第30話「どうしても憎めないちっこい先輩(3)」
小町先輩は絵から視線を離さないままで、口を開く。
過去を覗き込んで、懐かしむように言葉を紡ぐ。
「ねえ、蓮くん。私たち、中学生の頃に会ったことあるんだよ」
「……」
「会ったっていうか、私が一方的に君を見ただけだけどね。さすがに覚えてるでしょ? コンクールの絵が飾られた美術ホール。蓮くんが家族四人で見に来てて、その場に私もいたの」
覚えている。
まだ父が生きていて、ちょうど累さんと璃亜とも打ち解けてきた頃。
あの時は、順風満帆といえるほどに、何もかも上手くいっていた。
「その時、君の絵を、君を見つけた。熱を灯された。それまでなんとなくで描いてた私は、蓮くんの絵に熱を灯されたの」
「それ、結構過去を美化してませんか」
「そんなのことないよ。それくらい、私にとっては衝撃だったんだから。君の色を浴びて、今すぐにでも何かを描きたいって右手が震えた」
到底信じられない。
でも、絵は観者の受け取り方が全てだという考え方に照らして言えば、間違いなく彼女の想いは偽物ではないのだろう。
「実は、中学校も一緒だったんだよ。気づいてなかったでしょ」
「はい」
「何回も話しかけようとしてたんだけど、恥ずかしくて。結局私が先に卒業しちゃった」
でも、話しかけられなくてよかったと思ってしまう。
あの時は、父が死んで……血の繋がった家族がいなくなって、しばらくして璃亜とも上手くいかなくなって――そんな時だったから。
絵を描く余裕もなければ、多分、わざわざ話しかけてくれた小町先輩を気遣う余裕なんてまったくなかったと思う。
「でも、高校でまたこうやって出会えた」
小町先輩は、両手を背中で組んで、俺の顔を覗き込むと無邪気に笑った。
「期待したような出会いじゃなくて、申し訳ないです」
「じゃあ、今から私の期待通りにがんばってくれてもいいんだよ?」
「そ、それは……」
「冗談。今日はそういうの言わないって決めたんだ。蓮くん頑固だからね。きっと押してるだけじゃどうにもならないもん」
「頑固のなのはお互い様じゃないですか」
「えへへ、そうかな」
小町先輩は、光栄だとでも言うように照れ笑いをした。
「あと、知ってましたよ」
「? へ? 何を?」
「小町先輩がコンクールの絵が飾られた美術ホールにいたこと。花崎小町のこと、その時から俺も知ってました。同じ中学だったのは驚きですけど」
「え、えぇぇぇえええええええええええ!? そうだったの!?」
小町先輩は小さな口を明一杯開けて、今世紀最大の大事件だと言わんばかりに大声緒を上げた。
「ちょ、静かにしてください。ここ美術展ですよ」
「あ……ごめんなさい。って、知ってたってどういうこと!?」
小町先輩は小声で俺に詰め寄って来る。
「あのコンクールに年齢制限はありませんでした。中学生の入賞ってだけで目立ちますよ。俺以外には、小町先輩だけだったはずです。同い年の子が描いた絵、俺だって気になります」
「そ、そうだったんだ……ほえー……」
だから、あの時、俺も小町先輩のことを知った。
まさか、先輩だとは思わず、俺より年下で……なんてありきたりな劣等感を抱いたのは内緒の話。
素直できれいな絵だった。
三日月の浮かぶ夜空を描いた、まっすぐな絵。
「なんだか、照れくさいな」
互いに、互いのことを知っていた。
言葉を交わさずとも出会っていた。
それだけに、今俺が描いていないのは惜しいと思われているだろうか。
もし、今も描き続けていたら、俺たちはお互いきっと特別な存在だっただろう。
でも、そうはならなかった。
俺もなんだかんだ小町先輩の絵が好きだったのだ。
今でも鮮明に思い出せるほどには、好きだった。
「小町先輩は十分うまいですよ。俺なんか気にする必要ないんですよ。捕らわれる必要はないんですよ」
「ふふ……っ」
「小町先輩?」
否定にしろ、肯定にしろ、笑われるとは思っていなかったから、俺は思わず小町先輩を見る。彼女は、おかしいと口元に手を当てて、優しそうな目をしていた。
「蓮くんおかしなこと言うね。あと、ちょっと自惚れてるね」
「は、はあ…………」
「私は蓮くんより、うまいです。蓮くんはここ三年間くらいずっとサボってたんだから、その内に私の方が上手くなってるはずだよ。というか、そうじゃなきゃ困るな。私、これでも結構頑張ってきたし」
「じゃあ、なんで……」
「絵って別に上手いとか下手とかじゃないでしょ? 蓮くんが特別技術に優れてたから、憧れたんじゃないの。ただ、蓮くんの絵だったから胸を打たれた。私は蓮くんに憧れたけど、蓮くんみたいになりたいわけじゃないの」
「よくわかりません……」
「うーん、じゃあ、もっとシンプルにしよっか。私は同じ部活で、ただ、蓮くんと一緒に絵を描きたいな。きっと、すごく楽しいと思うから」
「………………っ」
そんなことは、そんなことを言われたら、さすがに少し響く。
真っ直ぐで、素直な彼女の言葉はよく響く。
「あ、別にこれは勧誘とかじゃないからセーフだからね! ただの私の気持ちです」
「そう、ですか」
眩しい。俺には、小町先輩は眩しい。
別世界の人だとさえ思う。
それなのに、彼女はこちらの世界をいとも簡単に照らしてしまう。
境界を易々と取っ払って、するりと入り込んでくる。
「ありがとうございます。その言葉だけで、すごく嬉しいです」
その後、美術展を後にした俺たちは、そのまま解散した。
当初は一緒にご飯でも食べる予定だったが、止めた。
小町先輩が絵を描きたがっているのが分かったから。
拳を握ってうずうずしているの彼女を感じたから。
今日の美術展は、彼女の中に灯る火に更なる薪をくべた。
きっと、彼女は家に帰ってすぐに筆を握る。
それはちょっと羨ましい。
「…………帰ろう」
そうだ、もう一つバイトを増やそうと思っていて、近々面接を受けるのだ。
俺は俺の頑張るべきことを頑張らないと。
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