普段は塩対応の妹が夜な夜な枕元で「お兄ちゃんは私のことがすきになる」と洗脳してくる
十利ハレ
第1章
第1話「俺の妹がお兄ちゃん大好きなんて言うわけがないよね
何事も続けていればクセがつくものだ。
数年前までは朝起きるだけでも億劫だったのに、今では目覚ましの鳴るちょうど五秒前に起床するという完璧っぷり。
窓から差し込む朝陽に心地よさを感じて、今日という日が始まりを告げる。
俺の名前は青柳蓮。
近くの公立高校に通う二年生。
ふつうの暮らし、と言いたいところだが、もし本当にふつうならこれが物語にはなっていないだろう。俺がふつうだと思っている日常も、他の誰か、例えば君なんかからしたら特別なものに思えるのかもしれない。
たしかに、客観的に見て少しだけ珍しいかもしれないという要素はいくつか思い当たる。
一つ、青柳家の食卓は基本的に俺が管理している。
新鮮さを主張するように白米から立ち上る蒸気。
味噌汁の香りには言い表しようのない安堵感を覚える。
海外では不人気だと聞くが、俺は納豆の独特の香りも嫌いではない。
何事も続けていればクセがつくものだ。
だから、毎日朝ごはんを作るのも、俺にとってはすっかりと日常になっていた。
朝ごはんを作ること自体は苦ではない。
「ねえ、蓮くん。この味噌汁しょっぱすぎじゃないですか? え? もしかして私のこと塩分過多で殺そうとしてます?」
だがしかし、この生意気な妹には、優しいお兄ちゃんとして名高いこの俺も頭を悩ませている。
同じく舞花高校に通う一年生。
クソ生意気な義妹に当たる少女で、俺の日常の悩みの種である。
「いつも通りだろ」
「じゃあ、いつもしょっぱいです」
「はあ、作って貰えてるだけ感謝しろよ」
「兄がかわいい妹に朝ごはんを作るのは当たり前のことですよね?」
「どこの世界の当たり前だよ」
「少なくとも青柳家では当たり前です」
「お前、兄のことなんだと思ってんだよ」
「え? 奴隷ですけど」
人差し指を顎に添えて、すっごくキョトンとした顔で首を傾げる璃亜。
さも、今更なに当たり前のことを聞いてるんですか、それが世界の真理ですよ、とでも言いたげな顔だ。
え? 俺、妹に奴隷だと思われてたの? 泣いていい?
薄々感づいてはいたけど、基本的な人権が尊重されていない件について。
「はあ、まあ、俺にはいいけど
累さんと言うのは、俺たちの母親の名だ。
父の再婚相手で、俺にとっては義理の母になる。
「なにそれ………」
「ん?」
「うざ。ほんとに蓮くんうざい」
「はあ? なんだよ、急に」
「急にじゃないですよぉ、いつも思ってます」
ニコッと極上の笑顔で璃亜は言う。正し目は笑っていないというやつだ。
こいつは、俺の何がそんなに気に入らないんだ。
自慢じゃないが、割といいお兄ちゃんをできてると思うのだが、何か気に障ることでもしたのだろうか。
「的外れなことを考えていそうなその顔もキモいですね」
なんて言われてしまう始末。
年頃の妹とはこういうものなのだろうか。
是非教えてほしい、全国のお兄ちゃんよ。俺はどうすればいいのだ。
納豆ご飯をかき込んで、味噌汁を流し込んでほっと一息。
する間もなく、そろそろ家を出ないと学校に間に合わない時間だ。
俺と璃亜は同じ高校に通っているので、それは璃亜も同じ。
同時に家を出ようとすると、璃亜が不機嫌そうな顔でこちらを見てきた。
「え? なに一緒に来ようとしてるんですか?」
「いや、一緒も何も高校一緒なんだからそうなるだろ」
「そんなに妹と一緒に学校行きたいんですか?」
「わざわざ別に出る方が不自然じゃないのか」
「わかります、わかります。私はかわいいですからね。兄妹といえど、かわいい女の子を横に侍らせているのは気持ちがいいですよね」
「お前話聞けよ……ていうか、そこまで過剰に反応する璃亜こそ意識しすぎだろ」
「な……っ!? そんなことないです! 蓮くん本当にキモい。マジでキモいから、ついてこないでくださいね!!」
璃亜はべーっと舌を出して挑発すると、勢いよくドアを閉めて走って行ってしまった。
○
そう、これが俺と璃亜の日常である。
だから、こんなことになるとは夢にも思っていなかった。
その日の夜、妙に月が綺麗だったことだけは覚えている。
明日も早いからそろそろ眠りにつこうと、ベッドに横たわる。
ただ、なんとなく意識が沈んでいかない。
現実と夢の境界でうろうろと彷徨う中、ガチャリ。
部屋のドアが開く音が鮮明に聞こえた。
今日も累さんは夜勤のはずだから、俺以外に家にいるのは璃亜だけとなる。
あいつはわざわざ何しに来たんだ。
足音を立てぬように、気配を殺して忍び寄る璃亜を感じる。
なんて考えていると、彼女は思っていたよりも近くに来ていたようだ。具体的には、耳に彼女の吐息を感じるくらいには近く。
俺は璃亜に背を向けて寝ている。
本当は璃亜がドアを開けた時に声をかければよかったのだ。
それをしなかったために完全にタイミングを逃してしまった。
「ふーっ」
璃亜がいたずらに俺の耳に息を吹きかける。
思わず体が震えて、声が漏れそうになる。
「ふふっ、お兄ちゃんびくってした。かわいいですぅ」
蕩けるような甘い声。
璃亜じゃないみたいだ。
そうだ、璃亜が俺にこんなことをするはずも、こんなことを言うはずもないのだ。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん~~~~~っ」
璃亜はうなじに顔を擦り付けて、悶えるように何度も名前を呼ぶ。
おかしい、これはおかしいことだ。
何より、やけに俺の鼓動がうるさいのがおかしい。
背徳感か、罪悪感か、それとも妹にときめいているとでも言うのか。
「お兄ちゃんは璃亜のことがすきになる」
そっと、祈るように囁く。
「お兄ちゃんは璃亜のことがだいすき」
刷り込むように、溶け込ませるように。
「お兄ちゃんは璃亜のこと一番すき」
甘美な囁きを、流し込まれる。
「お兄ちゃんはずっと璃亜のことだけがだいすきです」
狂わせるように、何度も何度も何度も。
「すきだいすきお兄ちゃんお兄ちゃんだいすき、お兄ちゃんも私のことがだいすき♡」
これはいったい何だと言うのか、どうしても普段の璃亜の様子と結びつかない。
俺の妹が、お兄ちゃんだいすきなんて言うわけがないよね。
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