第4話 育江、天才と言われる

 昨日レベルが上がった空間魔法。PWOのころは複数の獣魔ペットを飼っていたから、マジックアイテムの『ケージ』が必要だったが、今はシルダしかいないからどうなんだろう?

 けれど考え方によっては、シルダを連れていけない場所や、シルダが嫌がる場所で使えると思った。

 例えば、カナリアから定期的に『お願い』される依頼など。どこかに待たせておかなければならないことを考えると、案外便利かもと思っただろう。


 システムメニューに表示される、現在の時間は午後四時を過ぎたあたり。まだまだ夕方前だ。情報共有としてカナリアへ報告へ行く途中、珍しいものと言ったら失礼になるかもしれないが、育江はこちらで初めての光景を目にするのだった。


「ぐぎゃ」

「ん? どうしたの、シルダ」


 服をツンツン、本来なら『はら減った』の合図なのだが、その時間にはまだ早いはず。どこからか食欲をかき立てるいい匂いが漂ってくる地区でもなし。この界隈はまだ、宿屋しかない区画だったはず。


 見るとシルダは、育江の足にしがみついていた。これでは歩くのは難しくなる。つんのめりそうになるのを堪えて、育江は足を止めた。


「どうしたの?」

「ぐあっ、ぐあっ」


 シルダは何かを育江に伝えたがっている。

 そういえば今は、朝早くもなく夜でもない。すれ違う人も多ければ、この時間にここを歩くのは珍しい、


 シルダが見た方に目を向けると、そこには一頭の大きな犬に似た姿。灰狼と同じくらいの大きさだが、毛は短い栗色がくすんだような色。あちらの世界にいた犬種で例えるなら、土佐犬かマスチフあたりだろうか? おそらくは、捕獲された獣魔なのだろう。


 ただどちらにしても、身体中が傷だらけ。古傷ではなく、生傷としか思えない状態。

 あちらでは調教師テイマーの間で、他人の獣魔ペットには口出ししないのがルール。何を連れていようとも、どんな飼育方法をしていてもだ。


 ただ、あの犬は、シルダも見るに堪えなかったのだろう。育江が見ても、目を覆いたくなるほどのものだ。

 だが、獣魔を連れている調教師と思われる男は、平然として歩いている。屈強な姿をしているように見えることから、もしかしたらあの犬を自ら屈服させたばかりかもしれない、育江はそう思ってしまう。


(ここからなら、届くかも。『ライトヒール』、もっかい『ライトヒール』、おまけに『ライトスタム』、『鑑定』。……よし、正常)


 調教師同士で口出しはできないが、唯一不問とされていたおせっかいがこれ『辻ヒール』と呼ばれる、勝手に回復する行為だった。

 身体の表面にあった生傷は消え、犬の足取りはしっかりしたものに変化する。何やら不思議そうな目をしていた。おそらく、自分の身に何が起きたかわからなかったのかもしれない。


「ぐあ?」

「とりあえず心配ないと思う。でも、この先はごめんね。あたしにはわかんない」

「ぐあぁ……」


 ▼


「なるほどー。使っているうちに、自然に上がるようなものだと思っていたわ。……でもね、イクエちゃん」

「なんでしょ?」

「普通ならね、魔力茶がいくらあっても足りないでしょう? そこまでお金のかかる途方もない苦行。それができるのなんて、きっとあなたくらいよ、きっと。私正直、やりたくないもの……」


 カナリアが呆れていることは、育江が行った『空間魔法のスキル上げ』のことだ。ひたすら出し入れするだけでも、それなりに魔力は消費する。それを補うのに、普通の人はとまじゅーではなく魔力茶などが必要になる。魔力茶は、とまじゅーの軽く数倍はする高価な飲み物だった。


「そうなんですね。あ、でも、……寝る前に少しやって、くらっとするくらいになったらやめて寝るだけでも、早く上がるかもしれませんよ?」

「それなら、いいかもしれないわね。……でもそんな方法思い浮かぶなんて、イクエちゃんは天才かもしれないわ」


 カナリアは、育江に対してお世辞を言っているわけではなく、忘れないようにメモをしている。容量が増えるというのは、空間魔法を持っている人には思ったより重要だったりするのだろう。


「ありがとう、イクエちゃん。またおごらせてもらうわね」

「カナリアさん、それとですね――」


 育江は、町中で偶然見た獣魔を連れた調教師の話をする。するとカナリアからは、思いもしなかった話が出てくる。


「あのね、イクエちゃん。ちょっとこっち来てくれる?」


 いつもの医務室。大声で言えない話をするときは、ここを利用することがたまにある。


「パーティ募集と調教師の関係は、この間話をしたわよね?」

「はい」


 エルシラ姉妹の経営する店でカナリアが話してくれた件だろう。


「パーティ募集依頼に入り込める器用な人。ダンジョンに単独で潜ることができる人。正直な話イクエちゃん以外、そんなことができる人、私は知らないわ。そう考えるとね、このジョンダンでは、調教師が活動する旨味、ないのはわかるかしら?」


 この界隈は、マトトマト村のように、土猪が沢山いるわけではない。かといって、灰狼の討伐依頼を受けているのは、育江以外ないようである。


「なんとなく、わかります」

「でしょう? あの募集条件が普通になったころ、王都あたりに流れていったって聞いてるわ。あっちなら調教師の仕事もあるかもしれないし」


 カナリアの言う王都とは、聖王国エルニアムの王都だろう。育江は正直、あちらでも素通りしかしたことがない。どんな場所だったか思い出せないというよりも、PWOの運営サイトでイメージイラストを見た程度の知識しかない。


「城下町ですかー、あそこって馬車で行ったマトトマト村より」

「えぇ。ものすごーく遠いわね」


 マトトマト村は馬車で一日、城下町のある王都は二ヶ月かかるはず。ここは確か、王都から見たら、国境よりかなり離れた飛び地のような場所。その間には、魔物も盗賊もうじゃうじゃ出没するという、設定されていたくらいの僻地にあるわけだ。


「あ、そうそう。イクエちゃん」

「はい? ……あー」


 カナリアが育江に向かって両手を合わせて、その隙間からじっと見つめてくるではないか?


「ぐぎゃぁ」


 シルダは何かを察して、育江の後へ隠れてしまう。


「……また掃除、ですか?」

「察しがいいわね、お姉さん助かっちゃう」


 ▼


「……今日も一段とひどかったわ」


 あの後すぐに作業を始めたのだが、日が落ちた後までかかってしまった。『ピュリフィ』のおかげで、ゴミの移り香うつりがは消えてはいたが、それでも風呂に入って疲れを取りたかった。だからカナリアの感謝おごりは、後日ということにしてもらった。


 シルダはあのときの臭いを思い出してしまったらしく、作業が終わるまで、カナリアに預けるわけにもいかなかった。幸い、『ペットケージ』を使ってみたところ、何の心配をすることもなかったため、予想よりは早く作業を終えることができたと思っている。


 空間魔法もレベルを上げたことで、インベントリの枠が増え、『ペットケージ』という便利なものも手に入った。育成中に何かあった場合、シルダを待避させて乗り切ることも可能だと思えるわけだ。


 ギルド直の依頼ということもあり、懐はかなり潤ってきている。ただ、シルダの育成が止まってしまっていることを加味して言えば、事態が好転しているとは言えない。


「そういえば、転移って『訪れたことがある場所なら』行き来できる魔法のはず……」


 PWOあちらは基本、『なんでもできる』が、『万能になってはいけない』と、アクティブにできるスキルの個数を制限していた。簡単にいえば、選んだスキル以外は、一より上がらないというものだ。

 イベントなどでスキルを獲得することに対しては制限はされていない。だが、スキルレベルを上げることができないと、単なるコレクションと化してしまうわけだ。


 育江は『調教』、『治癒魔法』、『鑑定』の三つを選んでいた。『料理』のように取得だけできていれば、ごく簡単なものを作れるように、取っておいただけのスキルもそれなりにあった。


 だが、こちらへ来てからというもの、スキル個数の制限がないように思える。『調教』、『治癒魔法』、『鑑定』が二以上の現在、他のスキルは上がらないはずのところ、『空間魔法』も三になっている。それならばほぼ間違いなく、他のスキルを上げることが可能だと思っただろう。


 寝間着パジャマの裾をつんつんし始めるシルダ。時間が時間だから、いつもの『はら減った』なのだろう。


「ぐあ、ぐあっ」

「はいはい。……あ、確かまだあったわよね」


 インベントリから『焼いただけの蛇肉』を取り出して、シルダに食べさせる。


「ほんと、飽きないわねー」


 毎日同じものを、美味しそうに食べてくれるシルダを見て、そう思う育江だった。

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