第5話

 居るし…。

 杉本は、昨日とまったく同じ場所でまったく同じポーズで、スマホをくるくるさせていた。

 俺が近付いて行くと、今日はこっちから声を掛ける前に気付いて「あ、上條」と言って、「今日もお使い頼まれたの?」と笑った。

 そんなわけあるか。…でも、おまえが気になったから来たとは言えない。

 それにしても…今日の格好もすごいな。

 同じパーカー着てるのに、俺のが黒一色なのに対して、杉本のは紫と黄色の…こーゆーのなんていうんだっけ…タイダイ柄?に染め上げられたド派手なやつだし、下は紫の布地に黒い蔦のような柄がびっしり入ったハーフパンツを履いていた。

 そしてピアスに黄色い髪。ホントにこいつは色がうるさい。

 でもやっぱり足元は裸足にサンダルなんだね…。

「杉本はここで何してるの?」

 質問に質問で返す。しかももう遠慮なく呼び捨てだ。

「俺?ここが1番明るいから」

 人差し指を上に向けるからつられて上を見ると、そこには街灯があって、確かに他の場所よりひときわ明るいんだけど…なんか話が噛み合わない。

 そうじゃなくてさ…えい、もう、はっきり訊こう。

「杉本ってさ、みんなに部屋、貸してるの?」

 杉本の大きな目が一層大きくなって俺を見つめた。

「…バレてたんだ」

 うつむいて、ため息と一緒に吐き出す。俺は無言の返事を返す。

 と、次の瞬間「なんちてー、昨日のでバレたかな〜とは思ってたよ」と言って愉快そうに、きひひっと笑うから、思わずぎょっとした。え?ここ笑うとこ?

「で、何なの?上條も部屋、借りたいわけ?」

 杉本はなんでもないことのように言ったけど、その言葉は俺の神経を大きく逆撫でした。は?なんだと?

「んなわけあるか!」

 思わず大きな声を出すと、今度は本当にびびったみたいに杉本は目をパチクリさせた。

 見損なうな。俺はそんな風に人を利用するような人間じゃない。

 もう知らん。勝手にそこで時間潰してろ、と、くるりと向きを変えて帰ろうとすると…

「ごめん」

 背中から声をかけられて振り向いたところで、「ごめんね」

 改めて謝られた。

 その顔がいつものふざけた感じじゃなくて、誰?と言いたくなるほど真剣な眼差しだったので、虚を突かれた俺は思わずフリーズしてしまう。

 すると突然、杉本がスマホを持っていない方の手でガバっと目を覆うと、肩を震わせながら「てことは、上條…俺のことが心配で来てくれたんだね」と、わざとらしく言った。

 やっと時間を取り戻した俺は「おい、泣き真似やめろ」と突っ込む。「あ、バレた?」と笑って顔を上げたときには、もういつもの杉本に戻っていた。

 まぁ心配で来たのは事実だったので一応訊いてみるけど。

「何時まで貸してるの?」

 杉本は、んー、と唇を尖らせながら「特に決めてない。向こうが気が済んだら連絡してくる感じ」と答えた。

 なんじゃ、そりゃ。じゃあ向こうがいつまでも気が済まなかったら、おまえはいつまでもここにいるつもりか?

 俺は知らずと、はぁ、とため息をついて次に自分でも信じられない言葉を口にしていた。

「うち、来れば?」

「えっ?!」

 また本気でびびった杉本が、「でも、親御さんとか大丈夫なの?」とかなんとか言っていたけど、無視してさっさと歩き出した。

 頼む。着いて来ないでくれ。と願いながら。

 思わずほだされて捨て犬を拾う少年のような気持ちで言ってしまった言葉に、俺は秒で後悔していた。

 やっぱり一人暮らしをしていることは知られたくない。

 平穏な暮らしを死守したいんだよ。頼むから着いて来ないで欲しい。

 一切後ろを振り向かずに祈りながらアパートの前に辿り着くと、俺の祈りはあっさり打ち砕かれ俺の真横に並んだ杉本が目を見張っていた。

 そしてその目をキョロキョロと左右に動かす。

 …終わった。

 見ての通り単身者用のワンルームだよ。

 それとも六畳一間に家族で方寄せ合ってつましく暮してる姿でも想像してる?

 はぁ。俺はもう一度ため息を着くと観念してカンカンカンと階段を上がった。

 杉本も一緒にカンカンカンと階段を上がるからこんな夜に音が二重になって、近所迷惑になっていないだろうかと心配になる。

 鍵を開けてドアを開け、目でどうぞ、と促すと、杉本は「おじゃましま〜す…」と声をひそめて中に入った。

 俺も続いて中に入る。

 電気をつけっぱなしにしていた8畳の部屋に、ベッドが1つ。ローテーブルが1つ。

 どっから見ても立派な一人暮らしだ。

 俺はテーブルの上に広げたままのテキストとノートを閉じて重ねて床に置き、無言でどうぞ座っての合図を送る。

 杉本が素直に座りながら「上條も1人で暮らしてんだ」と言った。

 ってことは、やっぱりおまえも一人暮らしなんだな。

 いきなり登場した同志にお茶くらい出してやろうと俺はキッチンに移動してミルクパンに水を入れて火にかけた。やかんは必要性を感じなかったので持っていない。

 あ、しまった。カップが1つしかない。

 まぁいいか。別に喉かわいてる訳じゃないし、杉本の分だけ入れよう。

 棚にある紅茶の箱からティーバッグを取り出してカップに入れていると、部屋の方から「理由は訊かない方がいい?」と呟くような声が聴こえた。

 え?今のって…杉本?だよね?しかいないし。

 …正直、驚いた。

 杉本のことだから、てっきりズカズカと人の心に土足で踏み込むようなことを言ってくるかと思って少し身構えていたから。

 案外、気ぃ使いぃなんだな…。

 少し見直しながらお湯を注いだカップを持って部屋に戻ると杉本の前に置き、俺も杉本の正面に腰を下ろす。

「ありがと」

 杉本が真面目に応えて紅茶をズズッと一口すすって、その音だけがしんとした部屋に響いて消えていく。

 …うーん、困った。部屋に入れたものの話題がない。

 さっき気を使われた手前、俺も杉本の事情を根掘り葉掘り訊くわけにもいかない。

 俺が考えあぐねていると「おまえ勇気あるな」

 突然、杉本が言った。

 へ?一瞬何のことだかわからなかったけど、

「いきなりアウェイな状態で全員の視線にさらされながら言わなくてもさ、仲良くなったやつから徐々に言っていけば良かったじゃん」と笑うので、ああ自己紹介でのカミングアウトのことか、と思い至った。

 しかし、痛いところをついてくる。

 うぐっ、となった俺は少しでも反論してやろうと、「俺は早くスッキリしたかったんだよ!」と言った。これは10割本当。

 杉本は、「へぇ〜」と言うと、フイッと俺から視線を外し「すげぇな、上條は」呟くように言った。そして間を埋めるかのように、もう一度紅茶をズズッとすする。

 …なんでか泣きそうになった。

 俺はあれを、誰かに褒めてほしかったんだろうか…。

 やっぱり杉本、俺が震えてたこと、気付いてたよな。

 そうだよ、怖かった。すげぇ勇気振り絞ったし、めちゃくちゃ緊張した。前の晩、1人きりの部屋で、なかなか眠れなかったんだよ。

 そのことを誰かに気付いて欲しかった。

 杉本…おまえ…実はいいやつなのか?

 俺がせっかく杉本を見直して感動しているのに、テーブルに置いてあった杉本のスマホの着信音があっけなくそれを打ち消した。

 杉本がすぐに取ってタップすると「はいはーい、うん、終わった?」と言っている。

 あ、終わったコールか。良かった。これでやっと杉本も帰って…

「あ、今日いいよ、そのまま泊まっていっても。俺、寝る場所、確保したから」

「は?」いま…なんつった?


 前言撤回。何がいいやつだ!

 電話を切った瞬間から、俺と杉本は揉み合っていた。

「勝手に泊まるとか決めてんじゃねぇ!」

「いーじゃん!寝るだけだから!」

 お互いの肩を掴み合いながら、玄関の方へ杉本を追いやる俺と、踏ん張る杉本。

「いいから、帰れ!」

「今、帰ると俺のベッドで裸の男女が寝てんだぞ!そんなところへ俺を追いやって上條は胸が痛まないの?!」

「知るか!自分で蒔いた種だろ!俺を巻き込むな!」

「上條が自ら巻き込まれに来たんじゃん!」

 うぐ…。こいつ、いちいち痛いとこをつく。

 でも何か言い返さないと、こいつを泊めるハメになってしまう。

 そうだ!こいつ地元だって言ってたな。

「実家に泊まればいいだろ!」

 言ってやった俺に、杉本は困ったように眉根を寄せると「俺、実家出禁なんだもん」と、唇を尖らせた。

 え…マジ?

「…おまえ、そんなに荒れてんの?」

 思わず力を緩めると、杉本は叱られた子どもみたいに、ぶ〜と頬を膨らませた。






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