02-07 帝国に迫る危機

 一人の騎士がただひたすら必死に走っていた、長年連れ添って来た愛馬を無茶な走らせ方をさせて潰して、それでもまだ足りない、残された距離を自分の足でただ走り続ける。

 騎士の心には三つの事だけだった、残して来た仲間達のこと、ここまで自分を運んでくれた愛馬への感謝、そして⋯⋯

「早くこの事を、皇帝陛下へお伝えしなければ!」


 アリシア達がアクエリア共和国の人達と会った次の日、ようやく世界会議が始まった。

 エルフィード王国国王ラバン、アクエリア共和国を構成する四つの国の各国主のトレイン・ブルードラン、ドレイク・ヴァーミリオン、マリリン・タートランとそれらのまとめ役であるオリバー・ホワイガー共和国大統領が主催国の皇帝アナスタシア・ウィンザードの前に集まった。

 そんな彼らの側には、それぞれの国王達の補佐官が付いている、ラバンの補佐官にはアレクが、アナスタシアの補佐官は皇配でもある宰相のアルバート・ウィンザードが務めていた。

 エルフィード王国陣営の隣に、アリシアとフィリスとそしてルミナスが並んで座っている。

 これら全てが今回の世界会議の代表者である、なおキーリン教皇は政治に関わらない為不参加である、アリシアは正直言って羨ましかった。


 会議は穏やかに始まり淡々と進んでいる、最初に挨拶した時以来アリシアは一言も発していない、これはアリシアも意外な事だった、もっと質問攻めにあうとばかり思っていた為である。

 そしてもう一つアリシアにとって以外だったのは、全ての国同士が非常に仲良く助け合う事だった。

 アリシアの想像ではもっとギスギスし、わがままほうだい怒声が飛び交うものとばかり思っていたのだが⋯⋯

「皆さん、ずいぶん仲良いんですね」

 会議の小休憩の時、アリシアは思ったことをそのまま言った。

「もっと仲が悪い、そう思われていたのかな?」

 ラバンは苦笑しつつ、アリシアに答える。

「まあそうですね、表面上はいくら仲が良いといっても、そう簡単には信じられませんでしたから」

「結局のところいがみ合う事よりも、手を取り合った方が自国のためになる、それが証明されたからのう」

 続いてアナスタシアも、アリシアの問いに答える。

「ここまで仲が良いのでしたらいっそのこと、国を統一しようと思わないんですか?」

 そんな何も考えていない、子供のような疑問をアリシアは問い掛けるが⋯⋯

「どの国がトップに立つかで、戦争になるのが目に見えとるしな。我がアクエリア共和国も以前はもっと多くの国に分かれていた、しかし五十年ほど前に四つになって以来は変化しておらん、つまりこれでバランスが良いと言うことだな」

 オリバー大統領に続き、他の共和国国主達も頷く。

「でもまあこれで少し安心しました、争わずに済むならその方がいいですしね」

 一先ずアリシアは一安心する、戦争に駆り出される事は無さそうだと、確かにアリシアが師から受け継いだ知識や技術の中には、戦争位にしか使い道のないものも含まれてはいるが、好んで使いたいわけでもなかったので。

 ラバンも一安心する、アリシアにありのままの世界を見せることで安心してもらおうと思っていたが、思いのほかうまくいったことに。

「もっと私に、頼み事ばっかりされるとも思っていたのですが」

 そんなアリシアのもう一つの疑問に、アレクが答える。

「たった一人の超越者に支えられる国などあってはならないからね、自分たちの国は自分たちで守って行かなければね」

 そのアレクの言葉に各国の国王達がうなずく。

 その言葉を聞きアリシアはほっとすると同時に寂しさも感じる、もう自分など⋯⋯魔女など世界から必要とされてはいないのだと。

 ならなぜ自分は生まれて来たのだろう、なぜ師は弟子を育てたのだろう。

 わからない、何一つ答えなど出ない、そんなアリシアの思索は不意に開かれた扉の大きな音に遮られる。

「皇帝陛下に至急申し上げ致します! ネーベルの森が決壊しました!!」


 その伝令によってこれまでのゆるい空気は吹き飛び、厳しい女皇帝の声が飛ぶ。

「一体どういう事だ、詳しく説明せよ!」

 そのアナスタシアの命令に、伝令の兵はキビキビと答える。

「先程ネーベルの森、警備隊の騎士が駆け込んで参りました、彼の報告によると、昨夜ネーベルの森に異変が起こり魔獣達が流れ出して来たと、部隊の指揮官のアイゼン大佐は可能な限り時間を稼ぐと、迅速な対応援軍を頼む、以上です!」

 その説明を聞きながら、アナスタシアの心には〝何故〟の二文字が浮かんでいた。

 問題のネーベルの森はここ首都ドラッケンより馬車で二日の距離だ、夜通しで約十時間でここまで辿り着いたその騎士は、見事という他ない。

 しかし問題なのは、その森がアリシアが管理する魔の森に比べれば遙かに小さいが、魔素溜まりだという事だ、魔素溜まりというものはどれだけ慎重に管理していても、いずれは氾濫決壊する事は避けられないのだ。

 しかしそれには周期と言うものがあり、そのネーベルの森が以前氾濫したのは今から二年前のことである。

 明らかに早すぎる、あの森は大体十年くらいの周期で決壊を起こすので不自然だった。

 しかし原因など今は考えても仕方が無い、何か対策を立てなければここ首都ドラッケンにまで、被害が出る可能性すらある。

 帝国領内にあるいくつかの魔素溜まりは、定期的に氾濫し被害を出す為その周りを砦や城壁で覆っている所もある、ネーベルの森もその一つだ、しかし二年前に氾濫を起こしたばかりのネーベルの森にはあまり多くの人員が割かれていない、それどころか訓練中の兵が混ざっている始末である。

 不味いとアナスタシアは直感した、いくらあの歴戦のアイゼン大佐が指揮官であろうとも、兵が未熟で有ればそう長くはもたない、氾濫は始まりもう十時間以上経過している、もういつ城壁を突破され魔獣が溢れてくるか、一刻の猶予も無い。

 幸いと言って良いのか、今は世界会議に参加する各国の要人達の護衛として、西と東の国境沿いの精鋭部隊がここ首都に来ている、現在彼らはこの帝都にて束の間の休暇を楽しんでいる、彼らの力とこの帝都の元々の戦力が合わされば、このネーベルの森の決壊スタンピードも鎮圧できるに違いない。

 ただし、大きな犠牲が出た後でだ。

 首都と森の間にある幾つかの町や水田地帯の被害は、もはや止めようも無い。

 それがどれ程の被害で、どれだけの人命が失われるかが、すぐにアナスタシアには解ってしまう。

 しかし⋯⋯ここでアナスタシアはチラリとアリシアの方を見た、アリシアの方もアナスタシアの事を見ていたらしくこの時目が合う。

 銀の魔女はエルフィード王国に所属している〝戦力〟だ、しかしこの場にラバン王がいる為協力要請する事が出来る。

 しかし良いのかそんな事をして⋯⋯アナスタシアは自問する、つい先程安易に魔女には頼らないと言ったそばから救いを求めるなど、そしてアリシアの今後に大きく関わるとも感じていた。

 もしこの事態を銀の魔女の力で解決に導けば、他国もそれに倣うようになるだろう。

 アナスタシア個人の考えでは、アリシアにはまだ歴史の表舞台には出て欲しくなかった。

 なぜならアリシアの精神はまだ未成熟で、この時点で英雄視されたり危険視されたり、いずれにせよ悪影響になると考えたからだ。

 将来的にどうなるか分からない、対処出来ない魔女災害のきっかけを作る事に比べれば、今危機に瀕している帝国臣民の犠牲もやむなし⋯⋯そんなアナスタシアの考えは一人の少女の悲痛な声で遮られた。

「お願いします、銀の魔女様! 今、危機が迫っている我が臣民達を救う為、力を貸して下さい!」

 今、アリシアの前で膝を突き頭を下げて懇願している一人の少女、それは帝国の皇女ルミナスであった。

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