見つけられないのか、そうしている時間は誰かに話しかけられることもなく無事に過ごせている。しかしずっと私の姿を探していたらしい弟のルディスは終了の時刻にようやく表れた私を見てほっと息をついていた。どうやらとても心配させてしまったようだ。
「早く帰りましょう、姉上。お顔の色が悪く見えます」
「……ええ、そうね。帰りましょう」
二人でジファール所有の馬車に乗り込み、すぐに“妖精の小道”を使って帰路についた。これはララダナク王国中に点在する特別な道で、大抵は森の中にある。法則に従って進めば遠路でも短時間でたどり着くことができるという便利な代物だ。ただし、貴族が居なければ使うことができない。妖精の血が流れていない平民では迷い込んで出られなくなってしまい、また、貴族であっても誤った道順を辿ると知らない場所に出てしまうことがある。
私たちの馬車を任せているのは長年“妖精の小道”を走っているが、一度も迷ったことのない熟練の御者だ。自宅に帰りつけないかもしれない、なんて心配をする必要はない。固まっていた体の力を抜き、小窓の外の流れゆく木々を眺めながら背もたれに体を預けた。
「姉上……僕は、姉上が心配です。パーティーに出席する度に、姉上が傷つくではありませんか」
「仕方がないのよ。……でも、今日で社交の場に出ることを終わりにできないかお父様とお母様に相談してみるわ。このままでは、ジファールの家の名まで傷ついてしまいそうだもの」
ジファールは侯爵家だ。公爵家に次ぐ位だというのに、私のせいでこれ以上笑い者にされる訳にはいかない。それに、我が家の後継者はルディスである。彼さえいれば家の存続は問題ない。
帰りの馬車の中で向き合って座る弟は薄い唇を噛んで悔しさをにじませていた。私よりも小さかった彼は、十歳になる頃には私の背を追い抜き、すでに立派な二十歳の青年へと成長している。
私よりは少し色濃いが淡い金の髪は人目を引く。温かみのある翡翠の瞳が優しげで、身内の
「あいつらは何も分かってない、表面でしか物事を見れないなんて頭が悪いんだ」
「ルディス、言葉が乱れているわ。本心は胸の内に秘めていかなる時も冷静に、でしょう?」
「僕が本音を隠さないのは姉上の前だけですよ。……でも、姉上がこれ以上傷つかないなら、僕は何でも構いません。父上と母上もきっと、姉上の決断を受け入れてくださいます」
私が社交の場から消えれば少しは彼に着き纏う「はぐれ妖精姫の弟」という好奇の目が減るかもしれない。そうすれば穏やかな交流ができて、友人や想い人もできるのかもしれない。
社交の場にでない貴族女性にも、仕事はある。私は幼い頃から貴族としての教育はしっかり受けてきた。王族との縁談もあったくらいなので、かなり高等な教育を受けさせてもらった自覚がある。これからはその経験を生かしてまだ幼い貴族女性の教育などをしながら生きていけばいい。……させてもらえれば、の話だが。
(今後のことは今から考えていかなくては……)
帰宅後すぐ両親にもう社交の場には出ないと告げたら、二人は悲し気に微笑みながらも頷いてくれた。しばらくは休養をすればいい、好きに過ごしなさい、と時間も与えられた。これでもう、社交のパーティーやお茶会に顔を出したり、主催者としての準備に追われたりすることはない。明日から私には“するべきこと”がなくなる。
しかし、そうなると今度は何をすればいいのか分からない。貴族の女性としての役目は、私には果たせない。では、何をすればいいのだろうか。教師になる道も閉ざされた場合は、他にできることは何があるだろうか。私のような評判の者を侍女に迎えたがる奇特な上位貴族も思い当たりはしないし、貴族女性として育てられた私に果たして、それ以外の生き方ができるのか。
(ただこの家で生きるだけでは、家族に迷惑をかけてしまう……いっそのこと、妖精でも探しに行く?)
今まで何度か妖精らしきものを見かけたことはあった。国の支援を受けながら妖精研究をしている者達が居ると聞く。妖精を見た者は少ないし、そこでなら私でも役に立てるかもしれない。……迷惑をかけずに家を出る方法としては悪くない気がしてきた。
(……夜風にでも当たれば、少しは落ち着くかもしれない)
夜、自室で一人になると様々な考えが浮かんで、このままでは眠れそうになかった。気分転換になるかとバルコニーに出て夜空を眺める。もうすぐ夏になるけれど夜風はまだ冷たい。頭を冷やすには丁度良さそうだ。
風に吹かれた髪を押さえた時にふと、遠くの方で大きな鳥が飛んでいるのが目に入った。
(鳥にしては大きいような……?)
月を背に飛んでいるため影しか見えないが鷲や鷹などの大型猛禽類よりもずっと大きいだろう。何となくその姿を眺めていたら、その鳥は方向を変えてこちらに向かって飛んでくる。その姿が近づくにつれてはっきりと見えるようになり、それは鳥ではなく“人”が飛んでいるのだと気づいた。
(人が飛ぶなんてそんなこと、あるのかしら……?)
だとすればそれは、人ではなく――妖精ではないのか。近づいてくる人影に胸が騒ぐ。決して嫌なものではない。これは未知への遭遇に対する、好奇心だ。
人影はやがて私の立つバルコニーまでやってきて手すりの内側へと降り立った。見上げるほど背の高い男性の、燃える炎にも似た赤い瞳と目が合う。その瞳孔は眩しい日差しの下で見る猫のように縦に長い。……やはり、人ではないようだ。
(……綺麗な人)
ついそういう感想を抱いてしまうくらい造形の整った顔をしている。鋭い切れ長の目の印象は強いけれど、まるで絵画や彫刻といった芸術品を作り上げる際バランスよく顔を整えたような、生物らしからぬ均整さと言えばいいのだろうか。目の前の彼はそんな印象を受けるほど、完成された存在のように思われた。
「ああ……ようやく見つけた」
大きな弦楽器でも奏でた時のような、体の芯に響く低い声が耳に心地よい。彼の肩からさらりと流れて落ちた髪は黒に近い濃紺であり、その隙間から尖った耳が主張していた。
その耳よりも目立つのが折りたたまれてなお強い存在感を放つ蝙蝠のように膜のある翼と、長身痩躯の彼の背後から覗く太い、爬虫類のような光沢と鱗のある尾。その特徴に当てはまる生物を一つだけ知っている。
「……
「そうだな、そう呼ばれる存在だ」
彼の瞳に嘘はない。伝説中の伝説の存在、竜だと名乗る美しい男性は曇りなく澄んだ瞳で私を見下ろしていた。
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