第3話「俺の妹がお兄ちゃん大好きなんて言うわけがないよね(3)」

 だから、確かめてみようと思った。

 あの夜のことは、本当にあったことのか。

 璃亜が本当は俺のことをどう思っているのかを。


 日付が変わる少し前。

 いつもと同じ時間に布団へ入り、瞼を降ろす。

 別になにもなければそれでいい。

 璃亜に文句を言われながら、いつも通りの日常を送るだけ。

 いつも通りの日常を保つだけだ。


 カチャリ――控えめに部屋のドアが開く音が響く。

 ぺたり、ぺたりと、小さな足音が鳴る。

 同時に、俺の心臓も早鐘を打ち始める。

 強張る体を、唇を噛んで抑える。


 ギィとベッドが鳴る。

 背中に璃亜の息遣いを感じる。

 彼女は今、ベッドに腰掛けて俺の顔を覗き込んでいる。

 帳のように降りた彼女の栗色の髪に頬をくすぐられる。


「ふふっ、お兄ちゃんぐっすり寝ちゃってる。かわいい」


 背中に指先を這わせ、囁いた。

 思わず声が漏れそうになって、ギュッと目をつむる。


「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん~~~ッ」


 背中に顔を押し付けて、マーキングをするように擦り付ける。


 本当に彼女は青柳璃亜なのだろうか。

 いつもとあまりにも態度が違うから、困惑する。


「お兄ちゃんだいすきぃ。ほんとはね、お兄ちゃんが璃亜って名前を呼んでくれるだけで私はすっごく満たされているんです」


 彼女の甘い言葉と、吐息と、女の子な香りに頭がくらくらしそうになる。


「お兄ちゃんは璃亜を好きになる。お兄ちゃんは璃亜を好きになる。お兄ちゃんは璃亜を好きになる~」


 璃亜は俺の鼓動に耳を澄ませるように、背中にギュッと頬を寄せる。


「蓮くんみたいなお兄ちゃんがいる私は幸せものですね。同じ屋根の下でお兄ちゃんと暮らせるなんてこれ以上の幸福はないですね。お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんですもんね」


 ギュッと服を掴んで、唱えるように囁く。


「あーあ、普段もこうやって甘えられたらいいのに…………そんなの、許されないですよね」


 許されない? それってどういう……。


 璃亜は再び体を起こすと、俺の顔を覗き込むように乗り出してきた。

 彼女の髪が垂れ、俺の鼻先をくすぐる。

 まずい……このままだと……っ。


「――くしゅんっ!」


 思わずくしゃみをしてしまった。

 その拍子に、俺の顔を覗き込んでいた璃亜と視線が合う。


 息を飲む。今、俺と璃亜はきっと同じような顔をしていると思う。


「なっ……あ、くぅ……っ」


 そして、彼女の表情はみるみるうちに羞恥で赤く染まっていく。

 布団から慌てて飛び退き、何かを言おうと口を開くが、漏れるのは意味のない短い音のみ。

 糾弾しようと人差し指で俺を指し、やはり言葉は出てこない。


「ど、どどどこから聞いてましたか」


 勢いよく何かを叫ぼうとして、やっと出た言葉はそれだった。

 両拳をギュッと握り、消え入るような声で問う。


「な、なにも聞いてないぞ。なんかくすぐったくてくしゃみが出て、それで……」


「じゃあ、なんでそんな気持ち悪い顔してるんですか? なんでそんな、気まずそうな顔してるんですか? なんで……そんな、蓮くんは……」


「…………璃亜?」


「ドキドキしましたか?」


「…………っ、なにを言って」


「どうして、もっと私のことを嫌いになってくれないんですか」


「嫌いに?」


「蓮くん、さっきの全部嘘ですから」


 璃亜は一歩一歩、ドアへ向けて下がりながら絞り出したような声で言った。

 部屋に明かりはなく、加えて栗色の髪に隠れた彼女の表情はよく見えない。


「好きとか、そんなこと思ったことないですから。大っ嫌いですから。ずっと昔から、今も、これからも、大っ嫌いですから」


「璃亜待ってくれ、話をしよう。璃亜!」


「本当に大っ嫌い」


 璃亜は俺から視線を切って、部屋から出て行ってしまう。

 暗い部屋の中、重苦しい静寂と共に取り残される。

 俺はクローゼットを見やって、大きくため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る