第38話「これが妹たる乙女の作法・妹(璃亜)サイド」

「ど、どどどどどどうしましょう」


 お兄ちゃんと喧嘩した次の日、私は小町先輩の元を訪れていた。

 あの時の私は本当にどうかしていた。

 勢いに任せて言わなくてもいいことまで言って、お兄ちゃんを傷つけて……あんな悲しい顔をさせてしまった。


 そして何より――。


「私、絶対嫌われましたよねぇえええ!?」


 やっと昔のようにお兄ちゃんと喋れるようになってきたというのに、これでは逆戻り、それどころか、以前よりもマイナスになってしまった可能性まである。


 最近のお兄ちゃんに対して、ちょっとイライラしていたというのは本当のことだけど、あそこまで責め立てるつもりはまったくなかったのである。


「璃亜ちゃん!? 落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だからね」


「そうですかね……このままじゃ一生口を聞いてくれないどころか、私が話しかけられても鬱陶しいと思われて、同じ家にいるのも嫌になって出て行って…………」


「妄想がネガティブ過ぎる!? 蓮くんがそんなことするわけないよ!」


「うぅ……でもぉ」


「それは、璃亜ちゃんが一番よく知ってるでしょ? 蓮くんはそんなことで、いちいち腹を立てたりしないよ。今頃一人でへこんでるんじゃないかな」


「それは……そう、かもですね」


 今までも、私がどれだけ冷たい態度を取っても、どれだけ我がままを言っても、お兄ちゃんは優しく接してくれた。

 決して声を荒げるようなことも、私を自分から遠ざけるようなこともしなかった。


「こんなところで私が落ち込んでても、お兄ちゃんのためになりませんよね! 女狐に美術館デートへ行くことを許可したんだから、それ以上の成果は出さないと!」


「うん、その意気だよ! って、女狐って私こと!?」


「他に誰かいますか?」


「別にいいけどさ、私味方じゃないの? 慰めてあげたのに?」


「まあまあ、後輩のかわいい嫉妬心くらい広い心で受け入れてください」


「そ、そうだよね、私先輩なんだもんね。大人気ないよね、ごめんなさい」


「う、うぅ……謝られるのはそれで違うような、お兄ちゃんが言うように本当にちょろいというか、大丈夫かなこの人」


 私たちが争っている場合じゃない。

 お兄ちゃんが我慢をしないで、自分のやりたいことをやれて、言いたいことを言えて、私にも多少我がままとか言ってくれて、そんな状態になるのが理想だから。


 今まで、散々迷惑をかけた分の恩返しを、今度は正しい形でしてあげたいから。


「後輩くん、今でも絵を描きたいって思ってるのは、間違いないと思う。この前の美術館でもそう思った」


「やっぱり、そうですよね」


 私もそれは間違いないと思う。

 先日、家でクラスメイトに頼まれた部活勧誘のポスターを描いていた時もそうだし、そもそもあれだけ好きだった絵を、父が死んで少し経った後くらいから描かなくなったのがおかしかった。


 でも、お兄ちゃんは頑固だからそれを認めようとはしない。


「どれだけ押し殺そうとしてもね、そういうのって漏れちゃうんだよ。だから、わかった。後輩くんは、そういう眼をしてたよ」


「小町先輩は、どうすればいいと思いますか? どうすれば、お兄ちゃんが素直に描きたいって言ってくれると思いますか?」


「うーん…………わからない!!」


 ビシッと人差し指を突き付けて、何故か小町先輩は自信満々に言った。


「…………先輩?」


「だ、だってぇ! ちょっと押したくらいで書くなら、後輩くんは今頃美術部に居ると思うし、それに……だから、私じゃ何を言っても難しいんじゃないかなとも思ってる」


「小町先輩……」


「きっと、後輩くんが今一番欲しがってる言葉をあげられるのは、妹である、家族である璃亜ちゃんだけなんじゃないかな」


「一番欲しがってる言葉って……私にしかあげられないものですか?」


「うん、私じゃあげられないものだ」


 小町先輩は悔しい気持ちもあるはずなのに、ニシシと軽快に笑って見せる。

 私よりちっこい子供な先輩が、なんだか今は本当にただの先輩に思えた。


「わかりました、私もう少し頑張ってみますね」


「うん! あ、一つだけつまらなくて具体的なアドバイスをしてみようかな」


「ぜひ!」


「後輩くんが絵を描こうとしないのには、ちゃんと理由があると思うんだ。璃亜ちゃんはそれが分かってるんじゃないかな?」


「はい、多分……」


「だったら、それを取り除いてあげることが一番だよ。そうしたら、もう後輩くんだって言い訳できなくなるしね」


 原因は二つあると思う。

 一つは、自惚れじゃなければ、私の言葉であげられるものだ。

 でも、もう一つは具体的な手段が必要なものだと思う。


 それは蓮くんが今もバイトを増やそうとしている理由でもあって、端的に言えば――うちはお金に余裕がないから、蓮くんはそのために自分の時間を削って働いている。


「はい、ありがとうございます、小町先輩! さすが先輩ですね! 少し気が楽になりました」


「り、璃亜ちゃん!! なんていい後輩なんだ……っ!! そうだよ、私先輩だからね、困ったらまたいつでも頼っていいんだからね!」


 お金に関しては実はちょっと当てがあったりするのだ。

 もしこれが解決すれば、きっとお兄ちゃんは幸せになれるから、私はすごく頑張らなくてはならない。私にはその手段があるのだから。


 私はそっとスマホの通知を覗き見て、左にスライドした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る