第6話 自分自身を投げる魔法

「『目視自身転移ムーブセルフ』」


 何も起きない、魔力も減らない。要は失敗ということ。


「何か原因があるはずなんだよねー。何だろ?」


 あちらだったら、本当に困ったときは、やり方を教えてもらえばよかった。だが、育江はこれでもゲーマーを自負している。

 彼女は負けず嫌いな面もあった。だから模索もまた楽しい遊びなのである。


「『ムーブ』――あ、そっか。移動先」


 『目視物体転移』は最初、グラスの水を見ながら、ジョッキへ移動するように念じた。次はジョッキを見てから、移動したい座標を見て唱えた。

 それならばと育江は、さっきまでシルダが座っていた隣の椅子を見て意識する。


「『目視自身転移』」


 魔力が減った感じ。同時に、座っていた椅子からお尻がほんの少しだけずれたような感覚。

 正直言えば、一度お尻を持ち上げて、座り直した方が早いとも言えるほど。


「うわぉ、地味だねー」


 実に、さもありなんであった。


 あれから連打連打、『パルズマナ』をかけなおしてまた連打。ハーフヴァンパイアである育江にとって、とまじゅーは生命線のようなもの。特別な要件がないと、とまじゅーは一日に一杯と決めてあった。だから今回は、魔力茶を飲んでみた。

 お茶っ葉だけじゃなく、水出しの魔力茶もあるようで、カナリアから教えてもらっていたから助かったと思った育江。


 それからもひたすら連打を続けて、気がつけば窓から見える空は、やや暗くなってきていた。


「『目視自身転移』」


 瞬間的に、隣の椅子に座れるようになっていた。


「これでもまだ地味だねー、……ってあれ? もしかして、隣を目標にしてたから、これだけだったりしない?」


 いまさらながら、疑問に思う育江。部屋の隅を見て、『あそこあたりなら』と狙いをつける。


「『目視自身転移』、……うふふふ――あははは、……これは駄目でしょ。予想してなかったわ」


 転移、いや、瞬間移動のような形で成功はした。だが、座ったままの状態で、育江のお尻の下には椅子が内。その姿はまるで『空気椅子』状態だった。


「ぐあっ?」


 シルダがさすがに、育江の笑い声で目を覚ましてしまったようだ。


「シルダ、ちょっと早いけど、晩ご飯にしようか?」

「ぐぎゃっ」


 シルダは両手を上に突き上げるようにして、身体全体で喜びを表現する。


「明日は外に遊びにいこうね」

「ぐあっ」

「あぁでもこれ、運動不足にならないように気をつけないと怖いかもね」

「ぐあ?」


 ▼


 前によく、灰狼グレイウルフの退治に来ていたこの林。遙か遠くには、高い山がみえる。そこへ行くにはこの先、五百メートルか、それとも一キロメートル進めばいいのかはわからない。それだけ広く、同時に人の気配もない場所がここだった。


「この辺はあまり他の人来ないし、練習にはいいかもだね」

「ぐぎゃ?」


 育江はしゃがんでシルダに背中を向けた。


「ぐあ?」

「ほら、背中に乗って」

「ぐぎゃっ」


 シルダは育江に背負われるのが好きだったりする。育江は知らないかもしれないが、シルダはまだ子龍みたいなものだからだろう。

 シルダは素直に背中に乗る。育江は立ち上がるのだが。


「シルダ、重くなったねー」

「ぐぎゃぁ」


 育江の声に反応して、彼女の肩口をぺしぺし叩く。シルダは灰狼を殴って倒すほどの力を持っているのだから、もちろん手加減をしてくれている。


「ごめん、ごめんってば。いや違うってば。大きくなったね――って言う意味だから」

「ぐあぁ」


 納得いかないと言ってるような、声を出すシルダ。


 シルダを背負ったまま、最初の検証作業を開始する。


「部屋の中はとりあえず成功したから。えっと、まずは危険がないように一歩分だね」


 育江はそのまま下を向くと、一歩分先へ視線を移動させる。


「『パルズマナ』、……『目視自身転移』」


 保険として魔力回復補助をかけておいて、そのまま転移をかけてみる。すると、足音も出さずに前に一歩動いたように思えた。背中にいるシルダの重みも温かさも変わっていない。


「シルダ」

「ぐあ?」


 シルダの声の感じから、心配ないと思っただろう。


「大丈夫みたいね、じゃ次は」


 正面に比較的大きな、樹齢百年以上はありそうな大木が見える。育江は、『その先に行けますように』と頭に浮かべる。


「『目視自身転移』」


 魔力は減ったようだから、一応魔法は発動した。けれど、一歩も動いていないようだ。


「なるほどねー。発動したけど失敗するんだ」


 あくまでも『目視』だから、見えない場所には行けない、そういう意味だろうと育江は考える。


「今度はこれくらいでどう、かな?」


 育江が見た先は、ここから十メートルはある。部屋の中ではここまでの広さがないから、試すのはこれが最初だ。目の前には、さっきの大木があるから、移動したかどうかはすぐにわかるはず。


「『目視自身転移』」


 まるで最初からそこにこの景色があったかのように見えるだけ。


「おー」

「ぐあ?」


 育江の前には、ちょっと手を伸ばせば触れることができる距離。五十センチくらいだろうか? 実際には育江が移動したのだが、先ほどの太く大きな木が現れたように見える。


 あくまでも育江が感じたものだが、移動した距離に応じて、魔力の消費も多くなっているようだ。まだこの程度の違いでは、誤差の範囲内かもしれないが。


 ときおり、『パルズマナ』をかけ直して、魔力切れを防ぎつつ、検証作業を続けていく。あくまでも目算だが、五十メートル、百メートルは余裕で移動できる。魔力が続く限り、体力的に辛くなることはない。もしあったとして、育江はためらいなく『ミドルスタム』をかけるだろう。


 気がついたら、背中から寝息が聞こえる。揺れや変な動きがないからだろうか? 安心しきったシルダは、気持ちよさそうに寝てしまっていた。


 ここで育江はさらなる検証に出る。移動の際に『シルダが起きてしまわないか?』というものだ。『目視物体転移センドオブジェクト』も『目視自身転移』も、『目的地までの何かをゆがめて、それをないものとしているのではないか』と、育江は思っていた。


 物語によくある『ワープ』の概念と似たようなものではないかと。それを魔法的に行っている。こじつけだろうが、そう考えた方が使っていて安心できる。

 自分の発動させたスキルを信じられなくなったら、怖くてなにもできなくなってしまう。それが育江の考えでもあった。


 その代わりにこうして、『石橋を叩いて渡る』ように、『わけのわからない魔法』は、ある程度検証作業を経て使うことにしていた。


「さて次は、連続してどこまでいけるか? だね」


 育江は視線をやや上。高さは自分の目線より五十センチほど上がったあたりに視線を移す。


「『目視自身転移』」


 育江の能力的には、この五十センチの垂直跳びは不可能。そもそも、やったことすらない。

 けれどあっさり、それは叶ってしまう。ただ、この世界にも普通に引力があるようで、自由落下の末に『ずしん』と音と衝撃を受けて、着地することになってしまった。


「――ぐぎゃっ」

「あいたたた……、あ、起きちゃったのね?」


 膝と足首、腰に衝撃が走った。予想していたからか、慌てず騒がず『ミドルヒール』をかける。これならもしどこか痛めていたとしても、あっという間に治ってしまうだろう。


「……ぐあ」


 なかなかシルダは神経が図太い。何もなかったかと思ったのか、そのまま二度寝に入ってしまう。


「さて、本日のメインイベントですねー」


 育江がじっと見た先には、探索者ギルド入っている塔。その中腹にある、傘のように広がった部分がある。PWOあちらでは町全体を見下ろせるように、展望台があったのだが、こちらではどんな感じか先日登ってみたが、外へ出ることはできなかった。


 カナリアに訊ねたところ、残念な結果が返ってきた。こちらでは一般開放されておらず、単に悪さをして外側から登らないようにしているだけとのこと。


 どこの世界にも、無謀な挑戦をする者がいる。魔法のある世界でありながら、あまり夢のない話だと思ってしまった。


「さて、あの上に行けるでしょうか? っと」


 直線距離で軽く五百メートル以上はあるだろう。ただ、ここからははっきりと見える。見えるならば『目視範囲内』というこじつけで、今日最後の検証となった。

 背中に感じる重さと温かさを確認したあと、育江は塔の傘部分の上あたりを、じっと見つめる。


「『目視自身転移』」


 一瞬だった。頭が重くなった。システムメニューの魔力残量が三分の二になっている。もちろん、背負っているシルダに異常はないようだ。相変わらず可愛らしい寝息をたてている。


「さーて、どうやって降りたらいいかな?」


 真下を見て、転移するのは構わない。間違いなく成功するだろう。ただ、そこには人がそれなりにいる。誰にも見られないで、移動することは難しいだろう。

 結局、林の手前までもう一度『目視自身転移』を唱えて、そこから歩いて帰ることになってしまった。


「無駄に体力使っちゃうわねー。でも、成功したからいっか」

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